<   2006年 03月 ( 15 )   > この月の画像一覧

夫婦調和の鍵

 この頃、熟年離婚という言葉がけっこう流行っている。「熟年離婚」というテレビ番組が数ヶ月前にやっていて、その影響もあるらしいが、実際に定年を迎えたら、奥さんに離婚を要求されたなんていう夫の話はよく聞く。

 私の友人にも数件、離婚した人達がいる。話を聞いていると生活のすれ違いというのが彼らに共通した問題で、離婚する夫婦というのは突然別れるのではなく、離婚するまでの数年間はもう殆ど、生活がすれ違っていて、余暇とか休日などもバラバラに過ごしている。
 つまり形の離婚という事が起こって来る前に、もう既に心が別れた状態が数年続くというのが離婚する夫婦のパターンの様である。

 離婚するというのはどちらか一方的に非があるというのではなく、夫婦お互い様の所があると思う。大抵は妻が夫の愛情を受け入れず、性生活も拒否する様になったり、夫に笑顔一つ向けなくなったりする事で夫がその寂しさに耐えきれず、外に女を作ったりするケースが多いと思う。
 
 性生活がうまく行かないというのはこれは夫婦に取って重要な問題で、夫婦の心がバラバラになっている陰にはこの問題が多くの場合、存在する様である。
 だから、生長の家創始者、谷口雅春先生は「新しい結婚」という御著書で夫婦の性生活がうまく行く事の重要性を説かれ、その実際のやり方まで細かく、お説きになっている部分さえあるのである。
 先生としてはそんな事をお書きになるのは顔から火が出る位恥ずかしかった様で御著書の中でこんな事を書くのは本当に恥ずかしいが夫婦の幸福の為にあえて自分は勇気を振り絞って書くのであると自ら仰っている。

 そのように夫婦の性生活が当たり前にお互い悦びの中でなされるというのは大事な事であり、近頃はまだ30代の若夫婦なのにもう数ヶ月もセックスをしてないなんていうセックスレスの夫婦も多いが、これはゆゆしき問題であると思う。

 夫婦というものは一番心を許せる相手、自分が最も自分らしくなれる相手であり、だからお互い夫婦になったのであるが、それが空気みたいに当たり前になって、ただ甘えるだけの緊張感の全然無い関係になるのは良くないと思う。
 甘えて自分の我(が)を出しまくり、心を乱して、相手に要求するばかりだから駄目になるのだと思う。

 夫婦調和の鍵は相手に求めず、甘えず、奪わず、相手に思いやりを持ち、自制心を持って、接するという事である。夫婦はお互い鏡であるから、こちらが相手に思いやりを持てば、相手もこちらに思いやりを持ってくれて円満な関係が保てるのである。
 そうすれば夫婦の性生活もお互い思いやりを持って工夫もされて悦びのあるものになり、夫婦円満になって行くと思う。

堀 浩二
by koujihori | 2006-03-30 06:07 | 家庭生活 | Trackback(2) | Comments(0)

「出来る」ということ

 私は英会話とテニスをやっていて、長年やっているのに今ひとつ成果が上がらない事を発見したのである。それぞれ始めてからテニスはもう26年、英会話は14年になる。
 今までは年月を重ねれば、経験を積めば、訓練をやり込んでいけば、いつかは上達する、上手くなる、出来る様になると思っていたが、いくらやっても常にあれが上手くいかない、ここが出来ないという課題ばかり出て来て、うだつが上がらないのである。

 しかし、私はある時、気が付いたのである。私は今、「そのままで完全」であったと言う事を。
 この世界は我々の思いがそのまま映っている世界であるから、自分はまだ駄目だと思っていれば、いくら努力した所でやればやるほど駄目になって行くのである。
 
 大人になってから、何か習い事を始めた人が中々上達しないのはそういう事が原因であると思われる。大人は何かを始める時にまず、自分はこの事が出来ない、下手だと自分をみなして、そしてそれを良くする為に練習をするからいつまで経っても出来ないのである。
 
 一方、物心つくかつかない内から始めた子供はそんな風に自分は下手でうまくなろうなんて思わないでただ無垢な心でひたすらやって行くからどんどん上手くなるのである。そして上手くなれば自分は上手いんだと実感するからその思い通りどんどん上手くなる。
 
