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問題が教えてくれるもの

 私の生涯の恩師である榎本恵吾先生は生前、よく講話の中でこう仰っていた。「体のどこかの具合が悪くなった時、例えば、頭の病気になった時は頭に象徴される自分の親とか先祖に対する感謝が足りないから心を入れ替えて感謝しろ、と生長の家では教えられるけれども、それは感謝の出来ない自分が悪いという事ではなく、自分の体の中で具合の悪くなった部分に象徴される、例えばそれが頭ならそれに象徴される相手は親とか先祖であるが、その相手が『ここにいるよ。いつもここに離れずにいるよ。』という事を教えてくれているのである。」と。
 
 肉体のどこかが具合悪い時はその肉体とその肉体に象徴される相手に対する感謝が足りないのである。しかし、それは逆に如何にその肉体が元々有り難いか、そして、その肉体に象徴される相手がそのままで有り難いかという事を教えてくれているのである。
 先祖に対しても先祖に対する感謝を忘れている事で何かそれを教えてくれる様な問題が子孫に起こって来る事がある。それで先祖供養が大事だから供養致しましょうという事になるが、実はその事で先祖は元々そのままで有り難い御存在であったという事を子孫に教えてくれているのである。その事に気付く事が大事であり、形の先祖供養は後からついて来るものである。

堀 浩二

What a hardship teachs you.

My best teacher of my life,Rev. Keigo Enomoto ever taught that if some parts of your body become worse, you would be taught you should thank someone who is symbolized to the parts which become worse of your body, for example your head symbolized your parents or anscestor, because if our thanksness is not enough to a person who is symbolize to the parts which become worse the parts of your body would become worse, in Seicho-no-ie. But, to tell the truth, the parts which become worse on surface teach you that the someone who is symbolize to the parts which become worse tell you that you and the someone are not devided and that the someone is here,for example when your head which symbolize your parents or your anscestor become worse, your parents or your anscestor teach you that your parents is here and that you and your parents is not devided.

If some parts of your body become worse, your thanksness to whom is symbolized to the parts of your body is not enough, But the parts which symbolized someone teach you that the parts of your body is so valuable and that the person who is symbolize to the parts of your body is so important.
If you forget a thanksness to your anscestor, some hardship which teach you that your anscestor is so important would happen. So you would be taught that you should hold a memorial service for your anscestor by Seicho-no-ie. But, to tell the truth, most important thing is that you realize that your anscestor is so valuable and so important to you by the hardship. The rituals of memorial service is the consequence of your heartfull thanksness to your anscestor.

Kohji Hori
by koujihori | 2007-03-29 11:47 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

世界フィギュアを観て

 24日の土曜日、世界フィギュアスケート選手権の最終日、女子フリーの演技があり、安藤美姫が見事、逆転で優勝した。前日の23日のショートプログラムでは韓国のヨナ・キム選手がダントツのトップで、安藤美姫は2位であった。安藤と並ぶ日本のエース、浅田真央選手はジャンプに失敗し、5位と大幅に出遅れた。1位のキム選手と浅田選手とはショートプログラムが終わった時点で10点以上も差をつけられたのである。

 そして、翌日のフリーの演技では何かリンクに異様な雰囲気があった様でジャンプに失敗して転倒する選手が相次いだ。そして、最終組6人の演技が始まり、キム選手までが2回もジャンプで転倒する失敗をした。
 それでもその時点でキム選手がトップであったが、その直後に演技した浅田真央選手がほぼノーミスの素晴らしい演技をして、何とキム選手を逆転して、トップに躍り出た。浅田選手はこの大舞台で自分の最高の演技が出来て、演技が終わった瞬間にもう涙を流して悦んでいた。そして、マスコミのインタビューに答えた時もほぼ自分の優勝を確信したかの様に喜んでいた。そして、最後に演技する安藤美姫選手の結果待ちという事になったのだが、浅田選手を始め、殆どの人が浅田選手の優勝はもう決まりと思ったと思う。
 しかし、安藤選手は着実に優勝を狙う為に得意の4回転ジャンプを封印し、3回転とし、そして、去年のトリノオリンピックの時とは見違える程、シャープな動きを見せ、完璧な演技を見せた。そして、何と浅田選手と0.64ポイント差の僅差で見事に優勝した。安藤選手は試合後のインタビューでこの一年は本当につらい事があったが、コーチを始め、家族や友人の支えで優勝出来たという事を素直に感涙にむせびながらその悦びを語っていた。
 これで安藤選手が金メダル、浅田選手が銀メダルと世界フィギュアで日本人が金銀両方取ったのは史上初という日本人に取っては大変、嬉しい結果となった。
 浅田選手はマスコミに銀メダルを取った感想を聞かれて、「嬉しいです。」と答えていたが、私は彼女はおそらく相当くやしい思いをしていると思う。ショートで5位であったのにフリーで最高の演技をする事が出来て、10点差以上あった1位のキム選手を逆転して、もう天にも昇る気持ちであったろうに、それを金メダルを後から演技した安藤選手に持って行かれたのだから。

 でも去年のトリノオリンピックの時に荒川静香選手が金メダルを獲得した時もそうであったが、荒川選手自身が本当に自分をコントロールして、見事な演技をして優勝したが、他の優勝候補のコーエン選手とスルツカヤ選手が転倒せず、本来の演技をしていたら荒川選手の優勝は無かったはずである。今回も浅田選手がショートで失敗していなかったら、浅田選手が優勝していたと思う。
 だから、私はこの競技は、というよりもスポーツはどれもそうだと思うが、人と較べてどうこう思うのは本来の姿ではないと思うのである。金メダルとか相手に勝つとかという事にこだわると相手の不幸とか失敗を喜ぶ事になってしまうからだ。
 試合で相手に勝つとか順位などはあくまで結果であり、大事なのは自分に勝って、自分としての最高の演技、パフォーマンスが出来るという事であり、その事こそが価値があるのである。
 要するに人と競って、その相手より勝る事に価値があるのではなく、自分の努力と忍耐により過去の自分より、どれだけ現在の自分が生長出来たかという事が問題であると思う。例え、相手より成績は良くなくて破れたとしても、過去の自分よりこれだけ進歩して、力を発揮する事が出来たという事が価値があるのである。

堀 浩二

Seeing the world competition of figure skating

A free style competition of woman of the world competition of figure skating was held in a Tokyo at 24th this month. Ms.Miki Ando won at the competition. At short program in 23th Ms.Yona Kim ,Korean was top rank,Ms, Ando was second rank. Ms. Mao Asada was 5th rank because she failed in jumping. The difference of point between Ms.Yona and Ms.Ando was more than 10 points.

