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このままで神である

 吾々はともすると自己の心のコントロールによって、自己の健康不健康、道を外すか否かが決定すると思いがちである。

 即ち実相は完全円満かも知れないがこの現象世界は自分の心の通りになるのであるから、自分の心のコントロールというものが必要な訳で自分の心を常に清めて、正念を保ち、そして、その正念を持続し続ける事により、潜在意識を清めて行けば、実相の完全円満さがようやく現象にも現れると思っているものであるから、悪い事を思ってはいけない、執着してはいけない等々自己の心のコントロールに気をつけるのである。

 しかし、吾々が今、神であり、完全円満であり、無限力であるならば、自己の心のコントロールにちょっと失敗したからと言って、不完全になるとか病気になるとか不幸になるなんて事はあり得ないのである。

 吾々は自己の心のコントロールの成功不成功によって神になったり、幸福になったり、能力が出て来るのではない。それは現象の面から観るとそう見えるだけである。吾等は自己の心のコントロールを成功した事により完全円満の神になるのではなく、今、このままで神である。今、このままで完全円満である。その事に気がつかなくてはならないのである。その事に気がついた時、我らの認識の通り、完全円満な世界が今、ここにあったとまざまざ実感出来るのであり、その心の展開として現象世界にその完全円満の世界が映し出される。
 今、このままで神である自分の実相生命が実相生命して、後から善行や勇気や全託の生き方が出て来るのである。それにより結果的に潜在意識が清まり、結果的に現象や肉体がどんどん良好なものになって行くのである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-01-30 12:20 | 信仰 | Trackback(1) | Comments(3)

思ったら思った通りになる

 私は幼い頃から母親の影響で生長の家の信仰があった。有り難い事に母は私が幼児の頃から「私は神の子仏の子、何でも出来ます強い子よい子」という子供向けの生長の家のお祈りを夜寝しなに毎晩、一緒に祈ってくれた。それで毎日仏壇で聖経「甘露の法雨」を母は誦げていて、私はそれをいつも母の膝枕で聞いたものである。

 だから、生長の家の教えは私に取って、当たり前の事であり、幼い頃から毎日それを魂の食事の様に食して、私は成長したのである。
 しかし、生長の家の教えをそれまで以上に強く意識し出したのが高校一年の時に行った高校生練成会の時である。その時、指導下さった先生のご指導で、一番印象に残ったのが「思ったら思った通りになる」というものだった。
 私は「そうか。それならテストで百点取れると思ったらその通りになるのか」とか「自分の好きな女の子が自分を好いてくれ、つきあってくれると思ったら、その通りになるんだな。しめしめ」なんて考えた。でも、それはほどなく恐怖心に変わった。何故なら、良い事を思えるのなら問題無いが悪い事を思ったらそれも実現すると思ったものだから、なるべく悪い事を思わない様にしようとするのだが、そう思えば思うほど、逆に悪い事を思う様になり、それが怖くて怖くて、殆ど勉強も手につかない様になってしまった。
 それで、練成会の時に買った、生長の家の本を一人で読み、自分なりにその恐怖から逃れようとしたが、無駄であった。それから私は殆ど生長の家の事ばかり考える様になり勉強は全然手がつかなくなり、それだから高校二年から成績がどんどん落ちて行った。

 しかし、受験生になってからは私はそれでも生長の家の教えにある「今を生きよ。今において他に時は無い」という事が分かったのでそれまで「明日から頑張ろう」と思ってやらなかった勉強をどんどんやり出して、一応大学には入った。そして、大学二年の時に自分から生長の家本部に行って、青年会に入れてもらって、その後青年会活動をする様になった。しかし、根本的に「思ったら思った通りになるのなら悪い事を思ったら悪い事が来るのではないか」と言う恐怖心は消えてはいなかった。だが、そんな事を恐怖する暇があるなら神想観をやったり、活動をしようと思ってそれを打ち消したが、それは一時的に気を紛らせたに過ぎず、その悩みは根本的には解決されていなかったのである。

 しかし、その後、私は私の尊敬するA先生ご指導を受け、今、自分が神であり、ここがこのまま神の国であり、完全円満であると言う事が分かったのである。
  ここがこのまま神の国であり、今、自分が神そのものであると分かったら、何を恐れる事があろうか?私の行動は神の行動であり、私の想念は神の想念そのものであったのである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-01-29 12:33 | 信仰 | Trackback | Comments(6)

実相は自分で出て来る(20)

