<   2005年 04月 ( 14 )   > この月の画像一覧

立ち向かう人は自分の鏡

 以前に私は趣味のテニス戦記をここにしたためたが、その後、先週の土曜日にまた同じ草テニスシングルス大会に出た。この日は何と恥ずかしい事に4戦全敗だったが、内容は決して悪く無かったし、確実な進歩もあった。また試合に出れば必ず得られる教訓も今回また一つ得る事が出来て自分では満足している。
 ところでここでちょっと面白い事に気がついたのである。というのは過去2回対戦してまだ1ゲームも取れない相手と今回また試合してまたまた0-6で破れたのであるが、試合後、次の試合までお互い多少時間があったのでこの相手と話す機会があった。
 この人は体格は私とほぼ同じの身長175cmくらいで年齢も私とほぼ同じの45歳ということであった。しかし、サーブが私の1.5倍位速く、おそらく時速170km位は出てると思われる。その速いサーブをマッケンローばりの綺麗なフォームから放つのである。私はこの人はさぞかし、学生時代は実績もあり、鳴らした選手であったのだろうと思い、「あなたはインターハイとかインカレとかに出たのですか?」と尋ねたのである。すると、その相手は「とんでもない。私がテニスを始めたのは30歳過ぎですよ。」と答えたのである。
 ただその人は学生時代はバレーボールを本格的にやっていて、相当な選手だったらしい。バレーボールのオーバーハンドサーブとかスパイクはテニスのサーブやスマッシュと打ち方が良く似ているのでバレーボール出身者はテニスをやらせても上手いのである。
 
 それにしても私は意外であった。この相手は割合レベルの高いこのテニス大会でも毎回優勝している実力者であるのにその人がテニスを始めたのは30歳過ぎてからとは・・・。もっとも彼も昔はこの大会で全然勝てなかったということだから最初から強かったわけではなく、やはり、頑張り続けることは大事であるのだが。
私はこのテニス大会に出ている人は皆、学生時代からテニスをやっていた経験者ばかりで自分の様に38歳から本格的にやり始めた人間というのはまれであると思っていたのだが、そうではなかったのであり、このとんでもなく強い相手で自分とは別世界の人間であると思っていた人も実は自分と同類の人間、即ち社会人になって30歳過ぎの割合遅い年齢になってからテニスを始めて、40歳過ぎになった今も可能性を信じて頑張り続ける発展途上の人であったのである。

 即ち、我々はあることをやろうとする時、自分だけが特別に未熟で回りの人間はさもすごい自分とは格の違う人種の様に感じて、萎縮してしまいがちであり、ともすればそれであきらめてそこから逃げ出すなんて事もあるかも知れないが自分と関わり合う人、立ち向かう人というのは何も特別な恐ろしい、すごい相手でも何でもなくて親和の法則、易しい言葉で言えば、「類は類を呼ぶ」という法則により自分と同じような相手が集まっているのであるから決して恐ろしいかなわない相手や環境でも何でもないのである。
 従って、相手は自分の鏡であり、相手は自分自身であるのである。だから、決して自分で自分を限定して「もう駄目だ。」とあきらめてしまわない限り、自分が今、与えられた環境、または相手というのは決して克服不能なものではないのである。

 そして更に発展して考えれば、どんなにこわい、いやな相手でもそれはそういう恐ろしい相手がそこに具体的に存在しているのではなく、自分の心を映しているだけであるから決して恐ろしい悪い存在ではなく怖がらずに立ち向かえば、自分の心の影に過ぎない相手、優しい相手であった事が分かるのである。だから、昔から「人の振り見て我が振り直せ」ということが言われるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2005-04-30 11:59 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

飯島夏樹さんのこと

 先日、テレビで飯島夏樹さんという肝臓ガンになったあるプロウインドサーファーのドキュメンタリーをやっていた。2月頃だったと記憶している。
 彼は一流のプロウインドサーファーでワールドカップに出場し続け、国内の大会では何回も優勝している。かわいい奥さんと4人の子宝に恵まれ、人生順風満帆であったが突如、肝細胞ガンの宣告を受ける。2002年5月の事である。
 そして、医者から肝臓の移植不適合と診断され、うつ病とパニック障害を引き起こすが、奥さんの懸命の励ましによりうつ病とパニック障害は克服するも肝臓ガンは悪化し、2004年5月にあと3ケ月の余命宣告を受けるのである。
しかし、彼はガンの終末期患者でありながら、自分の闘病記をネット連載「今日も生かされています。」で2004年8月16日から2005年2月19日まで発表し続け、多くの人々の心を打ち、それが評判になってフジテレビでドキュメンタリー番組まで組まれた。
彼のエッセイ「ガンに生かされて」ではガンのターミナル(終末期患者)としてその壮絶な闘病生活が記されているのだが、それは死を目の前にした悲壮な感じではなく、大変ユーモアとウイットに富んだ語り口なのである。これは病んだ飯島さんというものを客観的に見て、観察しているもう一人の飯島さんがそこに居るような感じである。
 そのエッセイの中で彼は告白しているのだが、以前の自分は大変、身勝手で利己主義な男で自分の事しか考えていなかったが、今は本当に素晴らしい家族に囲まれて幸せな自分であると言うのである。そして、ガンのターミナルになった今、つくづく自分は自分で生きているのではなく、生かされていたのだという事が分かったとも言っている。そして、自分は死んだら天国に召されるということも本当に信じていたようである。だから、死を目の前にして自分の症状を客観的に見つめることが出来たのではないかと思う。
 エッセイのタイトルは「ガンに生かされて」ということだがこれはガンという病気になって死を目の前にしたことでそれが逆に生の有り難さを教えてくれたということでこのタイトルをつけたのだと思う。 
 彼はガンになって余命宣告を受けたことで逆に自分が神に生かされた尊い生命であったこと、そして自分には自分を愛してくれ、支えてくれる素晴らしい家族がいたことに気づき、魂は永遠の生命を悟り、救われていたと思う。