Next day, there seemed to be a some strange atmosphere in the rink. So almost skater fell down when they finish a jump. Then last 6 competetor began to skate, and Ms.Kim also fell down two times.
When Ms.Kim finished her skating, her score was still top rank among all skater who finished their skating. But, next skater, Ms.asada overcame Ms.Kim by her excellent skating which was almost perfect. As Ms.Asada was able to do excellent performance at the big event, she expressed her enoumous joyfulness with crying when she finished her performance.
And she seemed to be almost convinced of her victory of the competition when she was received a interview of a anouncer of TV. Even though Ms.Ando didn't skate yet. Almost people including Ms.Asasa thought that Ms.Asada might win at this competition.
But, Ms. Ando chose 3spin jump instead of 4spin jump which is a secret weapon of hers to get point surely. She showed a excellent perfomance. Her motion was very sharp compared hers in Trino orimpic. So she overcame Ms.Asada. Her score was sperior to Ms.Asada by only 0.64 points. Ms.Ando said that she suffered from several troubles this year and that nontheless she was able to win this competition thanks to helping of family and to teaching of coach as she cried with a joyfulness.

Thanks to Ms.Ando and Ms.Asada, Japan was able to get not only gold medal but also silver medal. Its a pleasant thing to Japanese people.
Ms.Asada said she was happy when she was asked what does she think about getting a silver medal by an TV announcer. But I suppose that she may feel so sorry. Because she was robbed a gold medal by Ms.Ando who skated later than her,though she was able to overcome Ms,Kim who lead her by more than 10 point, by doing excellent performabnce.

 When Ms.Shizuka Arakawa got a gold medal in Trino orimpic, she controlled herself very well.In the consequence, she won the competition. But, if the other skaters Ms.Slutskaya,Ms.Cohen who were reckoned to get a gold medal didn't mistake, Ms.Arakawa may not win. In the world figure skating competition in this year, if Ms.Asada didn't mistake at short program, she may win the competition.
So you should not mind the result of a competition by comparing yourself with other person. If you insist on getting a gold medal, you would become a person who desire a other's fault.
Being able to get a gold medal is only a consequence of your effort. Most important thing is growth of yourself compared with past yourself by your effort and patience.

Kohji Hori
by koujihori | 2007-03-26 10:24 | スポーツ | Trackback(2) | Comments(0)

生長とは

 私はテニスと英会話を練習する中でつくづく感じるのは生長するという事はどういうい事かという事である。
 何か、稽古事をする上で上達、進歩する為には言うまでも無く、訓練が必要である。訓練は反復練習でもあり、テニスなら素振り練習をしたり、英会話だったらヒアリング練習を繰り返しする事で段々とそれが潜在意識に刻印されて行って、今まで出来なかった事が容易に出来る様になる。現在意識による繰り返し練習によって、それが意識の95%を占めると言われる潜在意識にその訓練が刻印されて行くことにより、上達して行くのである。
 しかし、本当の生長という事は繰り返し訓練を重ねて、自分の潜在意識に刻印して行く事そのものではない。それはあくまでも結果である。我々の中にあるこのままで既に完全円満な神の生命を発見して行く事が生長である。それは我々の中の神の生命が自分で出て来るという事でもある。
 
 我々は肉体ではなく、神の子であり、その神の子の生命は冒頭で触れた現在意識(気が付いている心、表面に出ている心、意識全体の5%)やその下部に隠れて存在している潜在意識(無意識の心、意識全体の95%)である我々の意識をも超える本当の実在である。
 肉体も意識も真実の存在ではなく、真実の存在は肉体と意識の奥に存在する神の生命である。それが我々の本体であり、それは完全円満、無限力である。それは訓練を重ねて将来そうなるのではなく、宇宙の始めから既に完全円満であり、無限力である。それを生長の家では実相生命と呼んでいる。
 我々の人生はその完全円満な自己の実相生命を内に発見してそれを表現する為にある。そして、我々の生長というのはその自己の中にあるそのままで完全円満な実相生命を発見して行く事である。
 そのままで完全な実相生命を本当に発見するという事は生活における具体的な課題を題材として発見して行く事である。ある習い事のこの事が具体的に出来た、この仕事をついに成功し、やり遂げたという事が自分の中の完全円満な実相生命を具体的に発見して行く事である。
 
 私はテニスラケットを初めて握ったのは27年前だが、その後、腰を入れてテニスをやっていなかった。だが、10年前に気を入れてやりだした。そして、毎日素振り練習をし、テニススクールに通い、また月に一回はシングルスのトーナメントに武者修行の為にエントリーして来た。
 でも、これだけ努力しているのに拘わらず、ここ数年、却って、下手になって来ている様な気がしていた。これは自分の年齢から来る衰えかとも思っていたが、ライバル達はどんどん強くなっているのに自分は強くならないどころかその逆ではないかと思っていたのである。
 しかし、私は諦めず、練習をやり続け、試合に挑戦し続けた。そして、一ヶ月位前に大発見をしたのである。それは私が如何に結果ばかり追い求めて、目の前の事に集中してやっていなかったかという事であった。
 
 野球のバッティングでは打ってやろうと力むと上半身に力が入り、顎が上がり、体も開いてヒットを打つ事は出来ない。今、目の前のボールに集中して、ボールがバットに当たるまで凝視する事でヘッドアップが無くなり、体も開かず、効果的にボールをとらえ、ヒットを打つ事が出来る。
 