 「実相は自分で出て来る」とは私の尊敬するA先生がよく仰っていた事である。でも、一般的な生長の家の信徒に取ってはちょっと意外な感じのする響きの言葉だと思う。でも、生長の家の教えの根幹である「実相独在」の理念から言えば、これは当然の事なのである。

 生長の家は実相独在の教えである。それは何もしなくても、始めの始めから人間は完全円満であり、それ以外に人間の相は無いという事である。そして、本当に実在する世界は実相世界のみであり、そこには完全円満の実相人間が住んでおり、万物が完全円満の神の展開として、拡がっている世界である。
 生長の家の教えはその完全円満の実相世界即ち神の国は今、ここにそして、吾等の内に存在しているというものである。それを認識すればその認識通りの世界が唯心所現の法則により現象的に展開するというものであり、本当にその実相世界を認識するとは今、このままでこの世界が、そしてこの自分が完全円満で素晴らしいという事を認識するという事である。それは即ち「そのままでよい」という事であり、救わなくちゃならんとか善くしなくちゃならんとか私が神の代わりに何とか頑張らなくちゃならんとかそんな事ではなくて、既に内に、そして今ここに完全円満の世界が展開しているのであるから、それをただ、悦び、感謝しておればいいという事になる。
 それを本当に認識すれば、全託の生き方、そして、自分をこの身を何とか良くしよう、健康にしよう、安全にしようと思わないから、肉体を心で執着する事が無くなるから、そこに自らの身を放つ即ち、捨身の生き方が後から自ずと出て来るのである。そうなるとそこに自ずと全力の生き方が出て来て、能力は必要に応じ、状況に応じ、どんどん使って行くから、それが訓練となり、筋力も脳神経もどんどん発達して、能力がどんどん向上して行くのである。

 それが生長の家の教えの神髄であり、本当の生長の家の教えである。それに対して、親孝行しなくちゃならんとか夫婦仲良くして、感謝しあわなくてはならんとかというのは神髄に入る前の道徳的教えである。そういう段階の教えなら巷に沢山ある。潜在意識を良くしようとかプラス思考で行こうとかそういう事を説く市井の修養団体やカウンセラーはあまたあるのである。

 これこれこういう事をするから素晴らしくなるのではない。今、そのままで完全円満で素晴らしいから良い事をするのである。それが実相は自分で出て来るという事である。

堀 浩二
by koujihori | 2009-01-28 12:35 | 信仰 | Trackback(2) | Comments(8)

とらわれない(4)

 私はテニスをしていて、感じるのは一つの事にとらわれてはならないという事である。テニスには色々、フォームとかコツとかがある。それを指導者に習う事もあれば、自分で試合中に分かる事もある。それで例えば、サービスなどではトスの上げ方はこうやる、スイングの仕方はこうやるなどというコツが具体的に分かるのである。
 しかし、ともすれば、特にサービスなどはそうだが、試合中に分かったコツがあって、「これだ!この打ち方が分かった!これさえ分かれば自分のサービスは格段に良くなる」なんて思っていると次の機会にその通りやっても決まって、上手く打てない事が多いのである。それでサービスは良く波がある技術だなんて言葉もあるのである。

 しかし、それ全て、一つのコツにとらわれたからである。いくら良いコツでもそれにとらわれたら、他がおろそかになる。よく武道でも言われる事であるが、ある構えを取ると一つの方向には隙が無くなるが、他の方向からは隙だらけになるというのである。テニスも同じで一つのコツやフォームにとらわれると他の部分が隙が出来、おろそかになるのである。

 吾々の実相は内側にあり、それは経験を通して、自分で出て来るのである。自分で出て来たからにはそれは一々頭で考えなくても自然に出来る様になっているのである。テニスの正しい打ち方でもそれが本当にそうだなと実感した時が、その技が吾等の内側から自分で出て来た時であるから、後は頭で考えなくても自ずと自然な動きで出来る様になるのである。そして、一つ一つのフォームやコツにとらわれず、そのままで自然な形でプレイする、それは即ち自分の中の実相が実相するプレイをしていけば、どこにも隙は出来ず、自分が経験で習得した技やフォームは自ずと使え、そして全体としてまとまったプレイが出来るのである。それが吾、今、完全円満、無限力であるという事である。
 自分はまだ完全円満でないと思って、それを良くする為にこれこれこういうフォームやコツをくっつけて行くのだと思っていれば、サービスのフォームやコツは実に沢山あるのであるからそんなもの一々頭で思い出してプレイする事など出来ないのである。

