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現象はナイ

 現象はナイ。如何なる素晴らしいものでもそれをアルと思ってはならない。アルと思ったら最後、それに縛られる事になるのである。親があると思えば親に縛られる。女がアルと思えば女に縛られる。師がアルと思えば師に縛られる。そこに感謝は無い。解脱は無い。如何なる素晴らしい存在、有り難い存在、魅力的な存在があると思ってもそれがアルと思ったらそれに縛られ身動きが出来なくなるのである。親はナイ、師はナイ、女はナイ。それらのものをナイ、ナイと徹底的に否定せよ。

 そこに吾が内なる無限の神の国が浮かばれる。そこに真の親に対する感謝、師に対する崇敬、女を包容する思いやりが生じるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2010-07-30 21:23 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

神様が全て解決して下さる。(2)

 吾々は生活する中、仕事をする中で色々の問題にぶち当たる事がある。そうした時、そういう問題ありと心でつかんで自分が解決しようとすると駄目なのである。
 
 たった今、問題は何もナイ。全て、神様が解決して下さる。それを自分が解決しようという心が迷いであり、そこに心の歪みが生じ、問題は解決出来ず、本人も迷いを深めて、潰れてしまう。

堀 浩二
by koujihori | 2010-07-30 12:18 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

そのままでよい(34)

 吾々の生長と言うのは要するに実相がより観じられる様になるという事である。全ては今そのままで良いのであって何も良くする必要は無いのである。だから、その既に良い実相を観じる事が出来れば良いのである。観じるだけで何もしないかと言ったらそうではない。無限が観じられればられるほど、無限生長し、無限創造するのである。それは神に全託して神に完全に導かれながら、大安心の元に悦びのままに無限創造、愛行をして行く事である。

堀 浩二
by koujihori | 2010-07-29 12:13 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

今、そのままで完全円満である。(8)

 今、出来る。出来ないのは今まで「出来ない」と思ってやらなかったからである。やらないから訓練されないからますます出来ない様になる。

 今出来る。その「今出来る」が動き出した時、潜在意識に刻印されて行き、より出来る様になる。それが訓練である。それには実生活で自分に巡って来た事を恐れずどんどんチャレンジして行く事である。その必死さの中で自ずと内側の無限力が出て来て、それが実質的な訓練となる。

堀 浩二
by koujihori | 2010-07-28 12:24 | 潜在能力 | Trackback | Comments(0)

今、そのままで完全円満である。(7)

 吾々が完全円満なのは今なのである。これからではない。今、完全円満、無限健康である。それを悦ぶのが本当である。今はまだ病気だから悦べないが信仰を深めていく事でゆくゆくは現象的に健康になるだろうからその時、悦ぼうではないのである。

 今、完全円満、無限健康である。現象は色々と過去の念の波動が出て来て波がある。そんなものは過去の残像であり、良くなったり悪くなったりする。そんなものはナイのである。

 それが分かった時、唯心所現の法則が働いて現象が速やかに整うのである。

堀 浩二
by koujihori | 2010-07-27 12:28 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

今、そのままで無限生長である。

 今、このままで無限生長である。それは表面的には色々と紆余曲折はあっても、それがそのまま神が御自分で出て来る姿である。

 吾々は波動の世界に住んでいる。そして、現在の現象は過去の念が波動的に現れて来たものである。だから、現象世界は良くなったり悪くなったりして、ゆらゆらと陽炎の様なものと言われるのである。よって、その善し悪しに一々心を引っ掛からせない事である。
 そして、その自分の行動とか想念というのも過去の自分の念が出て来たものである。ふと何の気無しにこういう事を思うとかやるというのは過去の念の現れである。逆の言い方をするとそれが現れた事により今まで念の世界にあったものが消滅するのである。そして、面白くない事をやってしまったりする。執着してしまったり、淫らな事を思ったりしてしまったりする事もあるかも知れない。だがそれは原因ではなくて結果である。そういう時は「自分はつまらないものだ。下らないものだ。」と思う代わりに「ああ、これで自分の悪業が消えた」と悦ぶが良いのである。