 そして、飯島夏樹さんに劣らず、本当に素晴らしいのは奥さんの寛子さんである。彼女は幾分ナーヴァスで内向的なご主人と対照的で小さな事にこだわらない、あっけらかんとした性格で、本当に最後までご主人の事を支え、力になり、そして愛したのである。
 「ガンに生かされて」の付記の寛子さんの文章にはこのように記されている。
「26日の夜27日の夜、夜中に何回も起こされた。夏樹は、過敏ですぐに排泄をしたがる。何度も下のお手伝いをしていて、とても嬉しかった。こんなことをしたくてもできない状況の人もいる中、そういう時間が与えられた。排泄の後、いつも疲れ、腰をマッサージしてくれとか言われる。いつも身体をさすっていてうれしかった。」
 以上は夏樹さんが今年2月28日、38歳の若さで亡くなる直前の2日間のことを書いたものである。私はこの文章を読んで涙が出そうになった。「ああ、これが夫婦だ。夫婦の愛だ。」としみじみと感じた次第である。

 飯島夏樹さんは肉体はガンにむしばまれて滅んだが、魂は救われ、天国で家族を見守りながら今頃は安らかに好きな執筆活動そしてウインドサーフィンを楽しんでいると思う。

 堀 浩二
by koujihori | 2005-04-25 22:49 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

人生無駄なものは一つもない

 本日は人生論について書こうと思う。私は今年、46歳になるが今までの自分の人生を振り返って見て、つくづく人生というのは無駄な事は一つもないのだなと思うのである。 人生には色々あり、順風満帆な時もあれば、嵐吹きすさぶ苦しい時もある。しかし、それらは全て本当には悪いものは一つもないのである。
 私の信仰する生長の家ではこの世界は現象世界であって映しの世界であり、本当に実在する世界ではないと説いている。本当に実在する世界は内なる世界、これを生長の家では実相世界と呼んでいてそれは円満完全な世界、神の世界であると言うのである。
 そしてこの人生はその内なる円満完全な実相世界、神の国をこの現世(うつしよ)に顕現させる為の勉強の場、いわば人生学校であると説いている。

 私は子供の頃は余り、成績の良い方ではなく、高校でも出来る方ではなかった。そんなに程度のいい高校ではなかったがその中でも私の成績は下の方であった。しかし、高校一年の時に受けた生長の家の練成会で人間神の子無限力ということを知った私は自分もやれば出来るんだと思って、東京六大学の内の一つ立教大学に入学することが出来た。今までの私の成績を知っていた周囲からは随分、驚かれたものである。その後、私は大学卒業後就職をし、生長の家の組織活動にも参加するようになった。

 私は大学を出てすぐある中小の機械商社に就職し、そこで社会勉強を三年程させて頂いてから父の経営する会社に入った。
 最初はまず会社の製品を学ぶ為に営業部に配属された。しかし、製品知識を覚える事が困難を極めたのである。というのは父の会社の製品は精密な機械製品だったので非常に専門的な機械知識を要求されたからである。経済学部出身の私にはそもそも機械的素養がないので、そこで大変な苦労をしたのである。
 私はすっかり自信を失ってしまい、会社の中でも居場所が無い様な感じであった。

 そんなこんなで2年が経ち、30歳になった私は総務部に移動になり、本来の目的の仕事であった経理、総務の業務につく事になったが、そこでもしばらく下積みの期間が数年続いた。自分は一応、大学は出たものの自分の天分とか生涯掛けて行く自分ならではの仕事とは何であろうかということが分からず、自分は無価値な人間ではないのかという思いにとらわれるようになっていた。

 29歳で結婚した私は30歳で長男が誕生して、その時、既に一家の主となっていたが悶々とした日々が続いていた。そうこうする中、色々な考え方の違いから社長である父とも折り合いが悪くなり、私自身も信仰に対する考え方が全然間違っていたので37歳の時、殆どノイローゼ状態となり、夜は全く眠れないという状態が約1年続いた。睡眠薬等,薬には手を出さなかったがよくああいう状態で一年も生きていたと今から思う。
 そういう状態は妻だけが知っていて両親や兄にはその間、ずっと伏せてきた。妻は私が一番苦しかったその時期を本当に親身になって支えてくれたのである。その後、私は自分の状態を両親にも打ち明け、生長の家の京都の宇治の道場に長期練成に行く事になった。私の状態を知った両親は大変心配してくれ、特に父の心配の仕方は大変なものであった。
 そもそもそういう不眠症とかノイローゼとかの頭の病気になるというのは頭に象徴される目上の者を恨んでいる場合が多いのである。私はその時まで間違いなく父を恨んでいたのである。父は昔気質の人で決して愛情を表現する事をせず、いつも私は子供の頃から体罰を受け、叱られて育ったのである。しかし、私がそんな状態になった事を知った父の心配の仕方は尋常なものではなかった。皮肉にも私はその時、始めて父が自分を愛してくれていたということを知ったのである。

