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世の中が生長の家について来ている。

 僕の感想です。どうも世の中の動きって生長の家について来ている様な気がします。逆に言うと生長の家が一所懸命運動した事が徐々に世の中に浸透して来てると言うか。
 
 この頃、コンビニのトイレに行くと「いつも綺麗に使って下さって有り難うございます」って書いてあります。そうなると使う側からするとどうしても綺麗に汚さない様にしようって思いますよね。

 またこの前、証券会社のコマーシャルを観ていたら夕焼けだか朝焼けだかの写真を「これを朝焼けと見るか夕焼けと見るか」とかその他色んな写真を出して来て、この写真を明るく積極的にとらえるか暗く消極的にとらえるかって問いかけてました。そして最後のメッセージは「ものごとはその受け取る側の心次第」って言うものです。又笑いの効用って事も社会一般で広く認められてから久しいし、そう考えると生長の家って時代の先端を行っていると言うか生長の家が世の中を導いていると言うか。

 この前、生長の家の環境問題への取組がyahooのニュースで伝えられたというJOYを本部のY先生が伝えて下さってましたし、又、雅宣先生の新年のご挨拶の御文章でも、「生長の家はこの変節の時代にあって、人類のあるべき最先端の道(環境問題をいち早く取り上げてのISO14001の取得とか本部が八ヶ岳に移る事で人類と自然との共生を図るって事だと思います)を示している」というお言葉がありましたが、改めて生長の家の運動ってすごいですね。
by koujihori | 2010-12-29 08:28 | Trackback | Comments(2)

一切の責任は吾が内にあり(2)

 「一切の責任は吾が内にあり」って生長の家でよく聞く言葉です。自分の環境とか運命とか健康状態って全部自分の責任だって言う事ですね。それってある意味厳しい教えですね。何故かって、自覚の弱い人は責任を逃れたいものだし、だから、自分が不幸なのはあいつがあんな事をしたからだ。自分が貧しいのは政治が悪いからだ。自分が不健康で心が弱いのは親の生み方、育て方が悪いからだって事にしがちです。
 でもそれって自分の力ではどうしようもない悪とか不幸って言う存在を認める事になり、そういう人は変な悪霊に憑依されやすいのだそうです。それは考えてみれば当然で、自分は悪くない、悪いのは他人だって考えは自分は弱い、自分は他の何か悪魔みたいなものに影響を受けてしまうはかない存在だって認める事になりますから悪霊の憑依を受けて病気とか貧乏になるのでしょう。
 一切の責任は吾が内にありって考えは途轍もなく強い自覚ですね。それこそ神の子無限力の自覚ではないでしょうか。そして、自分以外に自分を不幸にする存在を一切認めないのですから、生長の家の根本哲学「悪はナイ」って言う事と同じという事になります。

 それで僕、最近つくづく思うのは自分が実力を発揮出来ないのは誰のせいでもない。自分で自分の力要するにそのままで無限力を自ら縛っているせいだと気付きました。どうして縛るかと言ったら、「そのままで完全円満でない」と思っているからそれを「良くしよう」と思うから、その良くしようって言う心が縛る心になって、自分の実力を発揮させないのです。そして、会社でも自分が先月営業に来て、自分としては一所懸命やって、一ヶ月の内に課として5件も注文が取れて良かったのですが、向こう三ヶ月の受注状況がかつて僕が経理の立場で見てきたのを含めて、かつてない落ち込み様でかなり焦ってましたが、それってもちろん現象的な手続き上は僕の責任でも何でもないです。でも、真理の面から言って、僕が営業に行ってそうなるって言うのは僕が「今そのままで無限供給の実相世界」を観れてないからです。これはもうはっきりとした厳然たる事実です。要するに僕は「今ここ完全円満、無限供給」の実相世界を観れてないからそれを「良くしよう」という心が自縄自縛の心になり、それが為に本来今このままで無限供給の世界が歪んで映っているのです。