 テニスでボールを打つのも全く同じである。テニスの試合で相手に勝ってやろう、このポイントを何としてもきめてやろうと気がせくと駄目である。結果は神様にお任せして、ひたすら目の前のボールやその他必要な事に心のピントを集中させる事である。そうすると自ずと自分の中の本能的な運動能力と判断力が発動されて、効果的なボールを相手に打ち返す事が出来、結果的に試合に勝てるのである。
 私はこの事に気が付いてから今までの数年間、徐々に下手になって来たテニスが一挙に格段に進歩、上達する事が出来た。その他、色々なテクニック的な部分でも自ずとこうしたらいいという発見があるが、これは自分の中に既にある無限力、神の技を私が失敗経験など様々な試行錯誤を繰り返す中で発見して行っているのである。
 そのままで既に自分の中にある完全円満な生命、無限力の一つ一つの技を発見して行く事により、それ以降はその力を自ずと使う様になるから、結果的にどんどん効果的な反復訓練をして行くことにもなり、それでどんどん上達して行くのである。
 繰り返し言うが我々の生長、進歩というのはただ繰り返し訓練するという事でなく、色々な生活上の課題や稽古事を通して、自分の中にそのままで既に完全円満、無限力の生命や力を具体的に発見して行く事である。
 
 しかし、その為には根気強く、一つの事を徹底してやって行く事が大事である。だから、表面だけかじって、次々と色々な事を渡り歩いたり、あと一歩頑張れば、コツがつかめる又は問題の解決の糸口が見つかるというのにもう駄目だと思って、その直前で諦めてしまう様では駄目なのである。

堀 浩二


What is growth?

I often think what is growth during playing tennis and studying English conversation.
Naturally, You need practice if you want to be good at anything. The practice is repeat practice. For example,as for playing tennis you need repeat practice of swing, and as for English conversation, you need repeat practice of hearing English. By thus repeat practice, you can impress some practice image on your underconciouness. By this traing, you become being good at anything.
But,real growth is not impression on your underconciousness by your repeat practice. The impression is only consequence of your real growth. Real growth is discovering of a life of God which is already perfect in your inside. That is also that a life of God in your inside appears automatically.

You are not flesh but a son of God. The life of son of God is true existence beyond your fresh, your conciousness and your underconciousness.
Your conciousness,your underconciousness and your flesh are not true existence. Only a life of God exists beyond your body, conciousness and underconciousness. The life of God is your identity. That's infinitive power, perfect. The true existence is not consequence of your training. That's already perfect from very beginning of cosmos. In Seicho-no-ie the perfect life is called “truth of life”
Your purpose of your life is discovering “truth of life”and expressing “truth of life”. And your growth is to discover “truth of life”.
You can discover your “truth of life”by your actural experrience of your life. When you can achieve some hard work or your some skill of some sports become better than your past, you can discover your “truth of life” concretely.

 I began to play tennis 27years ago, but, after that I had been playing tennis intensively until ten years ago. But I began to play tennis intensively from ten years ago. I am doing a swing practice of tennis every day. I correspond a tennis school every week and challenge a singles tennis tounament every month.
But, I had been feeling that my skill of tennis became worse and terrible. I supposed that my exacise ability became inferior by my aging. Though my ribal became strong, my ability of playing tennis had been becoming worse and horrible.
But, I didn't give up. I continued to do practice and challenge a tournament of tennis. Eventually, I discovered very important fact. That was that I did not consentrate on the thing which is in the front of me and that I only seeked the consequence which is victory of a game.

As for batting of baseball,if you are going to hit the ball, you would strain yourself too much, your head would turn up and your body would be opened. If you consentrate on the ball in front of you, you could see the ball until a ball contact a bat, and you could hit the ball effectively.

Thus, you could hit a tennis ball. If you are going to beat your opponent or you are going to get a point excessively, you would lose a game. You should depend on God perfectly as for a consequence of a game. And you should consentrate on a ball or on a thing which you should consentrate. So your decition and ability of exercise would become excellent. And you could win the game in the consequence.
From realizing this truth, my tennis skill which had been becoming worse gradually became excellent. There is not only this realization but also other several points which have been becaming good. These improvement of my skill is based on discovering of my infinite power in my inside during my fault experience.
If you discover your inside talent which is already perfect, you could use the power naturally. So you would become to practice the skill repeatedly automatically. As a result, the skill which you discoverd would grow so much.
Your growth is not impression on underconciousness by repeat training but discovering your infinitive talent in your inside through various expererience of your life.

To discover your infinitive and execelent talent,you need to continue effort on one thing. So you should not do several thing by halves but continue to dig one thing deeply. You should not give up your life until you find out a resolution of your problem.

Kohji Hori
by koujihori | 2007-03-19 10:48 | 潜在能力 | Trackback | Comments(0)

一切は師である。

 我が社では現在、新入社員を募集しており、その応募者を面接するのが私の役目であるので、先日もある応募者の面接をした。
 その人物はきさくな感じの人物で良い第一印象であった。そして、履歴書を見たら、ある神道系の新興宗教の学校に通っていた事があり、それを履歴書に記載しているのである。それでそこの宗教のパンフレットまで私に見せてくれた。
 私は自分が生長の家で他の宗教に理解があるからいいもののこんな事を履歴書に書いたり、面接官にその宗教のパンフレットなんか見せたら就職の時に却って不利だろうと思いつつ、その人がどんな信仰を持っているかと知りたくて、その宗教の教義とか内容とか歴史について色々とその応募者に質問してみた。そうしたら、中々立派な宗教で生長の家の説く所と大部分一致するのである。
 そして、そのパンフレットに書かれている文章をじっくり読んで見た。そうしたらそこには現代の問題である「いじめ」について書かれており、いじめを受けるのは自分に我が儘な心があるのをいじめっ子が教えてくれているのであって、いじめを受けるのは自分に責任があると書いてあったのである。
 私はその時、ハッと思った。実はその朝、自分のこのブログを開いて見たら、誰かが匿名のコメントを十件以上送って来てあったのである。何だろうと思ったら、それは嫌がらせのコメントで「死ね」だの滅茶苦茶な事が書いてあった。その発信日付を見たらその日の早朝の6時位に集中して連続で送られて来ているのであった。私は「これが良く問題になっているいわゆるインターネットブウリング(インターネットによるいじめ)か。」と思った。詳細はここでは伏せるがある理由でこれにはかなりショックを受けた。
  
