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組織を良くするコツ

 以前も申し上げたが私は「良くしたい」という気持ちがとても強かったのである。それでその気持ちは自分の属する組織にも向けられた。
 私は生長の家の組織に属してかなりになり、23歳の時に生長の家青年会に入ってからと言うもの、40歳になって生長の家相愛会に移り、今年で生長の家の組織に入ってからもうかれこれ通算27年にもなるが、良い組織、皆が生き生きした活気のある組織にしようと言う時、必ず「こいつさえいなければ」というマイナス分子の人物が現れた。それで色々と葛藤したものである。
 組織には適材適所というものがあり、それぞれの役にはそれに適した人材を当てる事が大事であるが、悪い人材を何とか排除しようなんて引っ掛かるのは余り良い事ではない。

 悪い所を見つめ、それを良くしようとするのではなくて、良い部分を見て、それを伸ばしていけば、人も組織も良くなるのである。どんな素晴らしい人物でも人間は無くて七癖と言われる様に何らかの欠点があるのである。同様に完璧な組織なんて無いのである。組織を良くするコツは組織の悪い部分、余り感心しないと思う人材ばかり見つめて、それを何とか良くしようとかしないでそうした部分は放っておいて、良い部分を見つめ、良い人材を認め、伸ばして行けば良いのである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-10-30 12:33 | 社会生活 | Trackback | Comments(15)

今、そのままで完全円満である。(2)

 先日もちょっと申し上げたが私は以前は信仰で自分の現象とか肉体とかを良くして、それで能力を発揮して初めて悦ぼうとしていた部分が大いにあったのである。それでこれだけ潜在意識が清まり、その反映として肉体が良くなり、そうしたらもう安心だみたいな考え方があったと思う。しかし、こういう考え方では何時まで経っても悦ぶ事が出来ないのである。

 信仰はもうこれでよいというものではない。今、このままで完全円満であると言う事を悟り、それを実行に移していく事である。それは現象はどうあろうとも今、無限力を信じて全力を尽くす事である。今、色々と難儀であってもそれは自ら作った練習台であるのだから、その中で全力を尽くす事が大事であり、今、自分に与えられている事は必ず出来るのである。それが神の子無限力と言う事である。

堀 浩二
by koujihori | 2009-10-29 12:22 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

そのままでよい(22)

 吾等は信仰生活していて、日々生長する。そして、失敗経験を通して自分のこういう考え方が良くなかった、こういう心の運び方が間違っていたとか分かる。それで今後はそれを改めて、こういう心構えで行こうとか思う。それはもちろん、尊い事であるがしかし、そうした事にもとらわれたら駄目なのである。即ちどんなに良い事でも一つの事にとらわれたらいけない。とらわれるのは吾が内の神ではなくて我(が)がそれをやろうとしているからである。

 そのままでよい。実相は自分で出て来るのだから、そのままでいて良いのであり、こうでなくてはならないと一つの事にとらわれたらいけない。吾々は日々、生長する中で一旦学んだ事はそのままでいて、自ずと臨機応変に実行される。真理を行じ、実行するのは吾が内の神のみである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-10-28 12:20 | 信仰 | Trackback | Comments(1)

神に生かされている

 吾等は生長の家を信仰する場合、その生長の家の真理である「実相独在、吾神なり、現象はナイ、心はナイ」の真理をどうやって悟れるかと言ったら、それは神が悟らせて下さるのである。それが吾等が神に生かされているという事であり、我(が)は要らないという事である。
 吾等は神である。その時、何をどうするかはその時の内側の神が具体的に細かく指示して下さる。それが神に導かれているという事であり、問題は神により消して頂けるという事である。

 私は仕事とか生長の家の活動をする中でどうして良いか分からなくなる事がある。会社に評価制度を取り入れた時も社員の給料表を作成する時は途方にくれてしまった。しかし、程なくしてこうすればいいと言うイメージが忽然と内側から湧き上がって来て、上手く作成する事が出来た。又、生長の家の誌友会などで出講する時も何を喋るかという事は本当に絶体絶命的心境になる事もあるが、これも当たり前に準備して行けば、いざ出講先に行って、講話を始めれば内側から神に導いて頂ける。

