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一切の責任は吾が内にあり(3)

 「一切の責任は吾が内にあり」とは生長の家の教えの一つである。が、しかし、それは全てを自分の我(が)の力で完璧にしなくてはいけないという意味ではない。一切は自分の心の影であるという意味である。
 何事か本来でない不調和な不幸な現象が現れているならば、それはひとえに自分一人の心に歪みがあるという事であり、自分一人が「既に神によりそのままで完全円満とされている世界」を観られていないという事であり、その事が罪であると言うのである。
 自分が一切を完全にやらなくてはならない、自分のやり方が不完全でまずかったから他の人に迷惑を掛けた、不幸にしたという意味ではない。もし、そんな事を考えている人がいるとしたらそれは途轍もない傲慢である。

堀 浩二
by koujihori | 2011-08-19 12:12 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

自分が神である。(5)

 自分が神であると分かれば、今、そのままで自分の心、一挙手一投足が神であったという事が分かるのである。そこに自分の心をコントロールしなくてはいけないという悩みは消えるのである。
 それが聖経「続々甘露の法雨」に示された「若し汝の心にて恐怖を滅せんと努力して、而も恐怖を滅することを得ざるときには、恐怖を捨てんとする努力をさえ止め、唯そのままであれ、ただ実相(そのまま)であれ。如何なる恐怖も「生命」の実相(そのまま)の中には存在せざるなり。無き恐怖を滅せんとする必要も亦あらざるなり。汝は「生命」の実相(そのまま)で宜しきなり。恐怖しながら、そのまま恐怖本来無きなり。」という言葉となるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2011-08-04 15:08 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

潜在意識はナイ。

 「潜在意識はナイ」と言うのが榎本恵吾先生の教えであった。これは何も新しい先生の発明でも何でも無い。生長の家の真理は「実相独在、現象ナシ、心もナシ」であるから潜在意識はナイのである。
 生長の家の信徒間では「心を清めなさい。潜在意識を清めなさい。そうしていれば運命も健康も境遇も良くなりますよ。」と言われる。しかしながら、心を清めようと思っても、その心がコントロール出来ないのが谷口雅春先生の悩まれた所である。
 実相は自分で出て来るのである。その実相が自分で顕れて、その結果、心の向け方が改まり、その集積が潜在意識の清まりである。

堀 浩二
by koujihori | 2011-08-04 15:06 | 信仰 | Trackback | Comments(2)