 私は本当に人生のどん底に落ち、妻も子供もいるのに会社は休職し、生長の家の道場の汚い宿舎での惨めな生活が始まったのである。
 ところが実はここから私の悦びに満たされた神に祝福された人生がスタートするのである。私は自分の生涯の師とも言える榎本恵吾先生とこの生長の家宇治別格本山で巡り合い、先生の薫陶により生長の家の神髄に触れ、神に生かされている悦びに目覚める事が出来たのである。 私は大安心の心に満たされ、精神的にも肉体的にも救われ、その2ケ月後、会社に復帰した。今から8年前の平成9年9月の事である。
 それから私は以前の数百倍のパワーと悦びで仕事に趣味に地域活動に積極的に邁進することが出来るようになり、現在に至っているのである。

 そして現在では自分の神から与えられた天分、自分ならではの役割とは何かということを明確に知ることが出来、お陰様で悦びに満たされた人生を送らせて頂いている。自分の今までの経験は正にそれを知る為であり、全ての経験が無駄ではなかったということが実感で分かるのである。

 皆さん、丑三つ時という朝が明ける直前が一番暗いと言われます。ものごとが良くなる時はその直前が一番暗いのです。しかし、それに負けないでしばらく我慢して頑張っていけば、必ず夜明けは来る。それは私が保証します。私が一番苦しかった時を支えてくれたのは生長の家総裁谷口清超先生の「解決できない問題は存在しない。」のこの一言だけであった。私はこの一言にしがみついて死にものぐるいでつらい一年間を乗り越えたのである。そしてそれを支えてくれたのは我が妻であり、両親であり、姉達であり、兄であった。 我々は一人で生きているようで家族を始め、実に沢山の人達に支えられて、生かされて生きているのである。それを短期的に見て、もう駄目だなんて思ってはならないと思う。

 この世界は一見、不幸に見えるものが沢山ある様だが実は一切の無駄、本当に悪いものは一つも存在しない。長い目、大局的に見ればそれらが皆全て本当に尊い経験となる良いことばかりであり、これらの経験を通して我々の素晴らしい神の命をこの世界に表現して行くのである。

堀 浩二
by koujihori | 2005-04-21 23:37 | 信仰 | Trackback | Comments(2)

英会話

 本日は英会話の事を書こうと思う。私は13年前の33歳の時から会社の英会話研修をきっかけに英会話の勉強を始めた。
 もう13年もやっているのに正直、ネイティブスピーカー同士で話す早い英会話は余り聞き取れない。去年までは単なる英会話教室に水曜日と土曜日と週2回通っていたのだが、その内の土曜日のクラスが募集人員が定員数に足らないということで廃止となってしまった。
 私はそのクラスがけっこう気に入っていたので残念だったが、水曜日のクラスのクラスメートのKさんというスマート(smartって英語で「頭がいい」という意味です。勿論、この人はスタイルもスマートですよ。ね!Kさん!)な女性が自分が土曜日の午後の時間に通っている英検1級受験クラスに是非来ないかと誘ってくれたので素直な私は導かれるままにそのクラスに通うようになったのである。それが去年の9月位だったと記憶しているが、今までは単に目標無しで何となくやって来たが英検1級合格という具体的な目標を持って英語を勉強するようになった。
 そして今年の2月に英検1級を始めて受験したのであるが、そこで英検1級のレベルの高さにカルチャーショックを受けた私は今までの勉強方法がいかに生ぬるいものであったかを実感し、それからヒアリング練習、リーディング練習に本気で取り組むようになったのである。
 やはり、我々は何かをする時は何となく、適当に目標もなくやっているようでは駄目で具体的な目標を自分に課して、背水の陣を敷くということをしないと駄目であると実感した。
 