 吾等は誰でも内に神を蔵しているのであり、その神により導かれ、悟りを得る事が出来るのである。それが繰り返すが神に生かされているという事である。それをそうじゃないと思って、外に探し求める事が迷いであり、不安であり、我(が)であり、無力である。内側に神の見出すという事が悟りであり、無限力の発揮であり、大安心であり、勇気であり、全託である

堀 浩二
by koujihori | 2009-10-27 12:24 | 信仰 | Trackback | Comments(2)

今、与えられている事を悦ぶ(2)

 私はここ数日で自分の考え方、性格の大転換をする事が出来た。私は私の尊敬するA先生から薫陶を頂いてから、今そのままで完全円満であり、信仰というものはものごとを良くしようとする為のものではないという事が分かったつもりでいた。しかし、その自覚はまだ十分なものではなかったのである。

 私は結果を出したい、人に打ち勝ちたいという気持ちが人一倍と言うか人十倍強かったのである。それで自分の潜在的な能力が十分に開発されて行けば、今より力を発揮する事が出来、智力、体力共に向上し、仕事でも今習っている英会話でも趣味のテニスでも力を十二分に発揮出来るだろうと漠然と考えていたのである。それで信仰によって、自分の体調がより良くなり、脳神経が更に十分に機能する事を願い、それで力を色々な面で発揮して、他の人に打ち勝った時に初めて悦ぼうと思っていた。自分を冷静に分析するとそういう事になる。
 だから、それまでは私はそのままで悦ぶ事が出来ず、常に人に対して優位に立っていないと我慢出来ず、それだから自分の立ち向かう人は自分の鏡と言うわけで私の周囲の人もそういう人が集まってきて、私に対抗しようとするのである。
 しかし、良くしたい、勝ちたい、結果を出したいと焦れば焦るほど却ってそれは私自身のそのままで完全円満の生命を縛る事になり、テニスなども負ける事が多かったし、英会話の力も中々伸びなかったのである。

 しかし、ここ数日で本当に内側から分かってきた。これでは何時まで経っても真に悦べる時など来はしないと。土曜日もテニスでサービスがとても悪く、又、考え込んでしまった。しかし、程なくして自分はこんな事を繰り返しているが、サービスが調子が悪かったら一々落ち込んでいる様ではこれは本当ではないのではないか?と思った。
 何々が出来なくても調子が悪くても自分は今沢山の悦ぶべきことに囲まれているではないかと思った。それは家内のやさしい心遣いであり、子供が元気に学校に通っている事であり、素晴らしい自分に適した仕事が与えられている事であり、何よりも健康に生かされている事であり、周囲の美しい自然であり、そうした数え切れない有り難い祝福に満たされている、今、このままで既に満たされ、生かされている事に本当に気付いた。
 
 今、そのままで生かされている、有り難いという生長の家の神髄の薫陶を十年以上前に榎本先生に頂いていたのにそれが本当に私の実感として感じられ、生活習慣化するのに十年以上掛かったがようやく出て来たのである。これは榎本先生がよく言われていた「実相は自分で出て来る」という事であり、実相顕現の本当のあり方と言うものはこういうものである。
 私の生まれつきの性格は「良くしたい、勝ちたい、結果を出したい」という性分であり、それが50歳になってようやく改まって来たのである。本当に有り難い事である。

 それで私にこうした結果を出そう、良くしようという気持ちが消えたら、色々なものごとがとても順調になって、力も発揮出来る様になり、テニスなんかでも力が発揮出来て、前より大部勝率が上がって来た。

堀 浩二
by koujihori | 2009-10-26 12:30 | 潜在能力 | Trackback | Comments(0)

結果を焦るな。

 良くしようとしなくてよい。今悪いのは過去の迷いの結果が出ているのである。それはその悪い事によって自分自身に自分の心の間違いを教えてくれているのである。だから、それに従って、反省して、その反省に基づいて今、自分に与えられた事を全力でやって行けば良いのである。そうする中で良くしようとしていた事も自ずと整って行く。結果を焦るな。結果をすぐに求める心は我(が)である。結果は神に全託すべし。

