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感謝しようとしなくていい。

 生長の家は感謝の教えである。そして、最も強調されるのは父母への感謝である。父母とは神の愛が最も具体的に目に見える形で現れているものであるからである。従って、「大調和の神示」には「神に感謝しても父母に感謝しえない者は神の心にかなわぬ」とある。
 だから、感謝しなくてはならない、感謝しようとするかも知れないがそんな心配は不要である。何故ならば今そのままで自分は「感謝そのもの」であるからである。これから我(が)という自分が刻苦勉励して決して心を乱さないで感謝をしなくてはならないというものではないのである。
 自分そのままで今そのままで感謝である。真の感謝は感謝が感謝するという事である。現象はナイ、肉体はナイ。感謝そのものの吾、即ち全宇宙に拡がる所の神のみが今ここにあるのみである。
 そのままでよい。

堀 浩二
by koujihori | 2012-07-23 22:57 | 家庭生活 | Trackback | Comments(0)

考えすぎるとどうして分からなくなるのか?

 人間、何か迷いが生じて、分からなくなると考え出す。でも、考えれば考えるほど、迷いは深まる。それは何故かと言ったら、真理を自分の外に求めるからである。全ての良きもの、幸福は自分の外には無い。自分の中にあるのである。それをキリストは「神の国は汝のうちにのみあり。」と仰ったのである。
 全ての幸福、真理は自分の外には無い。自分の中にある。それは自分は真理そのもの、神そのものであるからである。真理とか神とか幸福というものは外に求めるものではない。
 だから、真理、ものごとの真実というのも全て、自分の中にある。それをそう思わないで自分の外に答えを求めるのを「考えすぎる」と言うのである。
 吾々は人生万般、一瞬一瞬において、「何をどうすべきか」という判断をしなくてはならないのである。それを判断するに自分の中に神がある、真理がある、全てがある、という事を悟ったものは幸いである。何をどうすべきかはその時の自分の中の神が教えて下さる。

堀 浩二
by koujihori | 2012-07-21 21:47 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

迷い、悩みは存在しない。

 人間は「この悩みさへ無くなれば私は悩みは無くなるのに」と思う事があるのである。しかし、その悩みが消えても、又別の形に悩みや迷いは形態を変えて出てくるのである。しかし、前の悩みは確かに消えたのであるから迷いや悩みの実体というものは存在しない、要するにナイというのは明白である。それなら何故、悩みや迷いがアルかの様に感じられるのであろうか?それは吾等の「この世界には問題、悩みが存在する。だから、それを何とか解決しなくてはならない」と思う迷いから来るのである。
 人間、一つの悩みや心配が去ると、又、その悩みや心配が別の形になるのである。それは病気というものが外科手術的に治しても、その心の原因が治っていなければ又、別の形で現れるのと同じである。
 迷いや悩みは存在しないのである。それを「この悩み、この迷い、この病気を何とかしよう」として心につかんで何とかしても心につかんでいる限り、又、別の悩みや病気になって出てくるのである。
 迷いは悩みは存在しない。それは神によって消して頂けるのである。神によって消されているから存在しないのである。

堀 浩二
by koujihori | 2012-07-17 18:30 | 信仰 | Trackback | Comments(1)

病、本来無ければ、病の原因も本来無し。

 「汝等、この病は何の罪の結果ならんかと病の原因をいちいち詮索する事なかれ。病、本来無ければ、病の原因も本来無し。」

 これ聖経「続々甘露の法雨」の一節です。僕達生長の家信徒は病気は心の影という事を知っている為に自分とか家族が病気になったのはどういう心の間違いが原因なのかとかひどい場合は自分をそれで責める事がある。
 先般、母が亡くなりましたが最期はお陰様で大往生だったとは言え、私は密かに母が倒れたのは自分のせいだと思っておったのです。それは母は父が僕ら息子に対する不満を毎日、母にぶつけていたそのストレスで倒れたのであり、それは元はと言えば自分の日頃の行状に原因があると思っておりました。要するにこれは罪の意識です。