 それはともかく、私は子供の頃から割合せっかちでご飯も人一倍食べるのが早く、それを自慢にしていた位である。周りからはもっと食事は味わって食べた方がよいと言われるのだが、生返事を返すだけで相変わらずであった。
 しかし、私は以前もここで書いたように私の飼っている老犬に今、目の前の事に対してゆっくりじっくり愛情を掛けることの大切さを教わってから、生活全般が変わって来たのである。いつも時間に追われ、せっかちにスケジュールをこなすことばかり考えて、じっくりゆっくりものごとをやる習慣の無かった私はいつも心ここにあらずで先のことばかり考えているということがよくあり、英会話どころか日本語の会話でさえも相手の言っていることをよく聞いていないということがよくあった。従っていつしか相手の話を聞こうと思ってもその話を理解することが出来ないということが出て来てしまったのである。
 習慣というものは恐ろしいもので、目の前のものに心を寄せないという習慣を持っていると相手の話がそれが例え日本語であってもよく分からないというような事になってしまうのである。
 私の信仰する生長の家の創始者谷口雅春先生の御著書「生命の実相」第7巻生活編には「今に集中すればするほど今に対する判断はより明確なものになって来る」と書かれている。従って相手の会話をよく聞くということは大変大事なことであり、そういう態度は全ての生活態度に通じ、それは相手に心を寄せ、大事にし、そうした中、その相手に対し、どうしたらいいかという最も適切な判断を生み出す事が出来るようになって来るのである。
 私はその事は英会話の勉強にも大変役立つと思う。どんなに早いネイティブスピーカーの英語でもそれを真剣に耳を傾けて行く練習を根気よくしていけば、いつかはそれを聞き取れるようになり、そのように今に集中する事により相手が言っている英語の意味も自ずと判断出来る様になると思う。
 ということで英会話学校のクラスメートのKさん、Rさん。これから私もますます頑張りますのでどうぞ宜しくお願い致します。 

 堀 浩二

 
by koujihori | 2005-04-21 12:25 | 潜在能力 | Trackback | Comments(0)

太陽光発電システム

d0022373_10494927.jpg 今年の2月、我が家に太陽光発電システムを取り付けた。出力は2.92kwhであり、家庭用としてごく標準的なものである。メーカーは京セラで価格はおよそ250万円である。
 太陽光発電システムは一昔前は少なくても600万くらいしたそうだが現在は京セラの他、シャープなどの各メーカーの製造技術が進歩し、コストが相当下がり、一般庶民でも購入可能なものになって来た。
これだと電気代が約半分になり、大変リーゾナブルだし、料理などもガスを使わないので安全で、ローンで購入するにしても政府の補助もあり住宅ローンなみの金利が可能である。

まあ、それでも今までの通常の感覚だったら電気代が安くなるからと言って、これだけの費用を掛けて、システムを導入しようという気にはならないだろう。しかし、現在、皆さんもご存知の様に環境問題がクローズアップされてきている。
 二酸化炭素による地球温暖化は単に地球の気温を上がり、それが南極、北極の氷を溶かして海面を上昇させるなんて事だけでは済まないのである。それは地球全体のリズムを壊し、色々な異常気象を引き起こし、甚大な被害を人類に与えるのである。
 そればかりではない。それらの影響で地球の生態系が破壊される中で実は生態系の一部に過ぎない人類の存在も危ういものになって来るというのが識者の見方である。

 私がそもそも太陽光発電システムを導入しようと決意した直接のきっかけは生長の家副総裁谷口雅宣先生の講習会で先生のお話を拝聴したのがきっかけであった。先生はこの現在の地球の危機、人類の危機をいち早く察知され、その重大さを事ある毎に強調されている。

 その危機を回避する為には先ず我々一人一人が生活の中で具体的行動を起こさないと駄目である。タバコのポイ捨てはしないとか、その辺に空き缶を捨てないとか、車のアイドリングはなるべくしないようにするとか、出来ればなるべく車は使わないようにするとか等々。そして出来れば家庭の電力も太陽光発電システムなども導入なさることをお薦めする。本当に車一台くらいのコストで済むのですから。

 堀 浩二
by koujihori | 2005-04-20 10:49 | 環境問題 | Trackback | Comments(0)

赤い糸

 皆さんは結婚というものをどうとらえますか?皆がするから、経済的な理由から、子孫を残したいから、性欲を満足させたいから、世間体があるから等々の理由があると思う。もちろん、こうした打算的な事でなくてただ、この相手と生涯一緒にいたいと思うからというのもあるだろう。
 近頃は段々、女性も経済力がついて来て、男に頼らなくても良くなったせいか経済的理由で結婚を選択する女性が減って来たようである。また、男性もそうした女性に対して積極的アプローチする気概を失ってしまったのか30歳過ぎても結婚しない人が多くなって来た。
 第一、近頃は昔からの固定観念が崩れてきて、この位の年齢になったら、おしなべて結婚しなくてはならないという考えが無くなって来ているようである。