堀 浩二
by koujihori | 2009-10-23 12:25 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

全託すると集中出来る。

 仕事は神に全託しなければならない。完全主義になって、オレがやる、自分がやるなんて考えているとつかれてしまうし、却って良い仕事は出来ないのである。それでこの仕事は自分がやるなんて思っていると気が焦って、今に対する集中力が無くなる。冷静に今に対して集中するにはオレが自分がと焦っていると出来ないのである。神に仕事を全託すると心が落ち着き、そうすると今目の前の事に対する集中力が増して来る。そして、自分の仕事自体にも集中出来、雑な仕事がより緻密な行き届いた仕事になるのである。そうして行けば自分自身の技量もじっくり鍛え上げられて行くし、常に今に集中しているから一瞬一瞬の記憶力が研ぎ澄まされ、そして今に集中しているから今に対する判断力も増大して来る。

 神に全託するとはいい加減なぞんざいな仕事をする事ではなくて却って、行き届いた仕事になり、自己のあらゆる能力も同時に鍛えられるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-10-22 12:10 | 潜在能力 | Trackback | Comments(0)

世の中で一番大切なもの

 世の中で一番大切なものは何であろうか?人によって色々答えはあると思う。大切なものは色々あり、一概にこれと言えないが私は一番大切なものの内の一つは何かと聞かれたらそれは夫婦の絆だと答えるだろう。生長の家の教えでは神様は人間に最も深い愛というものを切実に体験させる為に一つの魂を男と女とそれぞれ半身に分けて地上に顕現させ、それを再び巡り会わせると言われる。そして、結婚生活こそは同時に最も深い人生学校の道場でもあると教えられている。

 若い男女がお互い惹かれ合って結婚したとする。最初は正にハネムーンで甘い蜜月関係であるが結婚も数年経つとお互い違う環境で育った同士が一つ屋根で暮らすのだから、元々の考え方や習慣性の違いなどが目についてきたり、又、恋人同士だった時には気がつかなかった欠点などが目につくようになり、ちょっとした事で喧嘩になったり、又、お互い甘えすぎて、夫は妻に十分な愛情表現をしなかったり、逆に妻は夫に素直に従わなかったりして摩擦状態が出て来るなんて事もある。
 そうした時、憂さ晴らしにお互い外の異性に目が行ったりして、浮気や不倫などする場合もある。しかし、その時、その人は最も大切なものを自ら捨て去ったのである。家庭は道場でもあるが、魂のバラダイスでもある。夫又は妻からの無償の愛こそが最高の人生の贈り物であり、それに応えるべくお互いを大事にし、愛し、支え合う事こそが人生の最高の悦びであり、最も尊い愛の体験である。
 人生の伴侶こそが最も大切な人であり、その愛を育み、育てる事こそが最も大切な事である、そうであるのにその最も大切なものを自ら捨て去り、表面さえ分からなければ良いという事でお互い分からない様に他の相手に走ったりするのは人生で最も大事な宝を自ら破棄するものと言わなくてはならない。そればかりではない。その人は神から与えられた伴侶の愛というものを自ら否定し、一時の肉の快楽を求めて他の相手に走るのだから、神の道から外れて唯物論の牢獄の世界に墜落するのである。

 こうした夫婦の危機に際して、生長の家の真理を知っているのと知らないのとでは大変な違いがある。人間をただの物質だと思い、相手に不満があったら、他の相手の所に行ってしまったり相手の欠点に我慢ならないでやはり他の相手と不倫したりするのは真理を知らないからである。人間は神の生命であり、結婚というのはお互いの半身同士が結び合う事であり、結婚生活は同時に人格を磨くための人生道場であり、相手の欠点ではなくて光明面を見て感謝することを実行に移して行けば、夫婦は調和し、人生で最も大事な宝物を自ら破棄しなくても良いのである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-10-21 12:18 | 家庭生活 | Trackback(1) | Comments(0)

ものごとは全て神が為し給う

 私は昔から完全主義者であった。プラモデルでも完璧に作ろうとして、却って中々製作が進まない事が多かった。しかし、そういう事だとやがて、どうにも生きる事も仕事をする事も出来なくなってしまうのである。