 でも、心配は要りません。僕がその事を分かった以上は逆に言うと僕の心の歪みが取れて来たからこそです。言い換えると「今ここそのままで無限供給の世界である」と分かって来たから今まで「分かって無かった」という事が分かって来たのです。全ては自分の心の影であり、具体的な売上げの落ち込みとかその他の思うようにいかない事って言うのは本来存在しないと如実に分かった以上はそのままの心で当たり前の事を当たり前に粛々として行けば良いのです。
 一切の責任は吾が内にありって何も自分が全ての悪事の原因であると思って落ち込んだり、又は自分が何から何までやらなくちゃいけないって言うプレッシャーを感じる事でもなくて、自分の中に一切がある、そしてそれを如何に観るかという事が全ての原因であったと悟る事だと思います

堀 浩二
by koujihori | 2010-12-22 10:07 | 社会生活 | Trackback | Comments(1)

今、そのままで完全円満である。(10)

 生長の家の教えって一番の軸が実相独在でそれと交差する様に横の真理と言われる「心の法則」があります。
 それで実相独在って「人間は神の子、もっと突き詰めると神であり、完全円満、無限力、無限健康、無限供給」って事ですね。それを現すのが人生の意義であり、幸福の道という事になりますが「いくらやっても病気が治りません。どうして神様は出て来てくれないんでしょう」って言う人もいます。でも、一所懸命心を清めて病気を治そうというのはやっぱり現象即ち外の世界に神を求めている事になります。要するに「今ここは病気の世界であり、不完全の世界であり、何とか自分が生長の家をやる事でこの病気を良く致しましょう」って言う心だから、その心が映っていくらやっても病気が治らない事になる。それは正しく「心の法則」で「病気とか不完全をつかむ自分の心」がそのまま映って、病気とか不完全な肉体になっている。

 要するに神の国、即ち全ての人が無限健康、完全円満である実相世界はこれからとか遙か彼方にあるのではなくて「今、ここ」にある訳で、自分が完全円満、無限健康なのは何時の事かと言ったら今の事であるのですよね。それが分かったら病気を生長の家で治そうなんて事は忘れて、ずんずん健康人と同じ生活をして、どんどん良い事をどんどん楽しい事をやって行けば良いという事になります。生長の家で病気の治っている人はみんなこうやって治ってます。この世界、自分の肉体というのは百%自分の心が映っているのであり、何ら自分を害する病気や不運というものはナイ。
 だから、今完全円満という事が分かってそのつもりで行動する人は必ず病気も治るし、その他の経済苦も消えるという事になります。

 ところで僕、それは分かっていたつもりでしたがやっぱりその分かり方が足らなかった。どこかに「まだ自分の肉体とか現象は過去の迷いが残っていて不完全だから、その為に力が発揮出来ない」って何となく思っていたのです。それが先週の中頃から卓球を会社でやっていて、俄然、「自分は今、完全円満、無限健康だ」って気づいたのです。僕、以前、自律神経を壊してから野球のボールがまっすぐ投げられなくなったり、卓球とかテニスでもフォアハンドが体が余りに早く開いてしまうので恐くて思い切って打てない部分がありました。で、内心「自分の悟りが潜在意識まで浸透して肉体の神経を完全に修復するまでは自分はフォアハンドも良くならない」と何となく思っていたので卓球をしてても思い切って打ってなかったのです。

 でも「そうではない完全円満なのは今だ。」と気づいて、それからバンバン思い切って打ったら、最初はボールがとんでもない方向に行って、負けてばかりいたのが段々とボールに抑えが効いてきて、徐々に勝てる様になっていった。こういうのを本当の訓練と言うのだと思います。まだ駄目だ、まだ駄目だと思って力を使っていなかったら訓練にならず何時までたっても治らないのですね。

 それで昨日、今日のテニスでも割合、ボールを置きに行く様な所があった僕のテニスなのでボールが短くなって相手に攻め込まれるシーンが多かったのが、サービスでもストロークでもスマッシュでもエラーを恐れないでバンバン打つものだから、昨日はまだ結果が出てませんでしたが今日は2戦2勝で相手を打ち負かしました。

 今、完全円満ですね。それを信じて思い切って立つ所に訓練が行われ、どんどん良くなるのですね。

堀 浩二
by koujihori | 2010-12-21 09:59 | 信仰 | Trackback | Comments(0)