 でも有り難い事に生長の家は実相独在の教えです。罪本来無しの教えです。私は今朝、何となく感じる事があり、それをメモにしたためました。以下の通りです。
 
 「不調和というものは実在ではない。単に自分の心の歪みが映っているだけである。病気の原因である不調和の心というものは存在しない。だから母はストレスが原因で死んだというのも単に私の心の歪みが映っているに過ぎない。
 そう見えるのは私一人の心の歪みに過ぎない。私のその心の歪みが正しくなれば母は一度もストレスを感じた事も無ければ、父がストレスを与えた事も無い。そして父に私が不機嫌な顔をして嫌な思いをさせた事も無い。
 今、そのままで大調和の世界であり、それ以外、何もナイ。私の行動は父の行動は母の心はそのままで神のものである。それがそう見えないのは私の心の迷いであり、歪みである。その事を悟る事が母への一番の供養である。それを私のせいだ、父のせいだ、母のストレスを感じやすい心のせいだと気に病み、それを何とかしようという心は母を迷わせ、苦しめる。
 母はこの世の学びを全て卒業して、天寿を全うして、霊界に旅立ったのである。それが実相である。」

堀 浩二
by koujihori | 2012-07-11 09:07 | 信仰 | Trackback | Comments(2)

母が他界致しました。(2)

 人間の死というのは家族に対して教化の意味があると言われています。
 私は今回、母の他界によりどれだけ多くの教化を頂いたか分からない。当初、母が具合が悪くなったのは父が毎日の様に私の不満を母にぶつけていたからだと解釈しました。
 
 私は父の経営する会社で働いていますが会社での私は先ず笑わない。仕事中はいつも真剣だからそんな甘い顔を出来ない、へらへらなんかしておれないと思っていたのです。
 でも二日に一回位、出社して私の横に座っている父からすればそれがとても嫌だった様です。何しろ、父は95歳、会社の送迎も私と兄で交替で車に乗せて来ていて、昔の力は無くなっているので、息子が隣で恐い顔をして仕事しているのがとても寂しかったのでしょう。
 それでその愚痴を毎日母に言う。母は母で息子を非難されているのを聞くのが忍びない。そのストレスがガンになり、倒れたと私は当初、解釈していました。私は自分の職場での笑顔が無かった事が今回の全ての原因であると思い、それから私は努めて笑顔を職場でも作る様になった。
 そうしたら脳の血流が良くなり、体調が良くなるのを感じる事が出来たのです。おまけに私は会社でかなり恐れられていると言うか煙たがられていると言うかそういう部分が今から考えると大部あったと思います。もちろん、私の醸し出す雰囲気が恐いものだったからです。
 それが会社でも笑顔で社員と接する事が出来る様になった。笑顔も意識して訓練しなくてはならないとその時、本当に身にしみて実感しました。

 そして、今回、母の事以上に心を痛めたのが父の事でした。父は95歳であり、2年半前に母が大腸癌の手術をした時はそのストレスからぼけが大部進んでしまった。
 そして今回の事でまた更に進んだ。所謂認知症というものですが、これは単にぼけているだけなら問題無いのですが、攻撃的になる。それがすさまじい家族のストレスになるのです。
 父は自分の金を取られたと言い始め、その犯人を私と兄であると言い始めました。何でもそれが認知症の最初の症状とかでそれを聞いた私たち兄弟は途方に暮れました。最初のこの症状でも非常に子供達に取って大変なストレスであるのにこれが最初の症状だなんて。
 私はその父の所謂認知症というものに恐れおののいた。しかし、生長の家の神奈川教区相愛会の事務局長さんのM氏の体験や生長の家のSNS、ポスティングジョイで山田幸世さん他からのメッセージにある認知症の親や姑さんが周囲が愛を与えたら治ったと言う体験談を知らされるにつれ、勇気と希望がわいて来ました。
 
 真理の面から言ったらどんな現象を現している相手でも自分の中の心にあるもの以外見る事は無い。攻撃的な父ならそれは自分の攻撃的でわがままな心を映してくれている観世音菩薩であると気がついたのです。 私は元々、どちらかと言えば、ストレートな性格であり、割合、瞬間湯沸かし器の様に怒りを爆発させたり、憤慨する事があった。父の攻撃的言動はまさしく自分の姿であったと悟らせて頂きました。
 
 それが分かったら父はそんなに無茶苦茶な人間であるという風には見えなくなって来た。父に比べれば自分の方がよほどわがままだと気づいたのです。
 その辺りから父の攻撃性は消え、今では同じ事を何回も聞いたりするのは相変わらずですがいつも冗談ばかり言う好々爺になってしまいました。私はこの事が無かったら自分の攻撃的、わがままな性格に気づかず、そのままだったら恐らくひどい攻撃的な言動、行動をする認知症の老人になっていたであろうと思います。正に地獄に落ちる直前に救われたのであります。
 
