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悪かったと分かったらもう治っている。

 生長の家の教えで
 「悪かったと分かったらもう罪は消えている。」
 というのがある。

 正にその通りなのである。観世音菩薩の働きにより、自分の心情、行動を他の誰かが演じてくれている。それは頑固さだったり、意地悪だったりと。

 そうされる事により、身にしみて
 「ああ、そういう心を起こしてはいかんのだ」
 と反省する。

 その瞬間、自分の頑固な心、意地悪な心は治っている。それをこれからこの自分の迷い心を何とか治さなければいけないと迷いをつかむ事は要らぬ。

 実相は自分で出て来る。悪かったと分かる事は本来の悟った自己の心が内側から出て来たから過去の間違いが分かるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2012-10-31 12:40 | 信仰 | Trackback | Comments(2)

今、ここそのままで完全円満の実相世界である。(5)

 吾々は悩みを持つ事があるだろう?そして、いつも悩んでいるが、別の悩みが出て来たら、前の悩みなんてもうどうって事無いという事になるだろう。
 それは具体的な悩みの事象なんて存在しないという事である。それはひとえに自己の心のレンズが歪んで、世界が自分に取って不完全に映っているだけである。

 この世界は今、そのままで何の問題もナイ世界、完全円満の世界である。自分の人生は今まで何の間違いも無く完璧な人生である。それを実相世界と言うのである、それは大調和、無病、不死、智恵無限、愛無限、全ての人間は完全円満、無限力であるのである。それがそう見えないのは繰り返すが単に自己の心のレンズが歪んでいるだけなのである。

堀 浩二
by koujihori | 2012-10-29 12:38 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

神の御力によって出来る。

 無限力はそれを実行する事によって初めて出てくる。しかし、それがトラウマであるとかの心の傷でどうしても出来ないと感じられる事もあるのである。そうすると真理を実行出来る人は良いが実行出来ない心の弱い人は駄目という事にならないか?
 とすると神様は真理を実行出来る心の強い人と実行出来ない心の弱い人を二通り創造されたのであろうか?
 そんな事は決して無いのである。神は全ての人間をご自身の自己実現として完全円満、無限力で創造されたのである。
 心配する事は要らない。真理は神の御力によって必ず実行出来るのである。勝手に自分で実行出来ないとして諦めてしまうから駄目なのである。そのままであれ、そのままであれ。そのままであれば神が神の責任において神の御力と勇気を与えて下さって吾等は真理が実行出来るのである。

 それを「実相は自分で出てくる」「神に生かされている」と言うのである。

堀 浩二
by koujihori | 2012-10-28 11:57 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

温暖化問題は観世音菩薩の御働き

 この世界は観世音菩薩の教えの世界であり、現在の地球温暖化の問題は人間以外の生物、鉱物一切を含めた存在が神において自他一体であるという真理に対して、その自覚を人間が喪失しているという事の観世音菩薩の教えそのものなのである。

 だから、大事なのは人類がその自他一体の真理に目覚める事こそが大事なのであって、温暖化問題を通して、人間の自覚が生まれ変わる事が重要である。それ無しに温暖化という事象だけ収束しても意味が無いのである。

堀 浩二
by koujihori | 2012-10-27 10:45 | Trackback | Comments(0)

悪はナイ。(6)

 今日、私は全く持って深い真理を発見したのである。それは「悪は存在しない。」という事である。「悪と見えるものは自分の妄想に過ぎない」ということである。

 私は立場上、いわれのない迫害と差別と不遇に遭っているともうかれこれ25年間思い続けていた。それは私が働いている職場の事である。

 今日、それが全くの幻想であるという事がはっきり分かった。それはある人の姿を見たからである。その人はみんながその人の為に尽くして愛を注いでいるにも拘わらず、「自分は粗末にされている」とこぼすのである。その人に取っては本当にそういう風に感じられているのである。だから、そういう実感になるのである。
 これを目の当たりにした時、正に私はその人を自分の鏡、観世音菩薩であると分かった。私もずうっと言われないのない不遇にあえいでいると思っていたが、この人はそんな私の心を映してくれているのだと直感した。

 この世界は今、そのままで無限供給、愛無限、智恵無限の世界である。それなのに自分の心の妄想により勝手に自分は恵まれていない、虐げられていると感じるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2012-10-25 21:17 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

因果を超越する教え。

 生長の家の教えは因果を超越する教えである。過去にどんな罪を犯していようが、「吾、神なり。罪ナシ」を自覚すれば一足飛びに因果を超越する事が出来るのである。
 それが解脱である。現象アリとしたならば吾等は過去世でどれだけの罪を犯したか分からないのである。それを一つ一つ、消して行かなくてはならないのならこれは気が遠くなる話である。
 しかし、実相独在の悟りに超入する時、一切の罪は消える。一切の因果を超越する事が出来るのである。

 しかしながら、その悟りを得たものであっても原因結果の法則の外に出る事は出来ないのである。人を怒れば自分が怒られる。人を排除すれば自分が排除される。それで良いのである。それにより自分の心を反省出来て、そこに無限生長が行われるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2012-10-24 21:37 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

そのままでよい。(41)

 「そのままでよい」のである。何故なら、吾等は今そのままで神であり、完全円満であるからである。しかし、それは現象の事ではない。現象の奥の実相の事である。現象は始めからナイからそれでよい。実相のみあるからそれでよいのである。