 だから我々大人も自己限定しないで自分はこのままで上手いんだ、出来るんだと思って、自分のやるべき事をやれば良いのである。何故ならば、この現象世界というものは本当に存在する世界ではなくて、我らの認識が映っているだけに過ぎないものであり、我らの実相、真の姿は今このままで完全円満の神であるからである。
 それを認識して、テニスでも英会話でも今、このままで自分は出来るんだ、上手いんだと思ってやっていけば、その信念通り、今すぐ我らはこれらの事が上手く出来るのであり、そして我らの実相は無限であるから、いくらでも更に上手くなるのである。
 
 自分はこのままで上手い、出来ると思うという事は何も努力しなくなる事であると思うのは間違いである。自分がこのままで完全で無限力だと思えば、よりよいやり方を自ずと思いついたり、誰かに教えてもらったり、自ずと必要な訓練はしたくなってするのである。

堀 浩二
by koujihori | 2006-03-29 08:51 | 潜在能力 | Trackback | Comments(0)

師について

 私は子供の頃、母親の影響で生長の家に触れた。そして、高校生の時に生長の家の青少年練成会というのを受けて、その教えの真理に感銘を受け、その後、大学生になってから、生長の家青年会という組織に入って、色々活動をやった。
 その活動をする中で自分なりに生長の家の本など読んで生長の家の真理の勉強をやっていった。しかし、今から10年前に完全に行き詰まってしまってどうにもならなくなってしまった。
 しかし、私は神様の導きで生長の家の宇治の道場に導かれ、そこで私の生涯最高の師である榎本恵吾先生の薫陶を受け、生長の家の真理の精髄を学ぶ事が出来、真理の学びの行き詰まりを打破する事が出来た。

 我々は神の子であり、内に無限の叡智を秘めているがそれは現象的に誰の助けも指導も導きも受けないで自分一人の世界に閉じこもって、自分だけでその叡智を発現させて悟る事が出来るというものではない。
 我々の生命は表面の肉体は各自、分かれていてバラバラであるが、その奥にある我々の生命の実相はバラバラに別れたものではなく、宇宙全体に拡がる完全円満の神を通して、自他一体のものであるから、我々の中にある無限の叡智は現象的には他との交わりを通して、人や師に導かれるという現象となって顕れるのである。

 我らは神の子で完全円満で無限の叡智であるという事は現象的に我らがそれぞれおのれ一人の経験と考えのみでその本質の完全円満さ、無限の叡智を発現出来るという意味ではない。
 我らは自他一体であり、教えを学ぶにしても師と弟子との関係の中から会得出来るのである。従って、我らの内なる完全円満さ、無限の叡智と悟りが現象的に発現するのは組織の中で他人と関わり合い、愛行を実行し、師から学ぶ事によって発現するのである。

 従って生長の家の真理を学ぶという事は現在の生長の家の組織の中心者である総裁谷口清超先生・副総裁谷口雅宣先生を通して学ぶというのが基本姿勢である。

堀 浩二
by koujihori | 2006-03-28 06:06 | 信仰 | Trackback | Comments(9)

WBCについて(2)

 周知の通り、昨日、野球世界一決定戦、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)大会で王監督率いる日本チームが10-6で見事難敵キューバを破り、野球初代世界王者に輝いた。本当に素直に嬉しい。
 
 昨日は4回まで6-1でリードして、その後5回表に千葉ロッテの渡辺俊介が出て来た時点でキューバ打線は渡辺を打てまいと思っていた私はもう、これは日本が優勝を勝ち取ったと思い、テレビ観戦をやめ、自分の用事をしていた。
 
 しかし、その後、8回裏で6-5まで追い上げられて、現在もまだキューバの攻撃中だと私に教えてくれる人がいて、いても立ってもいられなくなり、またテレビのスイッチをひねった。そうしたら、その時はリリーフした日本の大塚がキューバの後続を断って、9回表の日本の攻撃が始まる所であった。
 私はほっとしたが6-5の一点差のままで9回裏のキューバの攻撃となると俄然プレッシャーが日本チームにかかると思ったので1点でもいいから追加点が欲しいと思っていた。すると、キューバのまずい守備からランナーが出て、その後、イチローのタイムリーが出て、貴重な追加点が入った。その後、福留、小笠原等の活躍で一挙3点を入れ、10-5と5点もの点差をつけた時点でもう大丈夫だと思った。

 そして、9回裏、最後のキューバの攻撃となり、一点は入れられたものの、大塚が見事、後続を断ち、日本が優勝に輝いた。イチローが「最高のチーム」と日本チームの事を試合後語っていたが、その通り最高のメンバーと王監督の卓越した采配と人徳が今回の優勝の原動力になっていると思う。
 一つの事象が出て来る為にはその原因は一つではなく、色々な要素がからみあって、出て来ると言われるが今回それを本当に実感した。