 また、認知症の人で攻撃的になるのは恐怖心があるからでその元は寂しいからです。愛に飢えているからです。だから、お金を取られただのご飯を食べさせてもらえないとか言う訳です。心が満たされたらそんな事は言わない。
 今回は私の妻が本当に親身に父に愛を持って接してくれた事が本当に良かった。妻は寝たきりになった母の下の世話も何一つ嫌な顔をせず、一所懸命やってくれた。父はそんな妻を見て、「有り難う、有り難う」と言っていました。それまで父はそんな事を人に言った事など無かったのです。
 
 そして、母が寝たきりになった5月末から母が昇天するまでの7月5日迄の約1ヶ月ちょっと。この間、私と家内は毎晩、父と三人で夕食を摂り、その後、父が寝付くまで一緒に過ごし、談笑し、その間の母のお世話等々、本当にこれ以上無い親孝行をさせて頂く機会を頂きました。本当に有り難かったです。
 
 生長の家の真理は「人間、神の子生き通し、肉体は滅んでも、魂は生き続け霊界に行く。そして機会があればまた生まれ変わってくる」というものであり、私はそれを堅く信じております。
 母は死んだのではない。霊界に移行しただけだ。そして、一度家族になったものはこれから永遠に別れる事は無い。来世でまた別の関係か、もしくはまた親子という関係で再会する事が出来ると信じておりますので母が他界してもそんなにひどくうちひしがれる事はお陰様でありません。
 だから、亡くなる事自体は受け入れられますが私が神経をとがらしたのが安らかな大往生であって欲しいという事でした。それが本当に冒頭に申し上げた様に「大往生したけりゃ医療と関わるな」という本の存在を知り、途中、紆余曲折はありながら結局、自宅で最期を迎えられた事、そして訪問看護の素晴らしい診療所の先生達に巡り会えた事が幸いし、母はお陰様で理想的な安らかな大往生を迎える事が出来、スムースに霊界に旅立つ事が出来ました。
 これらは結局は全て、神様のお導きによるものですが直接的にはご先祖様のお導きだったと確信しております。

堀 浩二
by koujihori | 2012-07-07 17:15 | 家庭生活 | Trackback | Comments(2)

母が他界致しました。(1)

 一昨日7月5日、午前10時10分、母が他界致しました。享年86歳です。
 母は5月1日辺り、気分がどうも優れないが風邪だろうという事でした。その後、私たち夫婦は3日から5日まで長野県の父の別荘に静養に行き、6日に帰宅(うちは二世帯住宅で私たち夫婦は父の家の二階に住んでいます)した所、母は体調の不調が戻っておらず、その様子を見た時、私は一瞬「ああ、これは母の最期の時が来たのかも知れない。」と思いました。
 それは生長の家の「久遠生命の神示」にある「一曲が終わらんとするを悲しむな。それはなほ高き一曲に進まんがためである。その前に調律者が来て汝の念弦の調子を正すであろう。この調律のために一時汝の仮有は調子ならぬ調子を奏でるであろう。この世の一曲が終わる前に肉体の調子が乱れたやうに見えるのはこの調律のためであって真に調子が乱れたのではない。」そのことだと直感しました。そして、かなり落ち込みましたが、その内「自分の運命の全てを受け入れよう」という達観した心になって行きました。
 
 そうこうする内に母がかかりつけの診療所に行って、診断してもらった所、風邪の菌が三半規管に入り込んでいるのだろうと言われ、私はそれを聞いて、一安心。でもその後、母はどんどん弱り、人に支えられないと立っていられなくなって行きました。そして、5月14日にもう一度、医者に診てもらったら、脳梗塞かも知れないと脳梗塞の簡単な検査をしてもらい、その時点では脳梗塞の疑いは無いと。で、一応、脳の血流を良くする薬を処方され、これを飲んで一週間しても治らなかったら、大きな病院でMRIの検査を受ける様に言われました。 母の症状としては頭がふらつく、胃がむかむかして気持ち悪い、だが何か食べるとそれが収まるというもの。それでその晚、兄が「それは自分の経験からすると胃潰瘍に違いない」という事で三日後の17日に胃カメラの検査を受けました。でも胃は全くの正常で問題無いと。
 