 そんな事があって、そのすぐ後にその面接があり、そして、既に述べた様にその人の持ってきた宗教のパンフレットに目を通して、「いじめ」に関するその文章に出会ったのである。
 そこで私は一気に気が付いた。「ああ、今朝の私のブログに来ていた嫌がらせのコメントは私の我が儘の心の映しであり、その事を教えてくれるものであった。」と。

 私はその当時、色々な不満や疑心暗鬼や怒りが頭をよぎる事が多かった。私はどちらかと言うと生まれついてより我(が)が強く、「絶対こうでなくてはならぬ。」という考えが強かったのである。それは良い言い方をすれば正義感が強いという事にもなるが、悪い言い方をすれば、我が儘という事である。それで自分が理想とする状態を心に描き、他人にそれを押し付ける気持ちがまだかなり残っていたのだと思う。だから、他人が自分の思うとおりの正しい事をしていないと腹が立って仕方が無く、私は割合、態度に出る方だから、会社の人などもそれを感じていたと思う。
 しかし、それは「そのまま」を信頼せず、拒絶し、絶対こうでなくてはならぬと頑張る自己限定であり、我(が)の心であった。それでそうでない相手の態度、周りの情勢などがあるとそれを受け入れられず、不満に思ったり、それが相手への怒りの感情になるのであり、またそれは不安にもつながるのである。

 我々は本来、何時如何なる時も恵まれているのである。表面が自分の思い通りにならないからと言って、不足を言ってはならないし、どんな事になろうともそれは神様が自分に取って、最も良くして下さる為の御計画なのである。表面を見て、不足を言うのが我が儘である。その事が私はまだ良く分かっていなかったのである。

冒頭に述べたその応募者は腰が悪いという事で結局、辞退して来た。しかし、その人はまさしく私の魂を救う為に神様が遣わした使者であったのである。
 私はその時の経験以外にも実にあらゆる所で偶然に現在の自分の状態に最も適したとてつもない貴重な教訓に出会う事が良くある。それは勿論、生長の家の本であったり、生長の家でなくても今回の様な他宗教や友人達の何気ない一言であったり、事象であったりする。要するにこの世界は単なる物質世界でなくて今、このままで一切の森羅万象がそのまま神の教えであり教訓であるのである。それは私のみに限らない。全ての人に取ってそうなのである。問題はそれを素直に受け取るかどうかだけであると思う。

堀 浩二


Everything is your teacher.

Our company is looking for a new employee, as I charge the role of interviewing a applicant, I interviewed some applicant a couple of days ago.
The applicant whom I interviewed was a cheerful person, and his first impression was good. And he wrote his some career that he corresponded to some school which was some shinto-style new religion school in his resume. And he showed me a brochure of the religion.
As I thought that he maybe became bein disadvantaged in such a style when he tried to get a job, I asked some question about the religion, for examle.the doctrine, the history to know his belief.
So I could see the religion was a good and excellent, and the doctrine was almost the same as Seicho-no-ie.
And I read the statements on the brousure of the religion. In the brouchure, some teaching was written, it said that if you would be bullied by others, you must be egoistic,and the person who bully you teachs you that you have a egoistic mind, so you have a responsibility of being bullied.
At that time I was enlighten of something. To tell the truth, in the morning of the day, I found more than 10 coments in my blog. Those coments were slander coment. It said You should die! or something horrible. Those coments were written continuously about 6:00am in the morinig. I thought that such a coments were famous for a big ploblem in the society, it was so called “internet bulling”. And I was shocked with that in that some reason.

After that I interviewed a applicant whom I already mentioned on the top of this statement. As I mentioned already, I read some teaching that you have a responsibility of being bullied; of the religion.
At that time, I realized that the bulling coments which I received in the morning were a reflection of my egoistic mind.

At that time, I was a in some melancholic condition , for example complaints about something, doubting others , angring my collegur. My charactor had a tendency of ego from my birth, I had a thougt that you should be such a condition. That charactor has a not only good phase of loving a rightesness, but also a phase of egoism. So I imaged a ideal image for me, and I had a tendency of pushing others my ideal image. So I got ungly if others do not act as my ideal image. As I had a tendency of expressing my emotion, my collegues of my company would feel about my angry atmosphere.

But, such a style of idea was a not trusting a natural stream of God,and was being rejecting the natural stream of God, was a restriction that you should do in such a way by myself,and was ego of mine. So I couldn't except a other's conduct which not fit my ideal image, and I become get angly to others, and such a emotion became a unease of mine.

To tell the truth,You are given a lot of blessing of God in any time, you should not say a complaint if a surface around you is not like your ideal image of your ego. And if a surface of your circumstances around you would become worse, that's a God's plan that God make your life happy. To say a complaint seeing a suface; is egoistic conduct. At that time I didn't realize that.

After that, the applicant rejected to get a job of my company ,because he didn't have a possibility of doing the job in that he had a pain in his back.
But he was a very messenger of God to save my soul. Besides this experience, I often give a very good leading to solve my problem at that time by God. Naturally it comes often from a book of Seicho-no-ie, but it also comes from other religion and my friends statement so on. Namely every phenomonon around you is a teaching of God. If you have a genuine mind, you could see the teaching.

Kohji Hori
by koujihori | 2007-03-15 11:24 | 信仰 | Trackback(2) | Comments(0)

現象はナイ(3)

 私は以前のある週末、マイナス的思考に陥っていたことがある。金曜日の夜に友人達と飲み会をして、夜中の1時30分頃まで深酒をして、翌日は昼から英会話学校に行ったが、その後、夜7時からテニスのシングルスの試合に臨んだ。
  
 深酒したのは前日の晩だったから、その翌日の夜にはもう二日酔いの影響はないものとたかをくくり、試合に臨んだが、足が思うとおりに動かないのである。テニスでは足が動かなければいいショットが打てないものである。結果は4戦全敗という散々なものであった。
 そして、翌日の日曜はどうも朝から不愉快で仕方が無かった。色々な事、以前、人に言われた事が後から思い出されて、腹が立ったり、人を疑ったりとちょっと疑心暗鬼の様になり、次々とマイナス思考が出て来るのである。 
 そうこうする内にそれは自分自身にも向けられ、自分の過去とか現在の歩みにも疑念が生じて来た。
 と、そこまで来て、私はようやく気が付いた。これは私の脳が単に疲れているだけであると。要するに金曜日に深酒して、コンディションが良くない状態でテニスのシングルスの試合を4セットもやったりして自分でも知らぬ間に頭に疲労が溜まっていたのである。そうなると全ての事がマイナスに感じられるのである。これはマイナスの事象が具体的にあるのではなく、自分が勝手に心で描いていたものであると気が付き、私は本来の自分に戻った。

