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一番大切な才能

 どうして努力とか練習とか勉強するのか?それはそのままじゃ駄目だから努力する、勉強するって言う人がいます。じゃあ、自分に自信があったら努力とか勉強しないのか?という疑問があると思う。

 それは才能があるから、無限力があるからこそ努力し、勉強するのである。世に言う天才とは人知れず人一倍努力する人間である。それは野球のイチローしかり、長嶋茂雄しかり。

 人間無限力というのは「もうこれでおれは分かった、極めた」という自覚ではない。それは天狗は芸の行き止まりで慢心である。本当の無限力の自覚は「自分はこれからいくらでも伸びる」という自覚であり、それは「自分の実力はまだまだです。」という謙虚さにつながるのである。

 それと同時にそれは不断の訓練、勉強という事につながる。それは神の子無限力というのは無限生長であるからその無限生長が現象的に展開されれば不断の訓練及び勉強という事になるのである。そしてそれは現象的に潜在意識に蓄積され、現実的な力となって顕れる。しかし、その本体は実相生命の無限生長そのものである。

 であるから、一番大事な才能というのは「不断に努力、勉強し続ける才能」という事になるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2013-05-29 22:09 | 潜在能力 | Trackback | Comments(0)

自分の歩み、判断そのまま神の歩み、判断である。

 生長の家の教えで「自分の判断を信ぜよ」というのがある。自分がこれが正しいと判断した事はあれこれ悩まずにそれを信じて行動せよという事である。

 それはとりもなおさず、自分の本質が今そのままで神であるという真理に起因する。だから、自分がこうであると判断した事は神が判断された事なのである。
 人間は神の子である。それが生長の家の真理の神髄であるが神の子というのは神という事である。と言う事は自分は神であるという事。その神である自分がこれが正しい、これが真理だと判断した事は神がそうご判断されているのである。だから、後悔は一切不要である。自分の歩み、自分の一挙手一投足は神の歩み、神の一挙手一投足であるのである。

 それが人間神の子という事である。だから、迷うなかれ、悩むなかれ、おのれの判断を信ぜよ。自分がこうだと判断したらそれを信じてずんずん進め、実行せよ。それで例え、失敗したとしてもその分、学びが進んだのである。生長したのである。

 そしてそれが実相が自分で出てくるという事である。この世界は神と神よりいでたるものしかない。吾等の人生は吾等の内なる神が自分で出てくる人生でしか無いのである。

 私の今までの半生は色々と紆余曲折もあったが全ての経験が私の本当の個性、才能、理想を実現させる為のものであった。完全に神に導かれていたのである。私の経験が。これ即ち私の中の神が自分で出てきている人生なのである。

堀 浩二
by koujihori | 2013-05-25 21:59 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

そのままで美しい。

これはdoveが作った素晴らしいビデオ。自分の顔は自分が思っているより美しいというもの。

 これは真理だ。人間は神の子完全円満だからそのままで美しい。でも、自分がその事を自覚せず心が歪んでいればそれが感じられず、この現象世界は自分の自覚が映っている世界だから、その自覚通り、本来そのままで美しいのに自分にはそれが歪んで醜いと感じられる訳。

 それは例えば、自分の鼻が低くて横に拡がっているという風に心が引っ掛かっていればそれがより大きく自分の中で感じられて、現象にもそう映る訳。現象は心の影というのはそういう事だね。

 私など二十歳くらいの頃は自分でそんなに小顔だなんて思った事無かったけど中年太りした今の顔を見慣れていて、たまに二十歳くらいの時の写真を見るとすごい小顔。要するに現象は全部自分の心の影で実際に具体的なものではない。

 ただし、自分はそのままで美しいのに自分の欠点に引っ掛かっていればそれが大きく感じられるけど人は自分の鏡だから、自分が例えば自分の鼻が低くて横に拡がっているという事に引っ掛かって気にしていれば他の人はそれを察知して、その事を指摘して来ます。

堀 浩二
by koujihori | 2013-05-24 12:08 | Trackback | Comments(0)

実相は自分で出てくる(49)

 実相は自分で出てくるのである。我(が)がああしてこうして出てくるのではない。実相は完全円満で無限力で素晴らしいけれどもそれを出すにはどうしたら良いだろうかとああだこうだ考えたりする必要は一切無いのである。

 私はテニスが趣味であるがたまにテクニック的な事で悩む事がある。そうした時、ああしたらよいだろうかこうしたらよいだろうかと色々な迷いが出てくるのである。それは我(が)で実相の無限力を無理に出そうとしているのである。それで頭でああだこうだ考える。そんな事をやっていれば頭はパンクするのである。
 自分でああだこうだ我(が)の工夫、頭脳智でぐだぐだ考えても実相は出てこないのである。テニスの技的な事も自ずと出てくる。

 それはどういう時に出てくるかと言ったら、試合中に出てくる。試合では真剣勝負であり、生命のやりとりである。その中で自ずと「これはこうやったら良い」というのが自分の生命の内側から出てくるのである。これは頭脳智でああだこうだ考えたり、一人だけで練習してるのでは到底分からない事なのである。

 実相は自分で出てくる。それも最も良い時期に。だから一切頭を悩ます事は要らない。我(が)は要らないのである。

堀 浩二
by koujihori | 2013-05-07 18:39 | 潜在能力 | Trackback | Comments(0)