 一つの事にとらわれないで自分の中の実相生命の導きや催しそのままの流れで生きる事が大事である。それは生長の家の運動でも言える事である。

堀 浩二
by koujihori | 2009-01-27 12:29 | 潜在能力 | Trackback(1) | Comments(0)

赦すということ

 私の尊敬するA先生は悪い事をしている人がいてもそれを裁かず、責めず、それはその人の魂がまだ幼いからそういう間違った事をするのであるから、そういう人がいても、「ああ、いい子、いい子」って思っていればいいんだよと仰っていたそうである。

 私は子供の頃から正義感が強く、不正な事、無慈悲な事、筋の通らない事が大嫌いであった。だから、納得出来ないと良く相手に食ってかかったものである。
 その性質は組織に入ってもより強くなり、ことに私が赦せないのはその不正が組織を腐敗させたり、骨抜きにする様なものである。そんな時は猛然と反発し、それをしている者を止めさせる行動に強く出る事が多かった。

 しかし、最近、私はもう不正な事をしている人を責めるのは止めようという気持ちになって来たのである。やはり、人はなくて七癖と言うが、完璧な人はこの現象世界には存在しないのであり、誰でも長所、短所があり、短所というのはその人が悪い訳ではなくて、まだ神の子の生命としての完全円満さがその部分に関して、十分開発されていないのである。だから、それが出来ていないとか間違った行動をしていると言って、それをいたずらに責めずにその生長を見守り、育むつもりで接し、かつその人にも長所即ち光明面はきっとあるのであるから、その光明面を見つめ、それを言葉の力で賛嘆して行けば、いつかはその人の短所、暗黒面も目につかなくなるのである。
 そうすれば、谷口雅宣先生がご指導して下さっている様に人は一度に異なる事を思えないのであるから、その人に対して良い所ばかりが目につく様になり、そうなるとその人の欠点、短所も自ずと消えるという事になるのである。

 私がその事に如実に気がついたのはテニスのダブルスの試合をしている時である。私はテニスクラブでダブルスの試合をする時、どんなレベルの人とも試合をする主義なので、強い上手い人とプレイする事もあればそうでもない人とプレイする事もある。中には相手を選んである一定の人達としかやらないという人もいるが、私はそうではない。 
 それでたまに自分よりレベルが下と思われる人とダブルスのチームを組んで試合をする事があるが、そうした人と組むと私がせっかく配球やサービスでチャンスボールを作っても、そのチャンスボールをミスしたり、ミスしなくても相手に普通に返して、却って相手にチャンスボールを与えてしまったりするケースが良くある。
 そんな時、以前の私は「何であんなミスをするんだ」とか内心、憤慨したものである。テニスはマナーのスポーツだから、そんな感情はもちろん、言葉では表現しないが、内心はおだやかではなかった。
 しかし、よくよく考えて見れば、相手もミスしたくてミスしているのではない。一所懸命それなりにやっているのである。ミスするのはその人が悪意を持っていたからではない。その人のテニスの技術がまだ未熟だからである。それを怒って見た所で仕方のない事である。ミスするのは相手の力がまだ開発されていないだけで、それならばそれを怒るのではなく、暖かく見守って、自分はそれをカバーしたり、出来れば相手の上達の為に有効なアドバイスを試合の後に優しく言えば良いのである。

 要するにテニス以外でも間違った事をしている相手は悪人ではなくて、その部分に対して真理を知らず、従って、それをまだ開発し得ていない人なのである。
 間違った事をしている相手をいたずらに批判せず、それを育むつもりでいると、それを頭から否定しないから、良い面も見て、伸ばして行こうという気になるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-01-26 12:34 | 社会生活 | Trackback(3) | Comments(1)

問題は神が消して下さる(4)

 「問題は神が解決して下さる。」これが究極の真理であり、神に生かされているという事であり、実相独在という事である。問題が出て来た時、それを大抵の人は何とか解決しようとする。しかし、それが重大な問題や取り返しのつかない様な問題、又は悩みの場合は人は深い煩悶に陥る。そして、解決法を見つけようと奔走して、もがく。しかし、もがけばもがく程、問題は複雑化して、どうにもならない事になる。これ、全て、「自分が」問題を解決しようとするからである。自分が解決しようとした途端、吾々はその問題を心でつかむ事になる。この世界は唯心所現の世界であるから、心で問題をつかめば、いくらそれを良くしよう、無くそうとしてもそれをやればやる程、問題や悩みはしつこくつきまとう。
 
