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清まるという事

 清まるという事はどういう事であろうか?よく生長の家の人で「私は潜在意識を清めまーす。」とか言って、せっせと色々な行に励む人がいる。それはそれである段階では良いのだが、本当に清まるというのは我(が)の努力でせっせと洗濯物を洗うように清まるのではない。本当に清まるとは自分がより本来の自分らしくなって行くという事である。その過程の中で結果的に潜在意識が清まる。そして、それは吾等の中の実相が自分で出て来る事によるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2010-08-31 12:25 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

今、そのままで完全円満であると悟る事が完全円満が出て来るということ(4)

 今、完全円満である。その事に気付けば、今、力が出る。思ったら思った通りになるからである。

 そして、その事は悪い所に引っ掛かってそれを良くしようとするのではなくて、どんどん出来る事をやって行くと言う事である。
by koujihori | 2010-08-30 11:57 | 潜在能力 | Trackback | Comments(0)

そのままでよい(37)

 ものごとは「こうでなくてはならぬ」という事は無いのである。それは人間智で勝手に決めた規定である。神の智恵は人間智を超えて、更に大なる視点から最も吾等に取って、良き事になるよう取りはからってものごとを進めて下さっているのである。
 だから、近視眼的に見て、「是非、これを実現したい」と思っても、それが実現出来ない事があるが、そうした時でもその事にとらわれずに神は自分の思惑を超えて良き方向に導いて下さっている事を信じる事が大事である。

堀 浩二
by koujihori | 2010-08-27 12:25 | 信仰 | Trackback(1) | Comments(0)

実相と実相が自分で出て来る事しか無い

 この世界には実相と実相が自分で出て来る事しか無い。自分の人生が如何なるものであってもそれはただ自分の実相が自分で出て来ただけなのである。
 過去に何か良くない、本来でないものが見えているとしたら、まだ自分の実相が開顕し切れてなくて、実相を観る目が開かれていないから自分の過去もそのように不完全に見えているだけであるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2010-08-26 12:23 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

無限生長

 昔から天狗は芸の行き止まりと言われている。もうこれで分かったとか言うのは分かっていないのである。本当に分かるという事は「自分は無限生長でこれからいくらでも分かって行くし、その分かり方も深くなって行く」って言う事が分かる事である。
 だから、本当に悟るという事はその悟りが毎日毎日、一刻々々、深く広くより具体的になって行くという事である。だから、神の子は無限生長なのである。それが実相が自分で出て来るという事である。
 そして、日々、新鮮な発見と悦びがある。このブログもだから毎日書く事が出来るのである。

堀 浩二
by koujihori | 2010-08-25 12:21 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

心がコントロール出来ないと言うのは

 私が生長の家の練成会を初めて受けたのが高校一年の時の事である。その時に一番、印象に残ったのが「思ったら思った通りになる」という事である。それから、私は自分の心のコントロールに苦しみ出したのである。要するに「思ったら思った通りになる」なら良い事を思えば良い事が来るが、悪い事を思ったら悪い事が来るのであるから、悪い事を思わない様にしようとするがそう思えば思うほど、逆に悪い事を思ってしまう様になってしまったのである。

 それから私は自分の心のコントロールという問題に本当に苦しんだ。しかし、思ったら思った通りになるのは当たり前であり、それのどこが困るかと言えば、自分の生命の実相の完全円満さが分からないという事である。分からないから恐怖する、恐怖するからその恐怖が実現するのじゃないかとまた恐怖するっていう悪循環である。
 私は心がコントロール出来ない事を恐れていたと思っていたが、そうではなかった。私の実相が出ていなくて自覚が無かっただけである。実相が自分で出て来て、自己が今このままで完全円満であり、今ここが極楽浄土であるという自覚に目覚めれば、恐怖心とか心をコントロール出来ない恐怖とかも自ずと消える。

 今ここ極楽浄土、自分は神そのものである。何も恐れるものは無い。

堀 浩二
by koujihori | 2010-08-24 12:30 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

ここがこのまま神の国である。(4)

 聖典「生命の実相」に吾々の現象世界は弱肉強食の世界、お互い相食む世界であって、罪だらけの世界であると説かれている。吾々は呼吸をしても一杯の水を飲んでもその中に含まれている多量の微生物を殺しているとある。それなら出来るだけ罪を犯さない様に水を飲むのも止め、呼吸をするのを止めるのが愛の道であるという事になる。

 しかし、生長の家はその問題を「現象はナイ」の一言で一刀両断に解決したのである。現象はナイ、ここがこのまま善一元の生かし合いの世界である。色々な相食む様な世界、犠牲があるように見える世界は単に自分の観が歪んでそう見えているだけである。

堀 浩二
by koujihori | 2010-08-19 12:24 | 信仰 | Trackback | Comments(1)

外はナイ

 自分を不幸にする発想の原点は何か自分以外に存在を認めて、自分がその存在により縛られ、犯されるという迷いである。自分以外に自分を犯すなにものかが存在していると思うものだから、自分の運命や境遇や健康を損なう自分ではどうにもならない魔物がいるという事になるのである。

 しかし、それは卑怯な発想である。自分の責任ではないという姑息な考えである。吾、神なりの発想ではない。真の光明思想は吾は今、神であり、完全円満であり、無限力であり、自分以外に自分を犯す存在は一つもないという思想である。それが吾が内にのみ神の国はあるという信仰であり、一切は自分の自由自在であるという事である。そして、それが生長の家の真理である。

堀 浩二
by koujihori | 2010-08-18 12:19 | 信仰 | Trackback | Comments(6)

このままで完全円満である。

 吾等は神の子であり、完全円満であり、無限力である。そして、それは今の事なのである。そして、それはどういう事かと言ったら、自分の人生は今そのままで神の生即ち神生であり、何ら間違った事や不完全なものは無いという事なのである。だから「そのままでよい」のである。それをそう思えないのが心の歪みである。この心の歪みがあるとそのままで完全円満である自分及び自分の人生が不完全極まりないものに見える。そして、それを良くしようとする。それが我(が)である。しかし、その良くしようという我(が)が自分のそのままで完全円満の生命力を縛り、自縄自縛となり、自分の力を奪う。それが罪である。

 吾等は生命の実相が目覚め、全てはそのままで良かった、完全円満の神の生命でしかなかったと言う自覚が内側から出て来るに従って、「こうでなくてはならない」という自分の心の縛りが解け、そのままで完全円満の生命の実相が顕現して、自分の人生はパーフェクトであり、幸せ一杯であった事が実感される。

堀 浩二
by koujihori | 2010-08-17 12:29 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

縛らない。つかまない。

 ものことが上手く行かないのは、「良くしよう」と思って、ものごとを心で縛るからである。本来そのままであれば完全円満、無限力、無限調和、無限健康であるものをその実相を観ないで我(が)で良くしよう、良くしようとして縛るものだからそれが自縄自縛となって、力も調和も健康も出てこないのである。

堀 浩二
by koujihori | 2010-08-12 12:17 | 信仰 | Trackback | Comments(2)