 現象に実相が出てくる事が大事であるが、それは「実相は自分で出てくる」からそれで良いのである。
 私は現象的には完全に他人の幸福を悦べない部分もある。嫉妬の激しい部分もある。人の悪がどうして赦せない部分もあるのである。しかし、私はだからと言って「聖人君子の様に無理に振る舞ったり、自分の心をその様に良くしよう」とは考えないのである。
 そのままでよい。そのままでよい。寂しいなら寂しいでよい。理不尽を感じるなら感じるでよい。人の成功が喜べない自分ならそれでよい。それらはいずれ、自ずとより神らしい、大なる愛が出てくるのである。それは観世音菩薩の御働きを通して出てくる。だから、私はそれまで待つ。それでよいのである。それを無理して人の成功を吾が事の様に喜べない自分は駄目だ、無理してもそうしようなどというのは我(が)である。神は神する事により実行される。表現される。顕現するのである。それは時期が来れば自ずとそうなる。

 実相は自分で出てくる。そのままでよいのである。

堀 浩二
by koujihori | 2012-10-23 19:56 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

何を為すべきか。

 生長の家の真理は「人間は神の子であり、無限力がある」というものである。しかし、その無限の才能はのほほんとしていて出て来るものではなくて、それを掘り出す努力が必要なのである。そして、人生たかだか80年の中でその掘り出す努力の時間は限られている。だから、吾々は何回も生まれ変わって、徐々に自分の中のあらゆる才能を掘り出し、開花させて行くのである。
 従って、この人生、何に向かって努力、勉強して行くかという事が重要な事になって来るのである。
 何を努力の対象にしたら良いかという事はどの様にしたら良いであろうか?それは「そのまま」でよいのである。「そのまま」の中から自ずと自分の努力の方向性が見出される。

 私は余暇の時間にテニスとか英語だとか彫塑とかをやっているが、私は生まれつき、スポーツの力が培われていたとは言えないと思う。どちらかと言えば、生来、芸術的な事に長けていたと思う。それなら、どうしてテニスをしているかと言ったら、家に卓球台があって、ラケットなどでボールを打つという技術に関しては子供の頃から比較的得手であったという事も理由の一つであるが、私はテニスをやる事が自己の潜在能力の開発、探求に非常に役立っているのである。
 それはあらゆる事につながるのであり、内在の無限力を体感するのにも大いに役立つ。そして、それを私なりにこうしたブログとか他の媒体、そして生長の家地方講師としての講話などで真理の話をする際に役立っているのである。
 これは「そのまま」であるから、自ずと今の私に必要な能力開発の道にかなっているのである。だから、自分は何の能力を伸ばすべきかというのは繰り返すが「そのまま」にして、自ずと自分にめぐって来る事、やりたいと思う事を素直にやっていれば良いのである。

堀 浩二
by koujihori | 2012-10-23 13:29 | 社会生活 | Trackback | Comments(0)

訓練の意味(2)

 本当の訓練とは「今、出来る。今、完全円満である」の自覚の発動に他ならない。そこから潜在意識にその「今、出来る。今、完全円満、無限健康である」が刻印されて行って、現象世界に完全円満の実相がより顕現して行くのである。
 「まだ駄目だ。まだ出来ない。まだ病気が治っていない。」と悪い部分、不健康な部分、出来ない部分を心でつかんでそれを訓練とかで「良くしよう」というのではそれはますます悪くなる。それは「まだ駄目だ」の自覚の集積が潜在意識に刻印されていくからますます駄目になるのである。
 生長の家で「この病気、この病気」と思って、色々行をやったり、先祖供養しても駄目である。それはやればやるほど「この病気」と心で病気をつかむ事になる。
 生長の家でたまにそういう人がいる。間違った地方の指導者に間違った指導をされて、その病気は先祖供養が足らんからだ。と言われ、そして「これでもか、これでもか」と先祖供養をやって「この病気を先祖供養で治しましょう」と思って、ますますひどくなっている人がいるが、それは病気とか悪い所をつかんでそれを「良くしよう」としているからである。

堀 浩二
by koujihori | 2012-10-20 21:23 | 潜在能力 | Trackback | Comments(0)

週刊文春の記事について

 私は生長の家が政治活動から離れた経緯、そして、その後、どういう路線で運動しているかという事は全て光明化運動の現場で見てきた。二代目総裁、谷口清超先生、現総裁谷口雅宣先生の講演、著作物、日頃の行動を全て、自分で見て聞いて読んで判断した者としてこの週刊文春の記事は全く稚拙、浅薄としか言い様が無い。
 生長の家は政治によって、日本を良くするという事に見切りをつけたのがおよそ30年前。それは政治というものでは世の中を良くする事が出来ないと判断したからで、その路線は今もはっきりと貫かれている。
 同記事は雅宣先生の御講話とか著作物をじっくり読んだり、日頃の行動もろくにウォッチングする事の無い宗教、信仰をただの学問としてしかとらえない宗教学者なる人間のインタビューから成り立っているひどいもの。
 橋下氏も生長の家も中田氏も全て今回の事は否定しているのにこの宗教学者の島田氏の私から見れば実に浅はかな考えを元に記事を書いている。

堀 浩二

週刊文春のねつ造報道に対しての谷口雅宣先生のブログ
by koujihori | 2012-10-18 18:59 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)