 「現象はナイ。」これが生長の家の根本真理である。
 我々はアルという事にとらわれて苦しむ事が多い。過去がアル、現象がアル、失敗がアル、世間体がアル、財産がアル、成功がアル等々。過去がアルと思えば、それは自分の過去の失敗に苦しみ続け、その罪の意識にさいなまれ続けるという事になり、世間体がアルと思えば、世間体にとらわれ、財産がアルと思えば、財産に執着し、成功がアルと思えば、成功しなくてはと成功にとらわれ、悟りがアルと思えば、悟りにとらわれ、悟りを求めてもがき苦しむという事になる。

 これらは全てナイのである。それを仏教では無常と説いたのである。

 実相のみが今、ここにあるのである。それは完全円満の神そのものである。それは最初からここにあり、無限生長して永遠に朽ち果てないものである。

 でも、実相はそうでも現象はこんなに不完全だよ、僕はこんな悪い事をしたよ、こんな罪を犯したよ、こんな失敗をしたよ、こんな本来でない道を歩んで来たよ、だから、僕はまだまだ罪滅ぼししなくちゃならないんだ、まだまだ心を清めなくちゃならないんだ、まだまだ修行しなくちゃならないんだと言う人がいる。
 しかし、現象はナイという事は過去はナイという事である。過去とは本当に存在せず、それは現在の自分の心が映したものに過ぎない。現在の心が真理を悟らず、現象はあるんだ、だから過去の自分には罪があるんだと思っているとそれを自分の過去の記憶という映像として、さも具体的な罪の過去が自分にあるように自分の描く現象というスクリーンに自分の心で映しているだけである。自分の心が悟り、現象はナイ、完全円満な実相のみがあると分かれば、同じ過去の事象でもそれがマイナスのものではなくて、内なる神が出て来るプラスのものであったという事が分かるのである。


堀 浩二

There is no phenomenon.

At some previous week end.I was in some melancholy. On Friday night, I drunk with my friends until midnight 1:30am. Next day in the afternoon I went to English conversation school. Atter that, I went to some tennis court where was about 20km away from my house to play a match of tennis from 7:00pm.
I reckoned that there was no influence of being hung over when I played tennis. Because the time progressed about one day from drinking. But I rost all 4 games because I couldn't move fast. The influence of being hung over still remained at that time. You never win a game of tennis if you couldn't move fast.

Next day, from the morning, I was in a little blue. I was in negative thinking. So I suspect others or reminded my friend's statements to me and got ungly with the statements in my mind. Meanwhile, I became negative toward myself , my past and my present way too. But at that time I realized the reason of my melancholy. The reason was only that my brain tired because I drunk too much on Friday night, and next day in bad condition, I prayed tennis too hard. So my brain became so tired. That's why I became melancholy. If your brain would tire, your thinking become negative. There is no conctete negative phenomenon, that's only what you imagine in your mind. As I realized the truth, I returned to usual myself.

There is no phenomenon. That's the fundamental truth of Seicho-no-ie. You often suffer from being fettered by exisistence for example, your past exists, your failure exists, your appearance exists, your fortune exists, your success exists. If you think your past exists, you would suffer from regretting your past failure. If you think your appearance to others, you would be fettered with making your appearance decorated. If you think your fortune exists, you would be stuck with your fortune. If you think your success, you would be obriged with making life successful too much. If you think you must be enlightened, you would be fettered with a idea that you must be enlightened.

These things are only phenomenon. Buddism teachs that these phenomeonon do not exist.
Truth of life only exists right now. That's a life of God which is perfect. That exist from the beginning of cosmos. That continue to grow for ever.
But you may think that your past is not perfect, you commited some sin , you fail even if your truth of life is perfect. So you would think that you must erase your sin by yourself , you clear your mind, practice training more throughly.
But that there is no phenomenon means that your past do not exist. Your past is only a refrection of your present mind. If you don't realize that pheomenon do not exist, you would think that your past sin exist. So you project a refreciton of your mind that your past sin exist on a phenomenon around you. If you would be enlightened of that phonomenon do not exist, Truth of life only exist, you realize that your past was only the process of appearing of God.

Kohji Hori
by koujihori | 2007-03-12 16:07 | 信仰 | Trackback(1) | Comments(5)

不思善悪

 不思善悪という言葉がある。この世の善悪と言われるものは勝手に人間が判断している所の相対的な善悪であって、その善悪というものを人間がその頭脳智であれこれ思い悩むのは駄目であるという事である。
 それに対して絶対善というのがある。それは神の御心のままの相対的善悪を超えた善である。そして、それのみが実在であると説くのが生長の家である。

 我々はこの人生を生きていると無我夢中で生きて、思わず色々間違いを犯したり、他人を傷付けたりする事がある。いや、殆どそういう事が多いのが我々の人生ではないだろうか?
 それで後から考えて、自分の過去の行動が自分で実に恥ずかしくなったり、後悔したり、または将来どうしたら良いだろうかとかあれこれ思い悩む事があるのである。
 しかし、それは自分の狭い頭脳智であれこれ判断して苦しんでいるだけである。神様の目から見れば、全ての我々の行動は我々の中の神様の全徳が表現される為の過程であり、絶対善の展開なのである。
 自分の過去の行動の善悪の是非やこれから自分がどうしたら間違いを犯さないだろうかという事にを余り引っ掛かるな。我々が生きているのは実は神が生きているのであり、神が人間智の善悪の判断を超えて、絶対善を実現すべく我々をして活動されているのである。それを後からあのことは善であったかどうかなんて自分の頭の人間智で分析しても、せんない事である。

堀 浩二


Don't worry about good or evil.