 そもそも人間は何故結婚するのであろうか?それは日本古来からよく言われて来たように本来結婚する男女は元々見えない「赤い糸」でつながっていて、それで運命的に結ばれて結婚するのであるという考えがあり、またギリシャ神話でも男女というものはそもそも一つの魂であるという話があるそうである。
 私の信仰する生長の家でもやはり同じ様に男女というのは元々一つの魂でそれが地上に誕生する時それぞれ男と女に分かれて出て来て、それがお互い魂の奥底で呼び合って、運命的に巡り会って結婚するのであると教えている。だから、夫婦となるものはお互い一つの魂の半分の身体即ち、半身同士であるという考え方である。従って、この半身同士が結ばれるのは自然な事であり、それ故に結婚するのであり、そして結婚して本来一つの魂がまた一つに還るということでそこで素晴らしい愛情の生活を実現させるということが結婚の目的であるというのである。
 私は子供の頃から生長の家信徒であるから、その考えを素直に信じ、自分もいつかは魂の半身と巡り会って結婚するのであると思っていた。そして25歳の時に現在の妻と知り合い、その4年後に結婚したのである。
 しかし、その話が本当だとして、皆さんは自分が選んだ相手が本当に自分の魂の半身である保証なんてどこにあるのかとお思いかも知れない。
 でも我々は皆、自分で生きているようで神に生かされているのである。従って、自分が結婚相手として選んだ相手は自分ではなくて実は自分の中の神が選んだ所の間違いない自分の魂の半身であるのである。だから日本では昔から運命の赤い糸で結ばれた相手とは運命的に出会って結ばれるのであると言われるのである。
 私はそのことがはっきりと自分に分かって来るにつれ、のろけ話で恐縮だが自分に取って、妻が以前にもまして、尊い、有り難い、また魅力的でかわいい存在であるという実感が強くなって来たのである。
 我々はたまたま恋愛結婚であるが、見合い結婚で結婚した人も全く同様である。出会ったきっかけ、結婚したきっかけがいかなる形態であっても実質的には我々は何時如何なる時でも神に生かされて来たのであるから神に選んでもらった本当の自分の魂の半身である相手と結婚しているのである。それは戦国時代の政略結婚などでも同じである。
 であるから、世の諸兄達よ。自分の今の奥さんを大切にし、愛おしんで下さい。あなた方の奥さんは間違いなく神様から与えられたあなたの愛すべき魂の半身ですから。
 また、世の奥様達よ。定年離婚なんて悲しい事を考えないでご主人を大切にし、立ててあげて下さい。

堀 浩二
by koujihori | 2005-04-19 09:56 | 家庭生活 | Trackback | Comments(2)

ホリエモンについて

 本日は今、話題のライブドアの堀江貴文社長の事を書こうと思う。彼は時間外取引というゲリラ的手法を使ってニッポン放送の株を大量に買い占め、それを足掛かりにニッポン放送が筆頭株主になっていて事実上のその持ち株会社になっているフジテレビの支配権を握ろうとした事は周知の事実である。
 その後、両者の攻防が二転三転している内にソフトバンクなどが介入して来て、白馬の騎士の北尾氏なども登場して来た。
 しかし、騒動が中々収拾しない内にライブドアの株価も下がって来て形勢不利と判断したライブドアが折れてきてフジテレビに大部譲歩する形でお互い手を打って提携話といこうとしているようである。
 今回は前回のプロ野球パリーグの近鉄バッファローズを買収しようとした件に続き、業界に新風を吹き込んだまでは良かったが結局、楽天に新チーム参入権を持って行かれたように今回もホリエモンの思惑、野望は現在の所、ついえそうである。
 
 私はライブドアの堀江社長は進取の気性に飛んだチャレンジ精神の持ち主で、発想力も行動力も企画力も素晴らしい青年事業家であるという所は大いに評価する。
 32歳というその若さを武器に誰も思いつかなかった独自のアイデアで色々な業界に風穴を開けて行くパワーは頭の錆び付いた老人経営者には真似の出来ないものであり、こういう若くて力もアイデアも行動力のある青年こそが世の中を改革して行くのであり、明治維新の時も吉田松陰、高杉晋作、坂本龍馬などの維新の志士達は皆、青年であった。
 しかし、私はこれらの維新の志士達とホリエモンこと堀江貴文ライブドア社長には決定的な違いがあると思っている。
 それは何か?皆さんはどう思いますか?それは年長者に対する尊敬の念がこのホリエモンにはちょっと欠けているのではないですかということである。
 明治維新の時は青年の力が原動力になったが彼らは皆、目上の者を敬い、礼節を保ち、長幼の序を守り、それらは形式的にではなく心からそう思っていたと思うのである。少なくても彼らが現代に生きていたらホリエモンの様に年長者、その業界の先輩との交渉の場でTシャツで出てくる様な真似は決してしなかったと思う。
 彼は東大出(中退?)で頭も良くて、IT事業で巨万の富を得て、世間なんて、大人社会なんてこんなものという驕りがやはりあるのではないか?東大という学歴の上に自分のアイデア一つで巨万の富を得てしまったら傲慢になるなというのも無理かと思うが。
 ということで私の推測だが彼は社会の諸先輩達をその才能と頭脳明晰さが却って災いして見下している所があると思う。でも見下す者は逆に見下され、決して認められる事はないのである。
 日本はいわゆるムラ社会でこういうアイデアも実力もある若い芽が出てきてもよってたかってその芽をつみ取ってしまうという面があるという意見もあるが彼がきちんと先輩や年長者を敬う謙虚な心があれば、排除されることはないと思う。
 