 そして母はその後、日を追うごとに弱って行き、これは老人性鬱病ではないかとか色んな意見が子供達の中で出ましたが、私は「これはやはり母の最期の時が来たのだろう」と判断しました。
 で私の兄弟は私が末っ子の四人兄弟ですが一番上に兄、そして姉が二人いて私という順番ですが、私と上の姉は意見が合って、これは寿命だろうと判断しました。
 しかし、そうでないと言う兄弟も居て、彼らは母を一刻も早く入院させるべきだと主張しました。実は私は母が倒れる直前の四月の末に「大往生したけりゃ医療と関わるな」という本の存在をたまたま聴いていたラジオで知ったのです。
 その内容は「人間の最期は本来は安らかなものだった。例え癌であったとしても、いよいよの時は自然に脳内モルヒネが出て、昏睡状態になり、最期は眠る様に死ねる。昔はみんなそうやって家で楽に死ねた。しかし、現在は皆、病院に入れられ、そこで抗がん剤だなんだとやる。癌に痛みが出るのは抗がん剤をやって癌細胞が暴れるからだ。自然にそのままにして、食べられなくなったら点滴なんかしないで自然に最期を迎えれば、安らかに眠る様に死ねる」というものです。
 私はその本をすぐ購入し、母にも読んでもらっていました。それが丁度、5月の初め、母が具合が悪くなり始めた頃です。
 私はその本に出会ってなかったら、母を他の兄弟と同様に入院させていたと思います。前から母がお世話になっている整体師のUさんという女性の方がいらして、母が倒れてからそのUさんが毎日、家に来て、母の整体をやって下さっていたのですが、この方、整体だけでなく分子整合栄養学という医学的な事も勉強されていて、色々な人の臨床例も知っている。
 その人が「入院はさせない方が良いですよ。病院ってもう(死ぬまで)二三日って人をレントゲンとる様な所です。点滴もやり過ぎて、体からしみ出てきてる人もいた。点滴って異物ですから本人は苦しいのです。うちに来る脳外科の先生も「そういう時の点滴なんて効かない」って仰ってました。入院させるより、家で家族の皆さんがお世話した方が良いですよ」とアドバイスを下さいました。
 
 それでも兄弟間での母の扱いに関して意見の対立があり、それは一時、かなり深刻なものとなりました。でも、そこは神様、ご先祖様のお導きとしか考えられなかったのですが、こちらが譲歩したら先方もこちらの考えを受け入れてくれ、お陰様で母は自宅療養という事になったのです。
 そして、これも本当に幸運な事だったのですが我が家の住居のある鎌倉にはドクターゴンという訪問診療専門の診療所があり、その所長はあのドクター・コトーのモデルともなったお医者さんで金儲け主義、権威主義の医療界に反対して、真に患者本位の思いやりある行き届いた医療をして下さる方でその人に共鳴した若い医師、5人ほどのチームを組んだ診療所なのです。
 そのこの上なく素晴らしい診療所に掛かり付けの診療所のお医者さんから紹介状を書いてもらって、お世話になる事が出来ました。
 
 そこのお医者さんの見立てによれば母は腫瘍マーカーが異常に高いので二年半前に手術した大腸癌の再発であろうという事でした。でも、点滴とかせずに自然な状態で平安な最期を迎えられる様にしましょうという事を仰って下さった。これは本当に私としても有り難い事でした。冒頭でご紹介した「大往生したけりゃ医療と関わるな。」の本の通りになったのです。
 その後、母は完全な寝たきりになり、殆ど昏睡状態になりました。起きている時の反応も徐々に鈍くなって行きました。徐々に徐々に体の機能が落ちて行ったのです。でも、有り難い事に苦痛はゼロでした。
 6月の半ば頃から週に一度位、状態が回復する事があり、その際は問いかけにも言葉で応じてくれ、談笑めいた事も出来た事もありました。脳梗塞かも知れないという診断もありましたのでこれを機に回復するかと若干期待した事もありましたが、それも空しく、その後、経口でかすかに摂れていた食事も出来なくなり、今月5日、遂に静かに息を引き取りました。最期まで苦しむ事は無く、眠る様な大往生を自宅で家族に見守られながらする事が出来ました。
 

堀 浩二
by koujihori | 2012-07-07 17:06 | 家庭生活 | Trackback | Comments(0)