 どうしてこんな考え方になるかと言ったら、自分が生きているのは自分の力で生きていると思うからである。そうではなくて、吾々は神に生かされているのである。完全円満、無限力なる神にである。吾等が生きるのはその完全円満の神に生かされる以外不可能である。だから、生理作用も人との事も家族の事も仕事も全て神に本当に全託する事が大事なのである。
 ものごとを我(が)の力で完璧に上手くやろうとするな。所詮、そんな事は出来ないのである。結局、神の御力により全ては為されていく。神に全託する事である。その為にはその時その場でどうするかを内なる神に聞き、それを全面的に信じて、その通り、行って行く事である。

堀 浩二
by koujihori | 2009-10-20 12:26 | 社会生活 | Trackback | Comments(2)

災い転じて福となす。

 「災い転じて福と成す」という言葉がある。吾々は人生全ての経験が結局は良い方向になるのである。
 私は実は先日ある人と大喧嘩をした。その人が誰であるかはここでは言えない。私はやけくそになり、翌日予定していた仲間との早朝テニスとか英検のテストなどもう受ける気が無くなってしまった。それでその晩は一旦は寝たものの、真夜中に目が覚めてそれから殆ど寝付けなかった。
 翌朝は早朝テニスには行かず、それで午後からの英検のテストも止めてしまおうと思っていた。もうむしゃくしゃして一切積極的な事をしたくなくなったのである。しかし、寝床でうとうととしていたら、内側からある事に気付いた。それは悪い事を良くしようとするなと言う事である。私は相手の悪をつかんでそれを何とか良くしようとして怒り、そしていらいらしていたのであるが、悪をアルとしてそれを良くしようとしても心の法則が働いて却って良くならない事に気がついた。
 相手の悪を良くしようとしてそれをつかむのではなくて、相手の良い面を観て感謝しようと思ったのである。世の中の人はどんなに良い人であっても必ず光明面と暗黒面があるのである。相手の暗黒面を見て、それを良くしようとぎゅうぎゅう心でつかんでも却って相手は悪くなるのである。それが現在、生長の家で盛んに言われている「日時計主義の生き方」である。

 そうして気を取り直した私は午後は英検のテストを受けに会場である近くの高校に行った。私の受けたのは英検一級のテストなので合格するのはかなり難しいが、全力を出して最後まで頑張れたのは良かったと思う。 そして、試験を受け終わってその足で私の所属するテニスクラブに行って、そこのメンバーとダブルスの試合をした。実はその前の日の怒りと寝不足のせいで体調が悪かったのでテニスの調子が悪く、ことにサービスの際、トスが上手く上がらないのである。
 私は元々トスに問題があり、トスが流れる事が多く、試合の時、何回もトスをやり直す事が多い。テニスではトスしてもそれを打たなければ何回でもやり直して良い事になっているがその時の私のトスはいつにも増して流れる事が多く、おまけにその時の試合相手はちょっとうるさい人だったので何回もトスをやり直してもまずいと思い、私はトスが悪くてもそのまま、サービスを打ちに行った。
 そうしたらトスが悪いものだからサービスの方向性が定まらず、サービスがとても悪かったのである。しかし、その内、自分のトスの欠点というのが自分で分かって来た。それはちょっと専門的になるがトスする際、ボールを離す時、腕をまっすぐ伸ばした頂点で離しておらず、腕を曲げた状態で放り投げる様にしていた為にまずいトスになっていたのだった。

 私はその事が分かってからトスが流れなくなり、サービスがとても良くなった。このトスの問題は私がテニスを始めてから実に長い間苦しんでいた事なのである。
 私はある人と大喧嘩をした事で神経が高ぶり、寝不足になったりしたがそのお陰で相手の光明面を見る事の本当の大事さが分かったし、テニスに関しても長年の課題が解決したのである。正に「災い転じて福と成す」であり、吾々はどんな経験もプラスにする事が出来るのである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-10-19 12:36 | 潜在能力 | Trackback | Comments(0)