 それともう一つ、ホリエモンのやり方、考え方で決定的に良くないのが目的の為には手段を選ばないという唯物的な考え方である。いわゆるそれが今回のニッポン放送株の敵対的買収というやり方に表れているが、これはアメリカなどでは割合よくあることらしい。 
 映画「プリティウーマン」のリチャードギアが演じていた主人公はこうしたことを生業にしている人間だったと記憶しているが、そのやり方は他の会社の株を今回のホリエモンのようにゲリラ的に大量に買い占め、その会社を事実上乗っ取るということだが、そんなことで乗っ取った側と乗っ取られた側がうまくやっていける訳がない。そんなのは欧米ではいざ知らず、日本みたいな人と人とのつながり、和を大切にする風土では絶対に馴染まないのである。
 これは正に欧米的唯物主義であり、最悪のやり方である。ホリエモンは力と行動力と独創性はあるが一番大事なこと、即ち目上の者、年長者を尊敬して大切にする心、そして如何に理想的な目的があってもその手段は決して人の道を外したものであってはならないという道徳的精神に欠けているのである。それはやはり、彼に神様という概念が抜けているからであると思う。
 こういう考えを持っている以上は彼は本当の成功者にはなれはしない。何故なら富の本質とは生長の家の教えにある通り、人を拝み、敬い、人の為になる考え、アイデアを実行に移すことであるからである。

 堀 浩二
by koujihori | 2005-04-18 08:57 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)

進化論について

 昨日、私がよく観るテレビ番組「アンビリバボー」で地球上の生物の進化に関するテーマをやっていた。それは生物が進化するのはダーウィンの進化論の様に環境に応じて徐々にその生物が進化するというのではなく、突然変異的に進化するのであり、そのきっかけとなるのは宇宙から来たウィルスであるというのである。
 私は最初はそんなバカなと思って軽い気持ちで観ていたが観ている内にこれはもしかしたら真実に近いのではないかと思うようになってきた。

 というのは進化論に関しては私は根本的にこれを信じておらず、それはダーウィンという一科学者が打ち立てた仮説の一つに過ぎないものであり、完成されたものではないのである。何故なら昨日の番組でもやっていたがキリンならキリンの首が伸びたのは彼らの餌となる木の実が高い所にあるから必然的に段々伸びていったというのがダーウィンの進化論であるがキリンの祖先と言われる動物と現在のキリンとの間に段々首が伸びていったであろう中間の生物の化石が発見されていないのである。
 それは人類も同様で人類の祖先とされている類人猿とその後の北京原人とかネアンデルタール人との間の中間の類人猿の化石というものも発見されておらず、両者の間には実に一千万年の時間の隔てがあり、そこは空白地帯で、断絶しているそうである。
 しかし、現在の学校教育ではこのダーウィンの進化論を正当なものとしてそれを根拠に教育が行われているのである。従って人類というものは猿の子孫に過ぎないものであり、だから人類は動物の一種に過ぎないという考えを多くの人が持っているのである。そういう所から人間が中々立派な行動を取れないということにもつながっていると思う。

進化論に関しては生長の家創始者、谷口雅春先生が御著書「第二青年の書」で触れられている。それは進化論はある程度正しく、生物は微生物から始まって段々後から高等な生物が出現してきて現在の人類に至っているのは正にその通りであるがそれは生物が何回も代を重ねて生まれ変わって行く中で徐々に進化するのではなく、後から突然変異的により高等な生物が出て来るのであるということである。
 私はそれを拝読して「ああ、そうか、分かった。」と一応納得していたのであるが、それではその突然変異というのはどのように起こるのか、また突然変異の生物が出て来るにしても最初のきっかけは何なのかということに関してはよく分からず、その内分かる位に考えていたのである。

 しかし、私は昨日の番組を観て、その生物の進化の上で起こる突然変異というものはこういうものだったのではないかという気がちょっとしたのである。
 というのはその番組で言われていた一説に宇宙にはシードマスター(種を蒔く支配者)という不可思議な神とも言える存在があり、それが地球という一つの天体を生物進化の実験場にしていて宇宙から隕石に乗せて生物の種(シード)を地球に蒔き、後から段々と高度な生物の種を地球に送り込んでそれが地球上に於ける生物の進化になっているというのである。
 その種が前述のようにいわゆるウィルスというものであり、それが宇宙から飛来することで地球上に於けるより高度な生物の段階的な出現となっているというのである。

 何でもNASAでも地球の水分その他微生物はそもそも宇宙から隕石で運ばれて来たという説をほぼ認めているようで、今年7月に行われるというディープインパクト計画で彗星に重さ350kgの弾丸を撃ち込み、彗星内部のかけらを観測しその成分を調べようとしているらしい。

 私はまだはっきりとした確信はないが自分が長年疑問に思っていた地球上の生物が進化していく過程で起こった突然変異というもの、また、後からより高等な生物が出現するにしてもその最初はどのようにして出現したのかという疑問が何となく分かったような気がするのである。皆さんはどう思われますか?

