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そのままでよい(37)

 そのままでよい。そのまま内なる神の導きそのままでよい。それは自分が為すのではない。神が為すのであるから必ず出来る。生長の家の生き方通り「こうでなくてはならぬ」と自己を縛り、その通り出来ない自分を審く必要も無い。

堀 浩二
by koujihori | 2011-05-28 10:21 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

問題はナイ(15)

 具体的問題というのはナイのである。問題みたいなものは勝手に自分がそれに心を引っ掛からせて拡大させて自ら投影しているのに過ぎない。吾々は今、全く何の問題も無い神の国、完全円満の極楽浄土に住んでいるのである。そこに住む人は立った今、見目麗しく、健康で、素晴らしい人格者ばかりである。
 しかし、自分で勝手に問題をつかみ、心を引っ掛からせる所に唯心所現の法則が働いて、本来ありもしない問題とか悩みがある様に見えるだけである。

堀 浩二
by koujihori | 2011-05-10 12:55 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

生かされている

 我々は生きるのではない。生かされているのである。完全円満なる神により。我々の信仰も存在も生活も仕事も何もかも自分で力んで良くするのではないのである。全面的に宇宙に遍満する完全円満なる神により支えられ、生かされ、供給され、導かれているのである。そこに何の懸念があろうか。取り越し苦労があろうか。持ち越し苦労があろうか。全ての問題は神により、解決され、全ての罪は神により消される。
 それが生長の家の「罪無し。病無し。迷い無し」の真理である。

堀 浩二
by koujihori | 2011-05-07 19:29 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

自力ではない。

 五木寛之氏の本で「他力」という本がある。その中で氏は「これからは他力でないとどうにもならない」と説いてあった。
 生長の家は自力信仰では無いが所謂他力本願信仰でも無い。言わば「絶対他力」信仰である。他に依存するのではなくて、自分の中に宇宙に拡がる神がおられる。その絶対なる神に全面的に生かされているという事である。だから取り越し苦労、持ち越し苦労は一切要らない。全ての問題は神に消され、大安心の元に楽しく悦びの中で生き生きと生活出来るのが「絶対他力」の生長の家の信仰である。

 で、私は実はあんまり自分に厳しく無い。こうでなくてはならないと四角四面に生活するタイプではない。で、たまにはめを外す事もあるが最終的に道を踏み外す事が無い。自分で踏みとどまる事もあるがそうでない時もある。それは私が自力ではない絶対なる神に生かされ、導かれ、支えられているからである。
by koujihori | 2011-05-05 12:12 | 家庭生活 | Trackback | Comments(0)

確認してはならない。

 「神を試すなかれ」という言葉がある。自分が大丈夫かどうか自分の信仰が現象を良化しているか確認しようとする人がたまにあるがそれは不信仰の極みである。自分が今完全円満の神であるならばその証拠を現象に求める必要がどこにあろうか?それはそのままで完全円満の自己の内なる神を疑う事である。

堀 浩二
by koujihori | 2011-05-01 18:16 | 信仰 | Trackback | Comments(2)