 日本チームが実力があり、王監督が優れた監督であった事はもちろんだが、前回も述べた様に今回の試合のルールそして、試合の組み合わせ方等、これらはアメリカに有利な様に決勝まで強い相手とアメリカが当たらない様に出来ていたルールだがこれが日本に幸いし、そして、アメリカの思わぬ2次リーグ敗退、そしてその影にはもっと細かい結果的に日本に有利に働いた例の誤審事件等があったお陰で、日本は決勝まで駒を進め、そして、優勝した。

 今回、最優秀選手賞は西武の松坂大輔投手が選ばれたが私は何と言っても日本優勝の殊勲者はイチローだと思う。
 何故なら、大リーグを含めた世界の強豪を相手にするのに大リーグで成功し不動の地位を確立しているイチローが日本チームに居て、牽引してくれたお陰で、他の日本選手も自分達も十分、世界を相手にしてやれるんだという気持ちで臆することなく、この大会で戦える事が出来たと思う。
 その自信が各選手が自己限定せずにおのれの潜在能力を最大限に発揮させる事になったと思う。

 組織論でよく言われる事であるが、組織が大きな力を発揮するには一人のずば抜けたメンバーがそこに加わっているとその人に引っ張られて、全体の力が上がって行くのである。今回はその典型的例であると思う。

 よく、日本人プロ野球選手がどんどんメジャーリーグに進出して行くのを日本野球の衰退につながるとしてそれを良く言わない評論家もいるが、今回、そんな事は決してないという事が証明された。イチローは本当に愛国心をもって、日本の為に懸命に戦ってくれたし、それに日本チーム全体が触発され、引っ張られた。

 おのれの才能を信じ、追求してどんどん世界を舞台に力を発揮するという事はこの様にその人だけでなく、結局、祖国の為になり、また海外に出て行く事で逆により日本を意識する様になり愛国心も育って行くのである。
 だから、その他の日本の若者もおのれの力を信じて、自己限定しないでどんどん世界を舞台に活躍してもらいたいと思う。それが結局、日本の為、引いては世界の為になると思う。

 今回はたまたま野球という勝負事で世界一になったが今後は世界平和、環境保護の為にも日本の若者は生長の家の教えにある通り「人間神の子無限力」という真理を信じ、実行して、どんどん世界を舞台に活躍してもらいたい。それが世界平和の為になると思う。

堀 浩二
by koujihori | 2006-03-22 08:26 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

WBCについて

 昨日、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)野球世界一決定戦、準決勝で日本は6-0で宿敵韓国を破り、見事決勝進出を果たした。相手は過去、オリンピック金メダル3個のキューバである。

 ともかく、野球世界一決定戦で日本が決勝に進出出来た事は日本人として喜びに耐えない。昨日も福留選手が七回にツーランホームランを打って2-0とした時は狂喜乱舞した。
 韓国国民のファンはこの恨みはサッカーワールドカップで晴らすとか日本は運が良かったから勝てたとか言っていた人がテレビで紹介されていたが、韓国チームの金寅植監督は「日本チームは最も組織化されたチームで野球の質は自分達より上」と負け惜しみを言わず、潔く日本チームを讃えた態度は素晴らしいと思う。
 
 決勝で対戦するチームは両チームとも日本のイチローや大塚を除き、全て大リーグ所属の選手ではなく、日本プロ野球、キューバではナショナルリーグで活躍している選手ばかりであるというのも面白い。
 この大会について私なりの感想を一言。これは聞くところによると最初からアメリカによるアメリカの為の大会だった様でルールも試合の組み合わせ方も全て、アメリカが優勝する様に出来ていた様である。
 2次リーグではアメリカは強敵のキューバ、ドミニカとは別の組になっているし、準決勝でもその相手と当たらない様に出来ていた。
 しかし、その組み合わせのお陰とアメリカ自体が思った程強くなかった事が幸いして日本が決勝に進出出来た感じである。
 
 私は明日のキューバ戦は下手投げのロッテの渡辺が投げれば、充分勝機があると思う。そうなると初代野球世界一は大リーガーが殆ど居ない日本プロ野球選手ばかりの日本チームがなるという事になる。