There is a proverb that do not worry about goodness or evil. It means that goodness or evil of this phenomenon world is not absolute but contrary, so you should not worry about goodness or evil with your brain knowledge.
There is a absolute goodness only in a country of God. It is beyond rerative goodness of this phenomenon world. The doctrine of Seicho-no-ie says that the absolute goodness only exists.

You strugglle through your life to live in this world, so you have a tendancy to fail, for example injuring others. So you reglet your past failure and are shamed with your past conduct very much. But you only suffer from regretting your past with your narrow decition of your brain knowledge. From God view, All things you do in your life are only the process of figuring out of all virtue of God in your inside. And the process is a development of absolute goodness.
Do not worry about whether good or evil of your past conduct, and about a your decision of whether good or evil in the future. You live not by your ego but by God, so God in your inside act to realize abusolute goodness throuth your body beyond your decision of brain. There is a no use worring about whether good or evil after doing your conduct.

Kohji Hori
by koujihori | 2007-03-09 09:42 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

神からの贈り物

 ある宗教の寓話であるが、ある所にある王国があって、その国の王様に待望の王子が生まれたが、その後、すぐにその王子は誰かに誘拐されてしまったのである。赤ん坊の王子はあるルンペンに育てられ、ルンペンの子供として成長した。
 王様は自分の跡継ぎである王子が居なくなった事を嘆き悲しみ、そして国中、くまなく捜したが、遂に我が子の居場所を突き止める事が出来た。しかし、それはもうその王子がルンペンとして成長した後であったのである。
 王様はルンペンとして成長した王子を自分の王宮に連れ戻そうとして、自分の兵隊を王子の元へ遣わした。しかし、王子はそれを自分を捕らえに来たものと勘違いして、恐れおののいて逃げてしまった。それで王様は考えて、まず王子の為に土方の仕事を与えたのである。それに対しては王子は自分にもふさわしい仕事と判断して、喜んでその土方の仕事をした。そして、段々と上等な仕事を与えて行って、遂に最後にお前は私の息子でこの国の王子であり、跡継ぎであると諭し、王宮に連れ返したとある。

 これは王国というのは実相世界、神の国の事であり、王様というのは神様の事であり、王子というのは言うまでもなく神の子即ち我々一人一人の事である。
 この様に我々は表面はどんなに汚れていても、始めから悟りを啓いて、無限の力を神に与えられている神の子である。しかし、それを現象世界に表現する為に現象世界に最初現れた時はその記憶を消されているのである。そして、それをこの人生学校で様々な仕事、修行をする中で段々とその本来神の子であるという記憶を取り戻し、その素晴らしさを表現して行くのである。それが悟るという事である。

 我々は始めから完全円満の神の子であり、神に完全に生かされ、無限の智恵と力を与えられているのに、その表現の初期段階においてはそれを忘れている為に(忘れているというのは一つの例えである。正しくは内に無限の才能を秘めていても、その表現の初期段階においてはまだ稚拙であるという意味である。)その素晴らしい宝物があるよと人から言われても、そんな馬鹿な事があるかとそれを否定して、逃げ回るなんて事があるのである。
 私は会社で新規雇用の担当をしており、会社の求人募集に対して、応募して来る応募者の面接をするのである。そして、数人面接してその中からこの人間が適当であろうと思う候補者を絞り、その応募者に社長に面談してもらう為に再度、また会社に来てもらった事がある。その時、社長はその応募者の履歴書に目を通し、その経歴に対し、多少否定的な事をその応募者に言ったのである。でも、口ではそうは言っても、社長もこの応募者でいいだろうという旨、私に通知し、そして、会社の総意としてその応募者の採用を決定し、そして採用決定の旨、この応募者に私の口から伝えた。しかし、彼は一瞬、意外な顔をして、次の瞬間、「辞退させて頂きます。」と言ったのであった。私は仰天し、何故、そんな事を言うのかと聞いた所、さっきの社長との面談の時、自分の経歴を批判され、自分が半端者であるという事が分かりましたので辞退させて下さいと言うのである。
 私は「社長は口が悪いからあんな事を言ったのであり、会社の総意として、数人の応募者の中であなたが一番、良い人材であると判断したから、採用を決めたのであって、勝手に自己限定してはならない。」と諭し、その応募者も納得し、今度、彼は我が社に入社する事になったのである。

 私の師である榎本恵吾先生はよく「あなた方は神様からの贈り物をただ受取りさえすればいいんですよ。神様の願いは既にあなた方に与えている無限の宝を素直に受け取ってくれよというものなんですよ。あなた方は神様からの贈り物を受け取る事を遠慮しないという事さえすればいいんですよ。」と仰っていた。
 我々は今、このままで神の国に住んでいるのであり、今、このままで完全円満、無限力であり、一度も罪も誤りも犯した事が無い完全無欠の存在であるのである。
 しかし、その神の贈り物を素直に受け取らないで、自分はまだ駄目だ、まだ力が無い、まだ悟っていないと思って、勝手に自己限定して良くなろう、良くなろうとしている人が非常に多いのである。そして、これをやれば病気が治るだろう、悟るだろうとせっせと生長の家の行に励んでいるが、それでは永遠に悟る事も良くなる事も出来ないのである。

これさえやれば良くなるという考えではいつまで経っても神の国に入る事は無い。何故なら、そう思う事自体がまだ神の国に居ないと思う事であるからだ。
 我々はたった今、既に神の国に居るのであり、何も問題が無いのである。我々は今、目の前の事から逃げなければ、その事が見出せるのである。罪の報いも自壊作用も本来無い。我々は今、このままで悟っており、完全円満、自由自在の神である。

堀 浩二


A gift from God

There is a metaphor of some religion. It says that once upon a time there was a kingdom in some place and that a baby of the king was born. But, the baby was kidnapped by someone just after the birth. The baby was raised by some begger, And the baby was grown up as a begger. As the baby of the king was kidnapped, the king ramented very much and he seached his baby all over the kingdom. Eventually, the king found his son,but at the time, his son was already grown up as a begger.
The king made his soldier go to the place where the beggor who was his son was; to take the beggor to his palace. But the beggor was astonished by soldier coming, he was afraid that he would be caught by the soldiers. So the beggor run away with a fear.
So the king gave some task to the beggor. The task was some outdoor labor. The beggor did the task at ease. Because he thought that tha task was suitable to his ability. After that, the king gave an another task which level was higher than first one, so the king continued to gave tasks which level was going up gradually to the beggor. And eventually, the king told the beggor that the beggor is his son, prince who was a heir of the kingdom. And the king took his son to his palace.  