堀 浩二

番組の詳しい内容をお知りになりたい方は下記のアドレスで検索して見て下さい。 

http://www.fujitv.co.jp/unb/index.html
by koujihori | 2005-04-15 12:19 | 学術問題 | Trackback | Comments(0)

反日運動に思うこと

 さて、ご存知の様に現在、中国、韓国で民衆による反日運動が大変、激しくなっていて、現地邦人は大変恐ろしい思いをしているようである。
 日本では町村外相が日本の外相としては割合珍しく、毅然とした態度を取って、謝罪と破壊活動による損害賠償を中国政府に求めているようであるがこれが蛙の面に小便で責任はむしろ日本にあると言い返される始末。でもこの中国政府の反応はホリエモンではないが、大体、想定の範囲内である。
 騒動の直接のきっかけは日本の国連常任理事国入り反対署名運動であるらしいが、それに加えて日本の歴史教科書の問題や小泉首相の靖国参拝問題等もあるようである。
 でも、中国の民衆の反日感情が何故これ程激しいものであるかということは中国の露骨な反日教育にその原因があることは識者なら誰でも分かっていることと思う。
 中国には学校教育のみならず至る所に日本の中国での戦争犯罪の歴史を再現した戦争記念館があり、戦時中の旧日本軍による中国人虐殺、人体実験等のおぞましいシーンが蝋人形によりリアルに再現された展示物が沢山あるのである。中国では子供達に学校行事でこういう所に度々見学させに行き、子供の頃から徹底的に反日教育を施すのである。
 教育とは恐ろしいものでこんな教育を幼少の頃から受けたら大人になったら立派な反日中国人が出来上がるのであり、彼らは根っから日本人を悪魔のように憎んでいるのである。 今回も騒動もそんな所が根っこにあるのであり、中国の警察が彼らの暴動を殆ど見てみないふりをしているのも当然である。
 でも日本人は戦前も戦時中も多少乱暴で横柄な態度を中国大陸で中国人にしたことはあったようだが本来日本人というのは非常に温和な民族であり、争い事は基本的に好まず、ましてや人間に対してそれが中国人であろうと韓国人であろうとそれを極悪非道なやり方で虐待、虐殺なんて出来る民族ではないのである。
 私はこうした中国の反日教育で教えられている日本人の極悪非道ぶりというのは殆どが中国側のねつ造であると思っている。
 
 それはともかく、中国が何故、こんな反日教育をしているかと言ったらそれは江沢民の時に始まったらしいが、中国政府の自信の無さの裏返しである。
 というのは中国では共産党の一党独裁であるがそれでは経済が停滞するということで部分的に資本主義を採り入れ、現在はGDPの実質成長率は10%を超えているらしい。いわゆる不動産バブルによるものであるが、こうして中国の経済が発展すればするほどいわゆる富裕層が出て来て、それが13億の中国の人口の中の1.5%に当たる2000万人にも及ぶというのである。
 中国では沿岸部の都市部に住んでいる人はこの富裕層のように資本主義のお陰で割合、潤ってリッチであるのだが内陸部の農村地帯は貧困層が多く、それが非常な国民感情不満になっているらしく近頃はその事に起因した暴動も頻発しているらしい。
 中国政府はその中国国内の不満を自分達に向けさせない為にその鉾先を外国に向けさせようとして一番手っ取り早い相手日本を選んだのである。

 そして韓国でも反日運動が現在起こっているがこちらは中国ほどではないが長年反日政策を国が取って来て、それは当然教育にも及んでいただろう。

 いずれにせよ、教育というものは恐ろしいもので人間の考え方というのはこの様に教育によってどうにでもなってしまうのである。でも、私が今回言いたいことはそんなことではない。何故彼ら中国人や韓国人はそれほどまでに日本を悪く言うのであろうか、何故それほどまでに日本の大東亜戦争中の行為を悪魔の様に憎みののしるのであろうか?
 私が思うに中国や東南アジア、そしてアフリカを露骨に本当に侵略の意図をもって、侵略し原住民を搾取又は虐殺したのは白人達欧米列強ではないのか。
 日本が中国大陸に進出していたのはそこを侵略の意図を持って軍隊を派遣したわけではなく日露戦争の勝利によってロシアから割譲を受けた満州の権益によりその地に日本から移民していたのをそれを保護する為に日本から軍隊が派遣されていたのであるし、また朝鮮併合に関しても日露戦争前は日本の政策はずうっと韓国にしっかり独立してもらいたいということで進められており、朝鮮を侵略しようとしたロシアと結局衝突して日露戦争になり、日本勝利後も相変わらずロシアと手を組もうとする勢力が朝鮮において座視出来ない状態になったので仕方なく日本は朝鮮を併合したのであって、それは当時はロシアの南下を世界中が懸念していたので国際的にも歓迎されたのである。

 まあ、結果的に日本が中国と韓国に進出または併合していたことは良くないと言えば良くないのであるがその内容は欧米列強のやり方に比べれば遙かに悪意はないのである。

 でも彼ら中国人、韓国人はアメリカ人、ヨーロッパ人の罪は少しも糾弾しないで何故、我ら日本人の事ばかり責め立てるのであろうか?ちょっとおかしいと思いませんか?
 私はその理由をこのように考える。それはやはり中国人、韓国人は白人、欧米人は自分達に比べて一段上の人種と見ている面があるのではないかという事である。
 それに反し、同じ東洋人しかも中国人や韓国人から見れば日本人は自分達の弟分くらいの感覚があるので、その生意気な日本に一度でも統治された支配されたという記憶がいやでいやでしょうがないのではないかと思う。
 そんなわけでかくも中国、韓国での反日感情が激しいのではないかと思う。

 ここで肝心な事だがそれなら我々日本人は今回の様な事態に対してどうしたらいいかということである。町村外相の様に毅然とした態度で相手に謝罪を求めるのは大変いいことである。しかし、その他、一般の日本人が今回の事で更に中国人、韓国人をいやな卑しい民族であって、これらの民族はまた機会あらば懲らしめて統治してやらなくちゃ駄目なんだなんて思ったりしたら絶対駄目なのである。