 全ての問題は神が解決して下さるのである。自分の力で解決しようとするから解決出来ないのである。この事に目覚めていればどんな問題や悩みが出て来ても大丈夫である。そして、繰り返しになるがこれが真理の神髄である。
 神が解決して下さる中、自分の意志として、これをやって見よう、こういう生き方を実践して見ようと出て来る事はあるが、それは自分がやっているのではなくて、神が自分を通してやって下さっているという事を忘れてはならない。

堀 浩二
by koujihori | 2009-01-23 12:19 | 信仰 | Trackback | Comments(2)

自己限定を解く

 吾々は現象は不完全だが、実相即ち本当の姿は完全円満である。完全円満という事は無限力であると言う事である。無限力と言う事は能わざる事、一切無しという事である。要するに何でも出来るという事である。それならお前、今、空を飛んで見ろ、百メートル10秒で走って見ろと言われるかも知れない。しかし、現象には内なる無限力は段階を追って、出て来るので今すぐ私にはそんなオリンピック選手やスーパーマンの様な事は出来ない。しかし、それなら無限力は今の事ではなくて、やはり、来世とか遠い未来の事であろうか?否々、そんな事は決して無い。吾々は完全円満、無限力なのは今、正に今において他に無い。それはどういう事なのかと言ったら、この今において、完全円満が完全円満している、又は無限力が無限力しているのである。それはもっと具体的に言えば、今、自分に与えられている事において、無限力を今、発揮出来るという事なのであり、それが神に与えられた課題は必ず出来る課題しか与えられないという生長の家の教えになっているのである。その現在、自分に与えられた課題を無限力を発揮して、一つ一つこなして行く内に段階を追って、吾々の無限力の無限生長があって、徐々にパフォーマンスのレベルを上げて行くのであり、その中でオリンピック選手のレベルに匹敵する迄に力を伸ばす事も出来るのである。

 無限力というのはそういう事であり、従って、吾々は今、無限力であるのだが、普通の人はそれほど、無限力を発揮出来ないで苦しんでいる。病気に苦しんだり、試験に落ちたり、その他、スポーツの試合で力を発揮出来ないでいる人もいる。吾々は元々無限力なのにどうしてそういう事になるのかと言ったら、それは一重に自己の内在の無限力を知らざるからである。いくら無限力を持っていてもそれが自分の中にあるという事を知らなければそれを使いようがない、従って、元々、今、完全円満、無限力なのにその力を発揮出来ないのである。そうなると人はどういう心境になるであろうか?自分の中に今、そのままで完全円満、無限力があるという事を知らない人はそれに任せる事が出来ず、「私が」「オレが」という気持ちになるのである。それが我(が)である。その我(が)の思いが自己限定となって、自分自身を自分で縛るのである。従って、吾々は自己限定しなければ、今、そのままで完全円満、無限力の自分の力が自ずと必要に応じてどんどん出て来るのである。

 自己限定さえしなければ、そのままで力はいくらでも出て来る。しかし、自己限定を解くには勇気が必要である。その勇気が捨身とか全託という生き方である。

堀 浩二
by koujihori | 2009-01-22 12:33 | 潜在能力 | Trackback | Comments(0)

オバマ新大統領について

 本日、日本時間午前2時頃、アメリカ、オバマ新大統領の就任式があり、いよいよ、オバマ氏がアメリカ合衆国第44代大統領となった。人種差別がまだまだ根強いアメリカで黒人初のアメリカ大統領(本当はオバマ大統領は白人と黒人のハーフなのだが)が選ばれたのも非常に画期的な事であるが、これはオバマ大統領のキャッチフレーズではないが正に世界的なCHANGE(変革)の時なのだと思う。もう人種がどうのこうのと言う時代ではなくなって来た証であろう。
 そして、それだけではなく、それは今までの地球環境を無視した目先の金儲け主義、そして超大国アメリカの強大な軍事力を背景として、単純な善悪思想で自分が悪と認識する相手を力任せに屈服又は破壊して行こうという考え方等々が自壊し、新たに相手との対話、融和、そして、地球環境を大事にし、目先の金儲けではなくて、お互いの為、社会の為、世の中の為になる真の産業を構築して、質素でも出来るだけ全ての人達が潤うという世界がいよいよ到来して来ているのだと思う。
 それは前々から言われている21世紀は霊の時代だと言う事であると思う。今までは唯物的価値観が先行し、目先の物質的利益を第一にした市場第一主義の元、弱肉強食の経済がグローバル経済と称して世界を覆い、それをアメリカが先頭に立って推進し、環境を破壊し、地球温暖化を促進させていたのをこれからはそうした物質主義がすたれ、霊的価値を第一にする、お互いが助け合い、生きとし生けるものを慈しむ生き方が地球を覆うのである。
 その流れにおいて、吾が日本国の使命は誠に重大であると思う。日本国こそは霊的文化の担い手であり、その建国の精神は神武天皇の八紘一宇の精神である。これは何も腹にいちもつも無くて空っぽの心で世界を大きな輪(大和の精神)で結び、かつ自らを主張する事無く、それで全ての民族と国と宗教の良さを生かし、そして、融和せしめる。そうした国に生長の家の様な人間神の子の教え、万教帰一の教えが出て来たのも自然の成り行きである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-01-21 12:33 | 時事問題 | Trackback(2) | Comments(5)

