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神の国は吾が内にのみあり(2)

 神の国は吾が内にのみあり。この自覚が全てである。これが一切者の自覚であり、全ての事は吾よりいでて、吾に還るの自覚である。この自覚の欠如が病気である。悪はアルという迷いである。そして、自分は有限なちっぽけなものであり、外部の悪により翻弄せられ、犯されるという迷いである。

堀 浩二
by koujihori | 2011-07-22 15:07 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

家族を真理で裁かない。

 生長の家の真理は素晴らしい。それは「人間は神の子であり、そのままで完全円満である」という事である。そして、それは今という事がとても大事な事である。「今、そのままで既に」っていう事が味噌中の味噌なのである。
 これを外すととんでもない事になる。そうなったら地獄である。本当に。「実相は神の子完全円満かも知れないがそれはあくまで実相の事で現象ではない。」確かにその通りである。生長の家では実相完全円満を教えられるが実相と現象の区別も明確に説かれている。だが、それと同時に現象はナイと教えられているのである。そして実相独在であり、その実相は今、既にここにあるのである。従って、それを良くしようとかしなくて良いのである。
 大抵の間違いは今の自分又は家族等他の人を実相に近づけよう、良くしようとする事である。そこに我(が)が生じる。裁きが生じる。罪の意識が生じる。実相では神に生かされ完全円満かも知れないが現象では自分で自分を良くしなくちゃ行けないって発想になる。救わなくちゃいけないっていう発想になる。そして、生長の家でありながら、それを行じてないと言っては家族を裁く事になる。生長の家の生き方は最高の生き方である。こんなもので裁かれた日にはたまったものではない。これ全て、今既にそのままで神の子完全円満であると思わず、これから完全円満にしよう、完全円満に近づこうとしている迷いから生じるのである。
 「真理の道はただ一つ、人間は神の子であるという事である。」とは原宿の生長の家国際本部の玄関前に掲げてある。それはそのままで既に今、神の子である自他の生命の実相をただ拝むという事なのである。

堀 浩二
by koujihori | 2011-07-14 12:32 | 家庭生活 | Trackback | Comments(0)

親に感謝とは?

 生長の家は「大調和の神示」で「神に感謝しても父母に感謝し得ないものは神の心にかなわぬ」とある。従って、殆どの生長の家信徒はこの「親への感謝」という事が大事であると認識してると思う。でもはっきり言う。親に感謝しようと力んでも感謝は出来ないのである。親への感謝が大事だからと言って、感謝しようとしても出来はしない。感謝出来たと思っても現象的に裏切られる様な事が出て来る、腹立たしい事が出て来る、情けない事が出て来る。そんな時に自分は生長の家の信徒としてまだまだ及第点ではないなと思う。そしてそんな自分を裁き、そして親に感謝出来ない原因を取り除こうとか色々と焦る。でも、そういう風に「感謝出来ない親」という具体的な存在を自分の外に認め、それに対して、何とか感謝しようとしても出来ないのである。出来たと思ってもまたちょっとしたきっかけで出来ない。

 しかしながら親に感謝出来ない、ああ感謝したいって思う自分の心とは「そのままで既に親と一体の心」であり、それがそのまま感謝の心であるのである。即ち現象の感謝すべき親は居ない。そんなものは優しい親であるかと思ったら次の瞬間、自分の期待を裏切るつれない不確かな親になるかも知れないのである。そんなものは全て、自分の心の歪みとして映るゆらゆらとした陽炎の様なものに過ぎないのである。そういう親を客観的にあるとして、これに「感謝してやろう」と思っても所詮無理である。

 現象の親はナイ。自分の心の影に過ぎない。本当の親様は既に自分の中に自分と一体の神の生命としてある。「そのままでよい」のである。そこから真に現実的に実感として親へ感謝出来るのである。

堀 浩二
by koujihori | 2011-07-12 22:48 | 家庭生活 | Trackback | Comments(0)

そのままでよい(38)

 そのままでよいのである。家族が悪い、迷っているからと言って、これを「良くしよう」という事で生長の家に送り込もうとする人がいるが間違った考えである。それは家族の悪や迷いをアリとして、それを良くしようとしているからである。悪や迷いをアリとして心につかめば、それを生長の家に送り込もうともその悪や迷いは決して消える事は無いのである。親に感謝が大事だからと言って、自分が親に感謝出来ない要素が出て来たとする。それで焦って、その要素を何とか解決しようとして、それから感謝しようとする。しかし、そんな事は必要ないのである。現象の親はナイのである。現象の親が変に映っているならばそれは自分の心が歪んでいるに過ぎないのである。
 
 「そのままでよい」のである。家族が悪いと言ってそれを良くしようとする必要は無い。親に感謝出来ないと言ってその感謝出来ない原因を解決しようとしなくてよい。そのままで現象ナシ、現象の親も現象の家族もナイ。それらを全て一刀両断にナイとして、そのままであれ。そこに汝は今そのままで天国を見出すのである。まだ一度も病気になった事も無い家族をそして有り難いばかりの親様を見出すのである。

堀 浩二
by koujihori | 2011-07-12 15:06 | 信仰 | Trackback | Comments(2)