 私は今回の事はほとぼりが冷めるまで暫く静観してそのままにしておくのがいいと思う。反日感情反日運動というものが迷いに支配された正しくないものであるならばそれは自ずと自壊して行くのである。ことに中国は既に述べた様に国自体が実は危ないのである。本来でないものは自壊する。そのままにしておけばよいのであり、これを機会に日本も中国、韓国に対等にものが言えるように憲法を改正して核兵器を持てるようにしなくちゃならんなんていう考えは大変危険な思想である。
 それこそ本当に戦争の原因を作るであろう(だからと言って私は憲法改正反対論者ではない)。
 
 そしてかつての韓流ブームの時の様に韓国人のいい面を見ること、そして探せば中国人にもいい面があるはずだから、それを凝視する様にしていけばいつかは日本、中国、韓国とお互い手を取り合って仲良く出来る時が来ると私は信ずる。

 堀 浩二
by koujihori | 2005-04-14 12:28 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)

犬に教えられたこと

 本日は愛情の事を書こうと思う。私は生来、がめつい性格に生まれついた様で非常にものごとに対してどん欲な所がある。
 それはいい面に働けば大変良いことであり、何事に対しても向上心を持ち、積極的であるという長所になるのであるが悪い面に働くとあれもこれもと思っているからいつもせわしなく、心ここにあらずという事になるのである。 
私は生長の家をやっているから人間は神の子であり、無限の可能性があるという信念がある。従って、実に色々なことに対して、興味を持ち、積極的に関わり、様々な習い事例えばテニスとか英会話などに精を出している。そして、生長の家の「朝の時間を利用せよ」という教え通り、朝は5時30分に起床して、神想観という生長の家の瞑想を20分位やってから先ずテニスの素振りを20分行い、その後、自分の朝の役割である犬の散歩に20分位行ってからその後、出勤するのである。
 しかし、私は犬の散歩の時の20分も何とか自分の能力の向上の為に使えないかと考え、ポータブルCDプレーヤーを購入して犬の散歩の時にそのCDプレーヤーで英会話のCDを聞くことにしたのである。
 私の犬は犬種はアイヌ犬で中型の日本犬であるがもう16歳で人間の歳にしたら80歳は超えている老犬である。老犬であるから最近めっきり足、特に後ろ足が弱って来て、走ることはもう全然出来ず、歩くのも後ろ足がふらついて中々ままならないのである。だから、散歩させていても10メートル歩いたら1、2分は休まないと歩けないのである。
 私は出勤前の朝で時間の無い事もあり、私の犬がよたよたと休み休みでないと中々歩けないということに対し、かなりいらつき、昔その犬が若くて元気だった頃のように頭を撫でたりして可愛がる気も失せてしまっていたのである。
 私は犬の事なんて殆ど形式的に散歩させているだけでもっぱら心は自分が今、聞いているCDの英会話にばかりに行って、そのまともに歩けない世話のかかる老犬の事なんてうざったく思うだけで殆ど眼中に無かった。 
 そんなこんなで毎朝散歩させている内に犬の足の弱り方が日に日に進んで前は何ともなかった階段を下りていくということも殆ど出来なくなってしまったのである。
 
 さて、4、5日前の晩、テレビを見ていたら、ロシアの超能力者の番組をやっていた。そこで動物の言っている事が分かるという女の超能力者が紹介されていて、それはロシアのあるサーカス小屋で飼われている老犬の声を聞き分け、その老犬がかつて自分を可愛がってくれた飼育係に会いたいということを言っているのが分かったというのである。
 そして、それを頼りに過去にそのサーカス小屋でその老犬を世話していた女性の飼育係を番組側が捜し当て、その人とその老犬を会わせたら双方ともお互い本当に再開を喜んでいたのである。
 私はその番組を見たら、本当に犬というものは感情細やかな生きものであり、決してぞんざいに扱ってはならないと思ったのである。
 そして次の日から私は犬を散歩に連れて行く時に、今まで聞いていた英会話のCDをやめ、犬を散歩させることに集中することにした。そして、犬の頭を撫でながら朝の挨拶をし、足がよろけて暫く歩けなくなった時は励ましの声を掛けた。そうしたら私の犬は心なしか前より足の具合が若干良くなり、幾分元気になった様に思う。
 
 私は今回、非常に大事な事を教えられたと思う。というのは私を含め、現代人は非常に忙しく、せわしなく時間に追われ、一つのことをじっくり味わいながら心を込めて行うという事が無くなって来ているのではないかと思うのである。それはそのものごとに対して愛情を掛けてやらないということであり、そうする中、自分自身の心も荒涼としたものになり、引いては鬱病みたいな事になって行くのではないか。
 現代人に鬱病などの心の病気が多いのもそうした愛情不足、一つのことに対してじっくり味わいながらやって行くという心の余裕を失って来ているということに起因しているのではないかと思う。

 堀 浩二
by koujihori | 2005-04-13 12:19 | Trackback | Comments(2)