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思ったら思った通りになる。(2)

 生長の家は縦の真理と横の真理がある。縦の真理は「実相独在」、横の真理は「唯心所現」である。
 「実相独在」は実相完全円満の世界しか、本当には存在しないという事である。そして「唯心所現」は「思ったら思った通りになる」という事である。
 この現象世界は第二創造の世界だから、自分の心が作る世界だから自分の心がしっかりしてなくてはいけないと思うと安心立命にはならないのである。常に自己の心を清めなくてはいけない、悪い事を思ったらいけないと言う事になって来るからである。自分がこの世界を自分の心で作ると思うと間違うのである。
 要するに心の展開する第二創造の世界というのは自分が今ここにある神の国をどう認識するかが自分の周りに展開しているだけで実際に存在しないという事なのである。
 自分が今ここが神の国だと認識すればその通りの神の国が今ここにあるとありありと分かる。それが分からなければ本来今ここに実相常楽国土があるのにそれが分からず自分の心の歪みにより争いとか病気とかに見える。それが「思ったら思った通りになる」って言う事であるのである。

 自分が第二創造の世界という具体的世界を作るのではない。自分が真実存在の実相常楽国土をどう認識するかが自分の感覚の世界に映っている世界が第二創造の世界、現象の世界なのである。だから現象世界はナイと言うのである。そして、今ここが神の国であり、自分は始めから神であったという真理、実相に目覚めれば、その通りの世界が自分の周りに展開する。自分の人生に何一つ落ち度が無かった事が分かる。繰り返すがそれが「思ったら思った通りになる」という事である。

堀 浩二
by koujihori | 2012-04-24 12:44 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

神様が全て解決して下さる。(3)

 神様に全ての問題をお返しすべし。悩むのはそれを「自分で何とかしよう」と心でつかむからである。神様が全ての問題を解決して下さる。

堀 浩二
by koujihori | 2012-04-23 12:01 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

愛する事は自分がやるのではない。

 吾々が生きるのは自分という我(が)が生きるのではない。内なる神が自分を通して生きるのである。従って、善を為す、相手を愛するというのも自分という我(が)がやるのではないのである。自分の中の神の無限の愛が自分を通して愛するのである。「愛そう」と力まなくても良い。自分はそのままで愛であるからである。

堀 浩二
by koujihori | 2012-04-22 18:25 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

現象に自分が大丈夫かどうかの証拠を求めるな。

 現象、肉体に自分が大丈夫か、健康か、完全かどうかの証拠を求めるな。今、完全円満である。無限力である。現象はナイ、肉体はナイ。その自覚がある所、そしてそれが動きだし、それが生活の中で訓練されて行く中、現象は心の塊であるから、必ず良くなるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2012-04-20 12:51 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

問題はナイ(16)

 問題はナイ。過去にこういう失敗をしたから訂正しなくてはならないとか言う事は無い。そのままで神の歩みである。それがそう見えないのは自分の心が歪んでいるからである。自分が生きて来た、やって来たと思うのが迷いである。その迷いから、過去をやり直そうとか思うのである。それを我(が)と言う。

堀 浩二
by koujihori | 2012-04-19 14:43 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

生長の家にも段階がある。

 生長の家の教えにも段階があるのである。昨日今日、生長の家に来た入門者と生長の家をやり込んで「生命の実相」に穿ち行った者に対して同じ話は出来ないのである。
 生長の家、入門者に対しては形式的な話がされる。夫婦調和せよとか親に感謝せよとか悪い事をするな良い事をせよとか。これらは形の教えであり、逆にこういう形を示さなければ初心者は入り込み様が無いのである。こうした形の教え、道徳的な教えから入って、修行、又、他の人を救う為の菩薩行に始めは励まなくてはならぬ。そうした行を徹底する中で何時しか「そのままでよい。そのままで神である」という生長の家の実相独在の教え、真理に到達する。そこまで来れば自由自在にそのままで自分の言う事、為す事、そのまま神であった事が分かる。それを解脱と言い、仏の境涯と言うのである。

堀 浩二
by koujihori | 2012-04-17 12:48 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

そのままで悦べる事

 自分が今、そのままで神である(現象として映っている自分という意味ではない)という自信があれば、人からの評価なんてどうでも良くなる。そして、そのままでただ悦べる。ただ与える事が悦びとなる。その中で他の人、一切万物を神の現れとして拝むだけである。その拝みが心からの笑顔とか感じの良い挨拶となる。それだけで悦びなのである。
 しかし、そうする中でいつの間にか万人に拝まれ、祝福されているのである。

堀 浩二
by koujihori | 2012-04-11 12:30 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

病気が治らないのは

 先日、地元の地区の相愛会の方で奥様を亡くされた方がいらっしゃいます。ご夫婦共に長年、生長の家をやられている。奥様は癌で亡くなられました。60代半ばですから比較的お若くて亡くなった。
 これは以前も書きましたが通常、生長の家があれば病気は治る。と思いますね。でも、この様に治らない場合もある。ご主人は「今回つくづく分かったけど生長の家で病気が必ず治るなんてのは嘘だ」と仰ってました。これ、別に自暴自棄になって仰っているのじゃない。一種の悟りです。
 それではどうして生長の家をやっていても病気が治らないのでしょうか?それは一つはその方の寿命です。人間誰でも肉体は滅びる。だから、肉体を何時までも生きながらえるのが生長の家ではない。いくら生長の家でも寿命が来れば肉体を捨てて霊界に旅立つのです。
 それともう一つ。生長の家は病気治しの場所又は手段ではないと言う事です。そりゃ、肉体は心の影ですから、心が治れば治るべき病気だったら、治る。でも治らない場合はその人の寿命であると言う事ともう一つは時期が来てないからです。人生に取って、人間に取って一番大事なのは「そのままで今、完全円満の実相」を悟る事です。それが無いのに現象の肉体の病気だけ治っても仕方が無い。雅春先生は悟らないのに病気が治る人は不幸だと仰っています。
 大事な事は肉体が生きながらえる事ではないですね。自己のそのままで今、完全円満の実相生命を自覚又は悟る事です。その為に色々な人生学校の課題がある。その中で家族の死もあれば自分が死ぬ事もある。そうした学びを通して段々と何回も生まれ変わりをして、実相を悟って行く。これが一番大事な事です。そして、肉体がもし治る事があるならば、それはその時期が来ているからでまだその時期が来ていなければ今生で治る事は無いという事です。
 大事なのは現象に関わらず「今、完全円満の実相生命が自分である。神という大生命に生かされた自分である」と悟る事ですね。

堀 浩二
by koujihori | 2012-04-03 12:37 | 信仰 | Trackback | Comments(0)