実相は自分で出て来る(19)

 私は毎月、教区の各地域の相愛会誌友会で地方講師として講話をさせて頂いている。それで先週の土曜日もある地区の誌友会で講話させて頂いた。誌友会というと参加者は大体3人から10人位であり、そうした小規模の会で生長の家の真理のお話をさせて頂くのである。
 私はこの生長の家の真理の講話をするという事が私の今生の最大の使命と役割ではないかと思っている。今までの人生は色々紆余曲折があったが全て、生長の家の真理の話をする為にあらゆる経験があったとしか思えない。
 話が横道に逸れてしまったが、その先週の誌友会の講話の時である。その会場となったお宅では会場リーダーさんのお母さんが今年93歳になる高齢の方でこの人は古くから生長の家をやって来た方で商売も自分の力で切り盛りして素晴らしい方であるが、その方は頭ははっきりしているのだが足が衰えていて、寝たきりの状態になっているのである。
 それで会場は日本間で二間ある所を襖を開けた状態になっていて、襖で仕切られた一方の部屋がメイン会場となっていて、そのお婆さんはもう一方の部屋にベッドがあって、そこに座って、私の話をお聞きになっていた。そうしたら、私の講話の途中でそのお婆さんがベッドから出て、私が講話をしているメインの部屋まで来たいと言いだし、それで息子である会場リーダーさんに自分をメイン会場の部屋まで移動させて欲しいと仰ったのである。そうしたら、その会場リーダーさんは席を立って、奥の部屋にいる奥さんにそれを頼みに行ったのである。お婆さんはそんなもの一々嫁に頼まなくてもあの子が自分を運んでくれたらいいじゃないかと言っていたが、その内、お嫁さんが出て来て、手慣れた調子でお婆さんを抱きかかえて、メイン会場にある専用の椅子に座らせた。
 それでようやく私の講話が再開されたのだが、その間、約5分は経過したと思う。率直に言って、私は講話の佳境に入った所で5分も中断されたのである。数年前の私であったらかなり気分を害したと思う。実際、2年位前に講話していた時、丁度参加者が会場リーダーを入れて3名しかおらず、その時、やはり講話の最中に階下の奥さんからお茶の用意が出来たと声が掛かった時、講話中に拘わらず、会場リーダー一人を残して残りの参加者の女性二人が二人とも一斉に席を立って、階下に降りてしまった時はかなり、気分を害した。そんなもの女性一人が行けば事足りるはずであると思ったからである。
 しかし、先週の時は本当に少しも気分を害する事なく、平和な気分でお婆さんの用意が調えられるのを待つ事が出来、そして講話を再開し、最後は参加者に暖かい拍手を頂いて講話を終える事が出来た。お婆さんにも自筆で感謝の手紙をその場でもらい、家に帰ってから仏壇に捧げた。

 私は実相は自分で出て来ると信じているので、余り生長の家らしく振る舞おうとか無理に真理を実行しようなんて思わない。そのままでいつもいるのである。それで数年前まではかなり荒れた事もあり、人と衝突する事も良くあった。しかし、現在は私の実相が自ずと出て来たのか、自ずと心が穏やかに寛容になり、家内に対して癇癪を起こすという事もここ数年は全然無くなったのである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-01-20 12:36 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