 これはもちろん嬉しい事である。しかし、それと同時に私はアメリカの凋落というのをちょっと感じざるを得ない。そもそも最初から自分達を世界一にする為に色々ルールから試合の組み合わせまで決めるなんていう姑息な行為自体が、アメリカの自信の無さを感じさせるし、またご存知の様に2次リーグでの二度にわたる疑惑の判定、そしてそれでも準決勝に進めなかったという現実はアメリカの凋落を如実に現しているのではないかと思う。

 堀 浩二
by koujihori | 2006-03-20 08:27 | スポーツ | Trackback(2) | Comments(0)

明るい人

 今の私を直接知る人はちょっと信じ難いと思うが、私は昔、暗い人間だったのである。大学の時に一回、社会人になってからも一回、直接、友人や同僚に「お前は暗い。」と真顔で言われた事がある。

 私は子供の頃からちょっと完璧主義の所があり、プラモデルなんかも完璧に一つの部品も欠ける事無く、塗装も完全にやらなくてはならないと思っていたから、プラモデルのキットを買ったはいいが、中々組み立て作業が進まず、そのまま放置されるなんて事もあった。

 また、大学の受験の時も合格という結果を出す事が全てであると思い、余りにもそれにとらわれて、受験勉強をした為に毎日、十時間以上勉強したがそれは本来の勉強になっていなかったと思う。
 勉強というものはじっくり腰を据えて、暗記や計算する事で記憶力、判断力等を高め、脳の力を鍛えて行く事で実力を上げる為にするものであり、試験に良い点を取るのはあくまでその鍛え上げた実力の結果に過ぎない。
 しかしながら、私は大学受験に合格する事が人生の全てみたいに錯覚してしまって、歪んだ勉強の仕方、即ち余りに短期間に無理に知識を自分の頭に詰め込んで何とか結果だけ出そうとするという愚行をしてしまった。
 それは脳の力を鍛える事にならず、逆に酷使する事になるから、それで目先の試験は何とかパス出来るかも知れないが長い目で見て、却って、頭は悪くなり、引いては性格も暗くなる。

 ちょっと話が横道にそれてしまったが、要するに私は完璧主義であったので現象の悪い部分を良くしよう良くしようと思って、人生の悪い部分のみを凝視する様になってしまったのである。
 それで前の日にちょっと嫌な事、人前で醜態をさらして恥をかいたとかそういう自分の失敗を翌朝、起きた時、ふっと思い出した時にいつまでもそれに引っ掛かって落ち込むという事が良くあった。
 そんな事を習慣にしていたから私は段々暗くなってしまったのだと思う。 

 性格が暗くなるのは人生の暗い面ばかりを見ているからである。それは悪い所を良くしようとつかむからである。この現象世界の奥にある本当の世界、実相世界では全ては神により、完全な世界とされ、悪い所など一つもナイという真理を悟らなくてはならない。
 その悟りのある所、現象の光明面のみを観て感謝し、暗黒面を見ないという生活態度となるのである。

 私は幸い生長の家をやっていたのでこの世界が現象的には本当にある世界ではなく、それは我々のものの見方が単に投影されている影の世界に過ぎないという事を知り、本当にある世界は神様の完全円満な世界であり、それは我々があくせく完璧なものにしようとしなくても既に今、ここに、そして我々の中に存在し、我々を完璧に生かして下さっているという事を悟る事が出来たのである。

 そのお陰で私はものごとの暗い面を見ないで明るい面を見て、感謝出来る様になり自ずと明るくなって来たのである。

堀 浩二
by koujihori | 2006-03-17 08:28 | 信仰 | Trackback(7) | Comments(0)

山口県光市母子殺害事件について

 昨日、新聞等で報道されている様に山口県光市母子殺害事件の最高裁の口頭弁論に加害者の弁護士が二人とも欠席するという事態が起こった。

 事件は今から7年前の平成11年に起こり、強姦目的で忍び込んだ18歳の男に当時23歳の母親は強姦された上、殺され、生後11ヶ月の長女もその場で叩き殺されたという余りにも悲惨な事件である。

 最愛の妻と長女を悲惨な事件で一度に失った夫、本村洋さんは1,2審での無期懲役の判決を不服として、司法が犯人を死刑としないならば自分がこの手で犯人を殺すとまで言った。

 そして、検察側の上告となり、昨日に最高裁での口頭弁論が開かれる予定だったが、先に述べたように加害者側の弁護士が欠席するという事態となった。これはその弁護士というのが死刑廃止論者のリーダー的存在であり、今回も5月に裁判長が定年になるのを見越しての審理先延ばし作戦と見られている。
 その事がもし事実であるならばこの弁護士は弁護士という前に人間失格であろう。 