In this metapher, the kingdom is equals to the a country of God, the king is equals to God. And naturally, the prince is equals to a son of God which is ours.
As this metapher, you are son of God who is enlightend from the beginning as it is, even if your surface would be ugly. But your memory which is that you are son of God had been erased when you appear on this phnomeonon world at first. And you remind that you are son of God as you effort your task and study some subject in your life school. That is enlightenment.

Yor would run away from a person who tell you that you are son of God because you forget that you are a son of God. (the word "forget" is not acurate. The word means that if you have a infinitive power in your inside, at first step your express level is still low)
In my company, I charge a role of interviewing applicants to my company. Some day I interviewed a several applicants, after that I chosen a best applicant among a several applicants.
And I called on him to ask him to visit our company to see our companies president. Our president said to him a litttle denial comment about his carreer while seeing his legime. But after the interview the president told me that the applicant was OK. So I told the applicant that our company adopt him. But to hear my proposal, he seemed a little astonished at the next moment the applicant reject our proposal. I was upset to hear his answer. So I asked him why did he reject our proposal. He answered the reason that he realized he was idiot who could not continue any task to hear the statement of our president. So he was going to give up to take a job.
I told him that the president said a little denial comment as his tongue was a little bitter and that our company was going to adopt you as a best applicant. And I added a statement that you should not give up your possibility nontheless our company admit you as a best applicant. So he accepted my persuation and he is going to take a job of my company from next week.

My best teacher Keigo Enomoto often said that you had only to accept a gift from God. A hope of God was that you accept a gift of God. You had only not to be hesitate to accept a gift from God.
You are a perfect life of God and you live in the country of God now as it is. You are perfect innocent now. Your power is infinite now.
But you have a tendancy not to believe that you are perfect now. So you are going to become better than now you and you are going to give a effort, for example practice of Seicho-no-ie to become better. But as you have such a negative idea, you never become better or never be enlightend. Because you think you are yet perfect now, so you cann't become better.

To tell the truth, true you are perfect right now, you don't have any problem right now. If you do not run away from what is in front of you, you would find out this truth.

Kohji Hori  
by koujihori | 2007-03-07 10:20 | 信仰 | Trackback | Comments(2)

神の進軍

 生長の家の聖典「生命の実相」第7巻には「艱難を光明化せよ」という章がある。そこには「人生というものは光明が暗黒の中を勇ましく進軍していく工程である。われらは皆、生命なのだ、生命の本来の面目は自由自在なところにある。しかし自由が自由と分かるのは自分がただ障害を破った時においてのみである。(中略)障害は潜れている生命の自由さを引き立たす役でしかない。(中略)だから障害こそは吾らの生命に光明を放たしむる要素なのだ。」とある。
 
 私は生長の家を幼少の頃、母から伝えられ、その後、大学時代に生長の家青年会に入って、一所懸命生長の家をやって来た。その中で生長の家は心の法則というものを説くから、生長の家で教えられる神の子無限力の実相の素晴らしさをこの現象世界に自他共に顕現させる為には私が気をつけて、この自分の念のレンズを正しい歪みの無いものにし、自分の行動を完璧に神らしいものにしなくてはならないと気を張って来た。
 そして、ちょっとでも自分の行動に迷いや間違いがあれば、実相は神の子であっても、この現象世界にはそれが現れず、それに失敗すれば、どうしようもないのだと思って来た。要するに神の完全円満な世界は実相世界のみであって、この現象世界は自分が気を張って、コントロールしなければたちまち不幸に陥ってしまうと思っていたのであった。
 そんな状態が続く中、私は遂に自分のエゴに勝てず、自分の心のコントロールに失敗し、病気になり、不眠症になってしまったのである。それが11年前である。しかし、それがきっかけで私は生長の家宇治別格本山に導かれ、そこで私に取って生涯最高の師である故榎本恵吾先生の薫陶を受ける事が出来て、救われ、現在に至っているのである。
 
 考えて見れば、私の人生は様々な失敗もあったし、人を傷付けた事もあった。病気になった事もあった。でも私の人生において起こって来た事は全て、私の実相顕現の為に起こって来た事であった。
 それは正に光の進軍であったとしか言いようが無い。私が母親から幼い時に生長の家を教えられた事はもちろんの事、その後、青年会に入って、一所懸命生長の家をやった事、そしてそれがやり切れなくて、道を踏み外し、転落して病気になった事、これさえも今から考えれば神の導きであったとしか言いようが無い。それが証拠にそれがきっかけで私の生涯最高の師に巡り会い、宇宙最高の教えの神髄を授けられたのである。即ち、私が自分の心のコントロールに失敗して転落したと思っていた時でも私は神の懐に抱かれていたのである。
 そして、その後のこの10年間はその宇治の道場で学んだ生長の家の神髄を観念的なものから如何に具体的なものとして把握し、実生活に展開させるかという訓練の連続であった。そして、その訓練は家庭生活を通して、仕事を通して、英会話の勉強を通して、趣味のテニスを通して、実に絶妙なタイミングで為されて来た。どれ一つ抜けても現在の自分は無いだろうという一つ一つの学びが全て、重要で無くてはならないものであった。
 それらの私の生長は本当に私の周りの様々な人達の絶妙なタイミングでの導きや働きかけによって、為されて来たのである。そう考えるとこの世界は光の進軍、神の進軍でしかないという事が分かるのである。
 誠にもこの世界は自分が生きているのではない。神のみが実在であって、神が生きている人生、神生である。そして、それが現象的に見て、如何なる不幸な事が起こって来ようが全て、それは神の光の進軍であり、神が御自分で出て来て、現象に表現される一つの初期過程であった。

堀 浩二


The march of God

In a holly book of Seicho-no-ie, named "Truth of life" 7th volume, there is a chapter,named "Lighten your hardship". It says that your life is a march of light and that there is a hardship for you to perform your inside freedom by beating your hardship.

