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悟りにさえとらわれてはならぬ

 我々の実相は完全円満、無限力の神の生命である。そして我々の人生はその実相を悟り、顕現させるのが目的である。我々の人生はその為の一つの学校になっており、我々は何回も生まれ変わって、その自己の完全円満の生命の実相の自覚、悟りを深めて行くのである。
 そして、様々な経験、過程を経て、遂に自分の「そのままで完全円満」の生命の実相を悟る事になる。そして、それ以降はその悟りがどんどん深まり、顕現して行く。その中で「悟った。自分はそのままで完全円満であった。」と分かる時が来る。しかし、その悟りにもとらわれてはならないのである。我々の生命の実相は無限のものであり、それは一つの所にとどまらず、無限生長するものである。しかし、現象は有限であり、一定のものである。悟りであっても現象に出て来たものは有限である。だから、それにとらわれてはならないのである。自分はそのままで完全円満の神の生命であるという悟りが現象に出て来た。しかし、それに有頂天になっていてはそれではその悟りが現象に出て来る前の自分は素晴らしくないのか、神ではなかったのかというとそんな事は無いのである。悟りが出る前の自分も神の生命で完全円満であったのである。だから、悟りであってさえもそれが現象として出て来たものにはとらわれてはならない。

堀 浩二
by koujihori | 2011-04-30 09:42 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

反省って言うこと

 谷口清超先生の御講話のテープにこういうのがあります。
「人間っていうのは何だかんだと言っても結局は良い方向へ行くんですね。でもそれには反省ってものがなくちゃならん」と。

 反省って観世音菩薩のお働きにより、自分の心の状態姿勢というものを周囲の人とか事件とか自分の経験(主に失敗経験)を通して如実に知る事により、それによって自分の行い、考え方を改めて行く事ですね。だから、これは後悔とは違う。後悔は何時までも自分の罪をつかんで悲しみに泣き濡れている事ですが、反省っていうのは自分の中の悟りが出て来たから過去の自分が間違っていたって事が分かったって事でこれはすっきりとした晴れ晴れとした心境だと思います。

 しかし、この反省というのはやっぱり「第一のものを第一にする」って言う神様に対して純粋なハイの心を持っているって事がとても重要だと思います(生長の家の行事が必ずしも第一のものじゃないですよ)。何かあっても「自分は悪くない。悪いのはあいつじゃないか」なんて思っている傲慢な神の波長に合わない心では反省も出来ません。だから、やっぱり素直に神の御心に従うっていうのが一番大事な特性だと思います。

 僕、テニスやってますが、テニスの向上に取って一番大事なのは反省する心だと思います。打ち損じる、上手く行かないって経験を肌でする中で何が悪いか、どう直したら良いかって事は素直に反省すれば自ずと分かります。それで実力が向上して行くのです。でも繰り返しますがそれには神様の御心にハイと従う純粋な信仰心が無くてはなりませんね。

堀 浩二
by koujihori | 2011-04-17 13:41 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

一回も罪を犯していない、病気になった事もない。

 よく、生長の家の真理の話をする時に「あなたは完全円満の神の子であって、いまだかつて一度も病気であった事も無ければ不完全であった事も無ければ、罪を犯した事が無いのですよ。それが本当のあなたですよ」って言います。

 何か間違いをした時は反省する事が大事です。それは観世音菩薩のお働きによって反省するのです。観世音菩薩様というのは我々の心を映してくださるお働きであり、それによって我々は自分の心の姿を直に知り、それで反省する事が出来る訳です。でもそれって実は実相が反省するって変な言い方だけどそういう事だと思うのです。別の言い方をすれば「実相が実相する」ってものですね。

 真に悪かった間違っていたと思う、でもその瞬間、実相が出て来て本当の事が分かったから過去の自分の考え方が間違っていたと分かる訳で、だから、その瞬間、迷いが晴れ、罪が赦されていると言われるのですよね。だから真の反省、懺悔というのは途轍もなく晴れやかなものである訳です。吾始めから神であった。罪の子と思ってそれを良くしよう良くしようとしていたのは間違いであったという底抜けの明るい、赦された感じです。  でも何時までも自分が間違っていた、悪かったと泣き濡れているのは実相が出ていないから真の懺悔と言う事は出来ない。真の懺悔は自分は神であった、一度も罪を犯した事が無かったと悟る事であり、その自覚をしていなかったという事が罪であったと分かる事ですね。そうなれば晴れ晴れとした爽やかな赦されたーという感じで決してそれは何時までも罪の意識におののいているというものではないですね。

堀 浩二
by koujihori | 2011-04-04 22:03 | 信仰 | Trackback | Comments(2)