 私の意見としてはこの様な残忍な事件を起こした犯人は死刑にするのが当然と思う。それは自分が相手に対して犯した罪の結果を自分で刈り取るのは余りにも当然と思うし、そうする事によってその犯人の魂の更正にもなると思うからである。(人間は肉体ではないから死んでも魂は死なないのである。)

 この犯人というのが1,2審で死刑を免れ、無期懲役という判決が下りた時、喜んで、友人宛に書いた手紙にはこの様な事が書かれている。それは「無期懲役などというものは実質的には7,8年で出て来れるからラッキーだ。男というものは女を(肉体的に)求め、女は男を同様に求めているんだから、その肉欲を満たすのが何で悪い。いいじゃないか。」という内容のものであった。
 つまり、この犯人は未だ何も自分の犯した事の重大さを認識せず、反省していない様である。

 かつて、オウム真理教が地下鉄サリン事件他数々の重大な反社会的事件を起こした時、その首謀者である麻原彰晃を当然の事だが日本中の人が極悪人と非難した。しかし、生長の家総裁谷口清超先生は「彼は真理を知らないだけなんですよ。」と仰ったのである。

  悪い事、残酷な事を平気でやる人間は真理を知らないだけである。人間が神の子で尊い生命であるという事を知らず、ただの物質の塊であると思い、その肉欲を満たす事こそ最善の事であり、その為には物質に過ぎない相手を殺しても何しても良いと思っているのである。

 だから、本来完全円満で無限の善である人間が平気で悪を犯すのである。この現象の世界は本当にある世界ではなく、我々の認識が映っている世界であるからである。

堀 浩二
by koujihori | 2006-03-15 08:29 | Trackback | Comments(0)

スローライフ

 スローライフの大事さという事が提唱されて来ている。現代人は忙しすぎるのでもう少し、一つ一つの事をゆっくりやるという事を心掛けるべしという事である。

 我々は生きていく為には色々な能力を発揮しなくてはいけない。また、発揮したいと念願している。仕事も出来る様になりたいし、スポーツやその他趣味でも力を発揮したい。
 しかし、色々な事を早くこなさなくてはならないと思ってそそくさとぞんざいにものごとをやって行くと心ここにあらずという事になるから、自分が今した事を憶えていなかったり、ぞんざいにやっているので一つ一つの事が心を込められおらず、その為、その事に関するきちんとした地道な訓練を怠っている事になり、段々と仕事の質も落ちて来る事になるのである。そして、段々と記憶力、判断力、その他あらゆる能力が衰えて来る。

 現代人は時間に追われていて、多忙なビジネスマンはもちろんのこと、主婦でもパートに出たりして、家事もこなさなくてはならないから、その様な人達が今、多くなっていると思う。

 それは自分が神様に生かされているという事、そしてこの世界は宇宙に拡がった神様の全知全能の力により、表面はどうであろうとも結局全てうまく行くという事を知らない人間があくせくしてこの仕事は自分がやらなくてはならない、この問題は自分が解決しなくてはならないと自分に不要なプレッシャーを掛けて、取り越し苦労している所から来ているのである。

 宇宙の全ての事は全知全能、完全円満の神様に完全に秩序立てられて運行しているのにそれを信用せずに「オレが、オレが」と思うものだから、今、目の前の事を心を込めて一つ、一つ丁寧にやって行くという事が出来ずにあくせくして、心ここにあらずという事になってしまうのである。

 我々は正しい信仰を持ち、この現象の世界は我々の認識が単に映っているだけの本来存在しない世界であり、本当にある世界は神様に支えられ、生かされている完全円満の世界であるという事を認識しなくてはならない。

 そして、神様に全託して、結果を求めず、今、目の前の事にゆっくり丁寧に自分に出来る簡単な事から一つ一つ心を込めてやって行くがよいのである。
 そうして行く内に今に対する集中力が高まり、必然的に記憶力、判断力も上がり、一つ一つの行動、やる事に関する地道な訓練をやって行く事になるから能力も高まり、段々とレベルの高い事も出来る様になり、心は自信と安心に満たされて行く。

堀 浩二
by koujihori | 2006-03-14 08:23 | 潜在能力 | Trackback | Comments(3)

