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人間は肉体ではない。心であり霊である。

 これはすごい。
上下は全く同じ色なんですよね。(画像の上下の切れ目の所に指かペンを当てて見て下さい)

 それを感じる、感じないはその人の主観次第という事。これは横棒の長さの実験でも同じ。同じ長さの横棒を二本、上下に並べてみて、それぞれの線の両端から上下にまた二本の線を引く。それが菱形になる様に引いたものと台形になる様に引いたものでは菱形になるように引いた線の方が短く見える。
 これは要するにこの現象界に絶対的なものは存在しない。全て心で見る通りに現れているという事。あいつは馬鹿だ、悪いと思えば元々素晴らしい人でもそう見えるって事。

 これは又、聖経「天使の言葉」にある

「感覚は神経細胞にあるのではなくてその背後の心にある。」という事でもあり、それが人間は脳髄細胞という肉体ではなくて霊であり、心であるという事なんですね。

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by koujihori | 2013-07-24 12:23 | 信仰 | Trackback | Comments(2)

全ては自分の中に既にある。

 ものごとは分かろうとすると分からなくなる。分かろうというのは自分はそのままでは分からないという事を認める心であり、分かりたいものを自分の外に求める行為に他ならない。

 だから、分かろうとすると分からないのである。それが所謂「考えすぎ」という事である。同時に良くなろう、幸せになろう、豊かになろうとするとなる事は出来ないのである。

 全て、自分の外に幸福を富を智恵を健康を求めているからである。

 吾々は神である。今そのままで。吾々は今、神であり今そのままで完全円満である。しかし、それは現象の事ではない。現象はナイのである。現象の奥の実相である。
 それが今、そのままで完全円満である。無限力である。無限健康である。無限智恵である。それを認めればそれが徐々に時間的過程に従って出てくる。自分で出てくる。

堀 浩二
by koujihori | 2013-07-17 20:56 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

自分が神である。(8)

 吾々はたまにどうしたらよいか?と途方に暮れる事があるのである。それでああだこうだと考える。しかし、それにより脳髄は酷使され、ひどい場合は脳神経を痛めてしまう。

 それが高じると所謂ノイローゼになる。それは自分自身の事にかかり切りになったからである。
 吾々は今そのままで完全円満の神なのである。それはもちろん肉体そのまま現象そのままという意味ではない。今そのままここが神の国であり、吾々は神の生命そのままであるがそれが今そのままでありながら現象の奥にあるというか内にあるのである。

 それが分かれば「どうしたらよいか?」などと悩む必要は一切無くなる。今そのままで完全円満の神であるならば将来どうしたらよいかはその時の自分の生命の営み、ひらめきのままで最も道にかなうからである。

堀 浩二
by koujihori | 2013-07-13 08:40 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

実相は自分で出てくる(50)

 心配しなくても良くしようとしなくても実相を顕現させようとしなくても実相は自分で出てくるのである。私はテニスをやっているがテニスの技というのは色々あり、それを他の人から教えてもらう事もある。それがすぐ役に立つ場合もあるが、すぐに飲み込めない時もある。
 そういう時は無理に自分に取り込もう、上手くなろうとしないでも「そのまま」であれば、時期が熟して「ああ、このやり方が良いのだ」と実感する事が出来、その時、以前習ったやり方も実感を持って自然と内側から出てくるという形で自分に身につく。

 要するに「実相は自分で出てくる」のであり、焦る必要はない。

堀 浩二
by koujihori | 2013-07-12 22:18 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

悟りというもの

 悟りを得た人というのはどういう人かと言ったらこのままここが神の国であり、自分がそのままで完全円満、無限力の神そのものであったと悟った人の事を言う。

 これは理屈ではないのである。だから悟ってない人にいくら理屈を詰め込んでも始まらぬ。しかし、人々は皆いずれ悟るのである。何故なら全ての人は実相は既に今そのままで神であり、大悟そのものであるからである。その実相は必ずいずれ明らかになる。それが実相は自分で出て来るという事である。

堀 浩二
by koujihori | 2013-07-12 12:20 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

罪ナシの自覚が元で罪を犯さなくなる。

 私はもう8年位前から四つ足の動物の肉は基本的に食べていない。それは生長の家総裁谷口雅宣先生が狂牛病騒ぎのあった時、御自身のブログで「読者はこれを機に牛肉を食べるのを止めたらどうだろうか?」という提言をされ、それ以来である。

 人間の行動というのは心、考え方が元になっている。自分自身が完全円満の神の子即ち神であり、罪本来無しという自覚が芽生え、それが表面に出て来れば自ずと罪を犯さない様になるし、自分の過去において罪を犯したと思った事も長い目で見れば罪ではなくて実相顕現の過程であったという事が分かるのである。それは過去さえも自分の心の影であるからである。

 同様に自己が神の子無限力であるという自覚が深まり、それが内側から表面に出て来れば出て来るほどより鍛錬、訓練をする様になる。そして吾、無限智なりという自覚が出て来れば出て来るほど自ずと勉学にも励む様になる。

堀 浩二
by koujihori | 2013-07-11 12:47 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

人間の生命は永遠生き通しである。(3)

 人間は肉体でない事の証拠に人間の脳神経というのは鍛える事によってその能力が増大する。例えば本を読みつけていれば本を読むスピードはアップする。英語のリスニング訓練をやって行けば段々早い英語でも聞き取れる様になる。これは訓練によって脳神経の能力が増大したのだ。

 これは人間が脳神経という肉体そのものではなくてその背後にあって、それを操り、訓練する事でその力を増大させる何かであるという事である。
 それが心であり、魂である。それが人間の本体であり、それは肉体が滅んで脳神経が消え失せても永遠に残るものである。

堀 浩二
by koujihori | 2013-07-03 21:08 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

実相を悟るという事。

 私は生長の家高校生練成会に高校一年の時に初参加した。そこで学んだ事は「思ったら思った通りになる」という事であった。

 私はそれ以来、非常に大きな悩みを抱える様になった。それは思ったら思った通りになるのなら、良い事を思えれば良いが逆に悪い事を思ってもそれが実現してしまうのだったら、悪い事を絶対に思わない様にしなくてはならないがそれがどうにもこうにも自分の心のコントロールが出来なかったのである。

 そして、勉強が手に着かなくなったが、その後、生長の家青年会に入り、活動をする様になって現在に至っているがその過程において、宇治別格本山に導かれ、実相独在、現象ナシ、心もナシという生長の家の神髄を榎本恵吾先生から直接薫陶を頂く事が出来、心の平和に到達する事が出来たのである。

 私がそもそも何を悩んだかと言うと実相の他に自分の心というものがあって、これを自分がコントロールしなくてはならないと思ったからである。だから少しでもそのコントロールに失敗したら大変な事になるとそれが悩みと恐怖になっていたのだった。

 しかし、自分がそのまま神であり、自分の心がそのまま神の心であったという事が分かったのである。実相を悟るという事はそういう事である。それから、自分の心のコントロールをしなくてはならないという悩みや不安が一切消えたのである。

堀 浩二
by koujihori | 2013-07-02 12:35 | 信仰 | Trackback | Comments(0)