<   2013年 02月 ( 5 )   > この月の画像一覧

今、ここそのままで完全円満の実相世界である(4)

 脳科学者の中野信子氏の著作「科学がつきとめた運の良い人」によると「この世界は万人に平等にものごとが起こって来ている。しかし、運の良い人というのは同じ事でもプラスにとらえるのです。例えば、雨が降って来たとして、ある人は「ああ、憂鬱な雨だな」と思うし、又別の人は「ああ、良いお湿りだ。有り難い」と受け取る。」との事。

 これは全くその通りである。要するに完全円満大調和の実相世界は今ここにあり、全ての人はその恩恵に浴しているのである。しかし、心がまだ幼くてその自覚の足りない人はそれに目を閉じて、「暗い、暗い、自分は不幸だ」と感じるのである。逆に悟りが出てきて、神の作り給うた完全円満の実相世界をそのまま観じられる様になった人は「ああ、有り難い。生かされている事が有り難い。失敗しても有り難い。勉強になった。進歩した」ととらえる事が出来るのである。

堀 浩二


by koujihori | 2013-02-26 20:11 | 学術問題 | Trackback | Comments(2)

信仰の中心は「人間は神の子である」という事である。

 生長の家の聖典「生命の実相」第七巻生活篇に書かれている所の「如何に生長の家の生き方を行じて行くか」という事がある。
 そこには「人の光明面を見ろ」「今に集中して生きろ」「思い切り良く押し強く勇敢に行動せよ」等々の生き方が書かれている。また、生長の家では特に親に感謝という事が強調され、そして先祖供養の大切さという事も良く言われる。

 そうなると生長の家の教えというのは実に心得なくてはならない事が沢山あるように感じる。病気になったのは人を恨んでいるから、特に親を恨んでいるからだとか先祖供養が足りないから先祖が迷って子孫に救いを求めてそれが子孫の病気になっているとか言われるからである。

 しかし、それらは全て派生的な事である。信仰の中心は
「人間は神の子で完全円満である。」という事である。
 この信仰が中心となれば自ずと大安心となり、恐怖心が無くなる。そうなると自ずと人を敬い、感謝出来る様になる。そして、先祖に対して自ずと感謝の心が出て来て、供養する様になる。そして、自ずと生活全般が内側の無限力を訓練する連続となって、潜在意識が清まり、心が鍛えられ、そこに当然、病気は消え、運命は好転するのである。

堀 浩二
by koujihori | 2013-02-15 17:36 | 信仰 | Trackback | Comments(2)

人間は肉体ではない。永遠生き通しの生命である。

 習慣ってありますでしょう?習慣になってるからついそうしてしまうって。またスポーツなんかでも反復練習するとそれが大きな力となって行くという事がある。じゃあ、その習慣とか反復練習の成果の元になっているのは何?それは潜在意識です。人間の意識は潜在意識と顕在(現在)意識に分かれてて、潜在意識は隠れている心、そして顕在意識は表面に出ている心。で、その割合は9対1もしくは9.5対0.5の割合で潜在意識の方が多い。それは丁度氷山に例えると分かり安く、氷山の大部分は水面下にある。それが潜在意識。

 で、人間の習慣もしくは生理作用って潜在意識が司っている。だから表面の心で「健康になりたい、幸福に暮らしたい」と思っていても潜在意識が歪んでいると病気になる、不幸になる。

 その潜在意識ってどうやって形成されるかと言ったらそれは普段の顕在意識の繰り返しが段々潜在意識に刻印されるかもしくはかなり強い刺激を受けるとやはり潜在意識にインプットされる。俗に言うトラウマっていうのはそういうメカニズムで出来る。戦場とかですごい恐い思いをするとそれが潜在意識に入ってトラウマになって後々その人を苦しめる。

 ではその潜在意識、顕在意識ってどこにあるか?人によってはそれは脳だと言うかもしれない。しかし、それは違う。もちろんそこが破壊されれば意識は表面に表出される事も無ければ意識が外側から何か刺激を受ける事も無い。それは脳細胞は意識の発信器であり同時に受信機だからです。でも、脳細胞を活性化させる為に脳トレをしようと決意し、実行するのはその人の心、即ち意識です。だから意識、心と脳細胞は別物。
 潜在意識、顕在意識は脳細胞そのものじゃない。だから人間は肉体ではない、人間は肉体が滅んでも霊は霊界で生き続けるというのです。ただ、その意識は脳細胞を作る、その他の臓器も作る。従って、人間の意識が病気を作る事も治す事も出来るし、頭を良くする事も駄目にする事もスポーツその他の技量を上げる事も出来るって事ですね。

 こうやって考察して行くと何回も言うけどどうしても人間は肉体ではない。霊であり、肉体が滅んでも個性ある生命として生き続けるものであるという事が分かります。

堀 浩二
by koujihori | 2013-02-15 13:00 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

生長の家の生き方は我(が)では出来ない。

 宇治でかつてご指導されていた榎本恵吾先生はよくこう仰っておられた。
 「実相は自分で出て来る。」

 これは先生によると最初にこう仰ったのは生長の家の初期の雅春先生の高弟の服部仁郎先生だそうである。(榎本先生は服部先生の指導を直接受けておられます。)
 実相は自分で出て来るのである。しかし、それは考えてみれば生長の家の教えそのものである。それは生長の家の神髄は「実相独在」であり、実相以外に何も存在しない。という事は何を為すにも実相が実相する以外ありえないという事である。それを
 「神様に生かされている」「神様に全託」と言うのである。神に生かされ、支えられ、導かれている。それが完全にそうであり我(が)の入り込む余地など微塵もない。それが実相独在という事であり、だから、神に感謝という事になるのである。
 実相顕現に我(が)が少しでも介入していれば、神に対する満腔の感謝という事にならない。少しは「オレがやった」という増上漫が入り込むのである。
 
 それを生長の家の招神歌では
 「吾が生くるは吾が力ならず天地(あめつち)を貫きて生くる祖神(みおや)の生命(いのち)。吾が業(わざ)は吾が為すにあらず天地(あめつち)を貫きて生くる祖神の権能(ちから)」
 と歌っているのである。

 従って、聖典「生命の実相」第七巻「生活篇」に出て来る生長の家の生き方は我(が)で頑張って出来るものではない。吾等の実相が実相する事によってのみしか出来ない。
 実相は自分で出て来る。その過程の中で自ずと生長の家の生き方が出て来るのである。

堀 浩二
by koujihori | 2013-02-08 18:00 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

人間の生命は永遠生き通しである。(2)

 人間は肉体ではない。魂であり、霊である。肉体などのあらゆる現象は理念の表現である。
 人間の心を神経の作用という人がいるが、それは神経を通じて心の作用が出てくるだけであり、神経が人間の心そのものではない。
 脳細胞、脳神経を良くもするも悪くするもその人の日常の心がけ次第なのである。だから、人間は脳細胞などの肉体ではない。人間は霊であり、だから人間は本当は不死なのである。

堀 浩二
by koujihori | 2013-02-02 10:50 | 信仰 | Trackback | Comments(0)