君子危うきに近寄らず

 この世界には現在、商業主義がはびこり、少しでも金を儲けてやろう、利益を上げてやろうとして、その為には手段は問わないという輩が沢山いる。それでやたらと自分の所の商品を売りつける為のダイレクトメールを送りつけて来たりして、その為の紙資源の浪費は目を覆いたくなる。

 そして、雑誌、映画等では売れればいい、ヒットすればいいという事で男の性欲を刺激して、少しでも売上を伸ばそうと卑猥な映画や卑猥な雑誌、漫画等が巷にすぐ手の届く所に溢れている。
 健康な男性であるなら、こうした卑猥な映画とか官能的な美人の裸体の写真などに刺激を受けるに決まっているのであり、こうしたものに興味を示さない男が居たらそれは健康でないか男色の者であろう。

 だから、私は自分が男としてこうした卑猥な雑誌とか映画とかに興味を持つのは健康な証拠であるから別にそれはいいのだと思っていた。却ってそんなものを自分から遠ざけるのは不自然だと思っていたのである。

 でも、さっきまで崇高な人生の目的とか神様の世界の素晴らしさに感銘していたのにそうした卑猥な雑誌を本屋でちょっとかいま見たり、レンタルビデオショップでそうした卑猥な映画のビデオがちょっと棚にあったりすると神様の事なんてすっかり忘れてそうしたものに引きつけられる自分がいるのである。そして、心を乱してしまうのである。

 「君子危うきに近寄らず」という言葉がある。我慢はいけない、何でも自然がいいのだと言って、恐ろしいもの、卑猥なものにめったやたらに近づくとやはりろくな事にならないのである。

 なるべく自分の心を乱すもの、暗くさせるもの、卑猥な気持ちにさせるものには近づかないようにするのが懸命である。

 私が推測するにキリストや釈迦や谷口雅春先生など聖人と言われる人達はその様にしてそうした卑猥な気持ちにさせるものを自分から遠ざけていたのではないかと思うのである。

堀 浩二

 

 
by koujihori | 2006-03-13 08:29 | 家庭生活 | Trackback(1) | Comments(0)

必殺技

 テニスに勝つには武器が必要である。テニスに限らず、その他のスポーツでもその選手の必殺技とも言える、決定的な武器が必要であり、これがあると絶対的に有利である。

 例えば、30年位前のプロボクシング世界ヘビー級チャンピオンだったアメリカのジョー・フレイジャーという選手は強烈な左フックが武器でこれでモハメド・アリ他数々の強力なライバルをダウンさせた。
 また、テニスのジョン・マッケンローは左利きからの鋭いスライスサーブで相手をコートから追い出し、ボレーを決めるというやり方で得点を稼いだ。

 この様にアスリート達は自分の絶対的な武器を持ち、これを中心にしてゲームを組み立て、勝利する事が出来るのである。
 
 私も口はばったいが会社の昼休みに毎日やっている卓球で同様の体験をした。私は入社以来、20年近く、毎日昼休みは会社の仲間と卓球をやっているが、どうも最近勝率が悪くて、余り勝てなくなっていた。遊びと言えども、力を発揮したいのは人情である。
 フォアハンドでスマッシュする時、どうもアウトとかネットが多くてそれが苦手意識になっていたが、フォアハンドを打つ時、手首の巻き込み方が不足しているのが原因ではないかと最近ふっと気が付き、それを改善したら大部スマッシュが決まるようになったのである。

 それでフォアハンドのスマッシュが私の武器になり、得点をどんどん稼げるようになった。そうしたら自信が出て来てバックハンドとかサーブとかの他のショットも以前より良くなって来た。

 この様に自分の得意な武器を持てば、他の事も自信が出来、どんどん力を発揮出来るのである。

 我らは神の子であるから、内に神の完全円満な生命を内蔵している。従って、その素晴らしさが何らかの形でその人に表現されているのである。それはその人でなくてはならない他の人に真似の出来ない素晴らしい特性である。

 ある一つの事に執着して自分と他人と比較して「自分はあの人より駄目だ。出来ない。」と思わずに自分には自分にしかない素晴らしい神から与えられた特性があるのだから、それを発見し、その自分の素晴らしさを見つめ、それを伸ばすようにするが良いのである。そうした自分の「武器」を見つけ、磨く事で自分に自信が出来、そうするとそれが他の事にもいい影響を与えて、他の事もどんどん伸びて行くのである。

堀 浩二
by koujihori | 2006-03-10 12:14 | 潜在能力 | Trackback(2) | Comments(0)