 そして、現象的に如何なる紆余曲折はあってもそれがそのまま吾が内の神なる実相が自分で出て来る過程であるのである。だから悪行動、悪現象、病気とかの症状が出て来ても「これで消える」と思い、それ以上に「これが実相の自己顕現の過程だ。これでより悟りが出て来る。」と思って「そのまま」であれ。

堀 浩二
by koujihori | 2010-07-26 12:28 | 信仰 | Trackback | Comments(2)

そのままでよい(34)

 吾々は完全円満、無限力そのものの神であるのである。それが真の信仰である。これこれこういう風な事をやると良いというのは単なる処世術である。しかし、本当の信仰というものは「そのままでよい。そのままで完全円満であって、そこから自ずと良い行動や心が出て来る」というものである。

 こういう祈りをすると潜在意識が清まるとか言うのは信仰のビギナー向けの教えである。本当の信仰は自分の本体そのものが「吾神なり。完全円満なり」という祈りの言葉が出て来る本体であり、それは「そのままでよい」という事である。

 宇治の道場で昔、ご指導されていたA先生はその生長の家の神髄を説かれていたのである。その教えは「そのままでよい」という事であった。私はそれまでそういう事を説く先生に出会った事が無かった。だから最初は新鮮に、悪く言うと奇妙に感じた(でも講話の最中はとても本来の自分らしい感じがして、心地よかった)が今から考えると先生は本当の生長の家の真理を説かれていたのである。

堀 浩二
by koujihori | 2010-07-23 12:26 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

実相は自分で出て来る(39)

 聖経「続々甘露の法雨」には「ただそのままであれ。ただそのままであれ。」という言葉が出て来る。要するに吾々の実相を顕現させるには吾々の念を正しいものにする必要があるが、その為に善を思うとか全託の心になるとか思い切って行動するとか色々の手だてがあるのである。だが、それでも恐怖心を克服出来ない時があるのである。

 そういう時は本当の本当の全託の心境になると良い。私の尊敬するA先生は「皆さん。全託って言ったら本当の全託ですよ!」と仰っていた。実相は自分で出て来るのである。何も心配は要らない。そのままでよい。

堀 浩二
by koujihori | 2010-07-22 12:27 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

問題はナイ(12)

 悩みはナイ。問題はナイ。今そのままで完全円満である。それが実相だ。そしてその世界は今ここに展開している。悩みとか問題が見えているっていうのは自分の心が歪んで本来そのままで完全円満の実相が歪んで見えているに過ぎない。
 だから、その不完全な現象を良くしようなんて事が既に迷いである。今そのままで完全円満であると知れ。そして今出来ている事、良い事を悦べ。そこに神の国が具体的に展開するのである。それが分からない限り、永遠に悩み続け、不満を言い続け、良くしよう良くしようとして焦り続けなくてはならない。そして、その心でいる限り、悩みや問題は形を様々に変えながら何時までも尽きる事が無い。

堀 浩二
by koujihori | 2010-07-21 12:15 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

今、そのままで完全円満である。(6)

 吾々は神の子であり、完全円満である。それはこれからそうなるのではない。今、たった今既にそうなのである。それを悟った時に初めてそこから無限生長が始まる。まだ駄目だ、まだ力が足りないと思って、これからそれを増しなものにしよう、良くしよう、そうしたら初めて悦べるというものではない。そんな事を言っていたら永久に悦べる時など来ない。

 今、そのままで全ての事は上手く行く。出来る。分かる。全ての問題は自ずと解決されている。それは我(が)の力によりそうなるのではなくて全知全能、宇宙に遍満している神の御力によりそうなるのである。それを我(が)で上手くやろう、分かろうというのが間違いである。
 そして今、無限力、無限智という事はもうこれで良い、もう向上する部分は何もないという事ではない。今そのままで完全円満であるという事は同時に無限生長であるからいくらでもそこから更に伸びるのである。その心境でいる限り、今に全力を傾注して努力しよう、学ぼうという気持ちになるのである。それが生長の家である。

堀 浩二
by koujihori | 2010-07-20 12:05 | 信仰 | Trackback | Comments(0)