I was given a teaching of Seicho-no-ie when I was a infant child by my mother,and after growing up I joined the circle of youth of Seicho-no-ie when I was a student of University,and I did a activity of the circle hard. Meanwhile, as I believed in the law of mind, I tried to put my mind in right direction cautiously and I tried to do right thing perfectly.
And I thoght that if I failed to controle my mind toward right direction,I would fell into a abyss of this world even if my real life was a chilid of God. I thought that perfect world is only heaven, and that I had to control my mind to became happy in this phenomenon world. So I always was in intenseness to control my mind toward right direction.
But, while I was struggling to control my mind, eventually I failed to control my mind by failing to conquer my ego. After that, I became ill; insomnia. That was 11 years ago. But by the chance, I was lead to Uji training room of Seicho-no-ie, and at the place, I met my supreme teacher named Keigo Enomoto. Thanks to the teaching of teacher Enomoto, I was given the essence of Seicho-no-ie. So I was saved by that. Ahter that I became healthy and I became to have a big power to live.

There was a several of mistakes in my life, for example; injuring others, becoming ill,and so on. But thanks to these failures in my life, my real life of God has been appearing on to the phenomenon.
My life is only the march of light of God. For example, being given teaching of Seicho-no-ie by my mother and giving effort to the activity of Seicho-no-ie, and failing in controling my mind and on the consequence, becaming ill. Even becoming ill is the march of light of God. Because thanks to the ill, I was lead to my best teacher of Seicho-no-ie.
Namely, even in while I failed to control my mind and fell into a abyss on the consequence, I was held in the arm of God.

After being enlightened at Uji training room, for this ten years I have been practicing to turn my enlightment which only had been notional to actual thing. The practice have been being done through my family life, my job, studying English conversation and praying tennis in very good timing. If any of these practice would be rack, present I would not exist.

The practice has been leading by the advice of various people and by working of my friends to me. Because this world is a march of God.
You live with a life of God. Your life is a life of God. If any hard disaster would happen on the surface of your life,within the back there is a march of God. The disaster and evil are first step of the appearing of God which exist in your inside.

Kohji Hori
by koujihori | 2007-03-05 09:59 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

現象

  生長の家の神示の中の「久遠生命の神示」には「吾が臨たれるは物のためではない。生命のためである。肉のためではない。霊のためである。これを覚るものは少ない。物の消滅に心をとらえられ、物が殖えたときに信仰を高め、物が減ったときに信仰を失い、身体が健康になったときに神を讃え、家族の誰かに病気が起こったと言っては信仰を失うが如きは神を信じているのではなく物を信じているのである。物は結局移り変わるものであるから、物の御利益の上に建てられた信仰は物の移り変わりによって壊れるのである。」とある。
 
 生長の家に入って来る人は大抵は肉体やその他、現象の問題を抱えており、それを良くしたくて入って来る。しかし、それは本当の信仰への単なるきっかけに過ぎない。即ち、信仰で大事なのは肉体とか現象が良くなる事ではなくて、肉体や現象はナイと知り、自分の本当の生命が今、そのままで完全円満であるという事を悟る事にある。その悟りがあれば、後からあくまで結果として、肉体とか現象の健全化という影が出て来る。しかし、それが目的ではない。
 
 現象は過去の念の残像に過ぎないものであり、ゆらゆらと定まらないものである。そんなものにとらわれるな。
現象がどうなろうと良くしかならない世界を信じる事が信仰である。そこからこそ、神の国の展開がある。

現象とは吾らの心の影であるから、それを見て、自分の心の状態を反省する事は大事である。自分の肉体とか境遇に不調和な所があれば、自分の心に間違った不調和な所があるのだから、現象を反省材料として自己の心を改める事が出来る。しかし、現象は前述の様に自分の過去の念の残像に過ぎないものであり、今、良かったと思ったら次の瞬間悪くなるような実にゆらゆらと定まらないものである。そんなものを良くしようとして、その良し悪しで自分の悦びが左右される様な事があってはならない。

 現象が如何なるものであろうとも、それは「無」と断ち切って、今、そのままで完全円満の自己の生命を悦ぶべし。
 神の国は今、既に吾らの内にある。現象即ち外の世界に神の国を求めるな。現象が良くなって始めて悦べるというのは現象即ち外の世界に神の国を求めているのである。

 吾らは肉体や物質に生かされているのではない。完全円満なる霊なる神に生かされ、力を与えられているのである。
 それを信じて立ち上がった時に後から肉体も健全になり、神経細胞も修復され、健康になるのである。

堀 浩二

Phenomenon

The people who come to Seicho-no-ie almost have a problem which is desease or other problem of phenomenon. But the problem is only a chance to enter true faith. Namely, most important thing of faith is not that your flesh or your other phenomonon be cured , but that you realize there is no phonomennon, but that you realize your perfect truth of life in your inside.
If you realize that your truth of life is perfect, your body and other phenomenon would be cured in consequence. But a poupose of your faith is not that your body is cured.

Phenomenon is only a reflection of your past thought. That moves to and fro. Don't be fettered with such a thing.
True faith is that you believe your truth of life, nontheless a phenomenon around you would become worse. There is a true appearing of a country of God in such a faith.

As phenomenon is a reflection of your mind, it is important for you to know how is your mind by seeing phenomenon. If your body or other pheonomenon have some fault, there is a bad phase in your mind. So you can reconsider what mind you should have by seeing phenomenon including your body around you.
But phonomenon is not stable and like waves. Even if Now phenomenon around you would be OK, that change worse just next moment. You shouldn't be influenced by such a unstable thing.
You should joy that there is your perfect truth of life in your inside already, nontheless a phenomon around you would not be good.You should see a phenomeno as nothing.
There is a country of God in your inside already. Do not pursue that toward phenomeon. If you would joy in that phenomenon around you become better, you pursue a country of God toward outside of you.

You can live not by fresh or material but by life of God which is perfect. If you believe the truth, your flesh and other phenomenon would become better.

Kohji Hori
by koujihori | 2007-03-02 09:28 | 信仰 | Trackback | Comments(0)