課題だと思う事には向かって行く

 昨日、又、テニスのシングルスのトーナメントに出た。先月、久々に出て、そこで以前、私が負かした相手がその後、私の「試合は出続けなければなりません」というアドバイスに従って、その後、数年に渡って、このトーナメントに出続けている内に最近はちらほら勝てる様になって来たという事を知って、私もそれを見習って出来るだけ毎月、このトーナメントに出ようと思ったので昨日も出場したのである。
 その人に試合に出続けろと言ったのは私なのに私はそのトーナメントに2年近くも出場しておらず、それに引き替え、私の提言を素直に聞き入れたこの人はぐんぐん強くなったのである。その人の奥さんに聞いた所によると私に負けた後、毎回、トーナメントに出続け、それは本戦で負けると敗者復活戦が二回はあるので最低でも一日三試合は出来るのだが、その三試合とも1ゲームも取れなかったという事が何回もあったそうである。(テニスは最初に6ゲーム取った方がそのセットを取れる。こうした草テニス大会は一試合が1セットだけの短縮版である)

 私はこの男性(私より一歳くらい年下で48歳位)に本当に脱帽した。人間神の子無限力の信仰があれば別だが、そう負け続ければ、しかも1ゲームも取れないなんて事が続けば、普通は試合にチャレンジするのを止めてしまうはずである。それをこの男性は辛抱に辛抱を重ねて、実際、試合に勝てる様になって来たのである。断っておくが、こうした草テニス大会に出て来る人達というのは皆、それなりの自信と実績があるから出て来る訳で各人、そのテニスのレベルは高いのである。

 私はテニスが趣味であり、学校時代はやっていなかったが、大学時代に遊びで始め、12年前に本格的にやり始めた。今ではクラブにも入って、暇さえあれば腕を磨いている。クラブでは一年中、何時でもやりたい時にやれるのだが、ここはダブルスが殆どなのでシングルスの試合をする機会が無いのである。テニスはダブルスも大事だが、本当はシングルスで強くなって、腕を極めてこそ本当だと言う思いが私にはあるので、クラブでダブルスの試合をするだけでは駄目だと思うのでシングルスの試合も私は出ているのである。

 試合は車で20分位の所のテニススクールで行われるがいつも決まって、日曜の夜に開催されるのである。日曜の夜と言えば、翌日は仕事なのでテニスのシングルスの試合の様にかなりハードな運動量のある事は出来れば避けたいが、前述の様にその男性を見習って、毎月出る事にした。私は今、神の子無限力であると思っているので自分に課せられた使命とか課題から決して逃げない様にしている。今、神の子無限力であるという事はそういう事だと思っている。そして、その事が又、効果的な訓練になって行くのである。
 私は昨日、本戦の一回戦で1-6のスコアで負けた。私のシングルスの試合のやり方として考えていたのは私のグラウンドストロークを相手コートのサイドラインのすぐ内側をねらって、相手を振り回してオープンコートを作って、ポイントを決めるという作戦だったが、それがどうにも組み立てられなかった。何故かと言うとサーブに威力が無く、サービスリターンで攻め込まれてしまうからである。私はスポーツで一番学んだ事は思い切って捨て身でプレイする事であると思っているからサービスを打つ時もダブルフォルトを恐れず、思い切り打って行ったが、その割に威力が無いのである。それに引き替え、相手のサービスは威力十分で攻め込まれて、殆どなすすべなく破れた。しかし、その試合を通して学んだ事はサービスの時、思い切り力を入れるのは打つ瞬間だけなのではないかと言う事である。
 それまでの私はボールをトスアップして、バックスイングする時から力が入ってしまっていて、だからインパクトの瞬間に力を集中出来なかった事に気がつき、その事を次の試合である敗者復活戦で試してみた。
 その相手は何と私が冒頭から紹介している男性であるが、私は3-6のスコアで破れはしたが私がその前の試合で分かった通りにサービスをしたら、かなり強いサービスを打ち込む事が出来て、相手を後一歩まで追い込む事が出来たのである。クラブでダブルスの試合だけしていればこの様にサービスに関する大事な事は永遠に気がつかなかったと思う。何故ならばダブルスではそれほど早いサービスでなくても勝てるからである。

 さて、この日は試合に勝てなかったが、かなりのひらめきがそのサービス以外の事でもあった。おそらく、これを続けていけば、数ヶ月先にはシングルスの試合でも成果が出て来ると思う。
 要するに人間神の子無限力というのは今、目の前に自分に示されている課題に対して決して背を向けない事であり、その中から素晴らしい進歩と生長が為されて行くのである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-01-19 12:36 | 潜在能力 | Trackback(2) | Comments(2)