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そのままでよい(41)

 昨日、親父(96)が足が痛かったのかイライラして僕に大声出して、こっちも「こんなに面倒見てるのに何だ!」と親父に大声で言い返した。それからいつもより遅く仕事から帰って来た女房にも日頃の事をぶり返して怒り。

 これ、昨日の僕ですが僕は生長の家は小さい時から、組織活動も30年以上。はっきり言って生長の家はベテランだと思います。その僕の昨日の行状が前述の通り。それは

①オレがやってやってるという我(が)がある。
②親と女房に怒りをぶつけた。

以上二点の罪がある。

 確かにこういうのはもちろん良くない。しかも長年生長の家やってるのに。でもね。僕は今朝は女房に

「昨日はゴメンね」と謝った。僕の場合、乱れても引きずりません。そしてすぐに相手に謝る。それはこれも実相が自分で出て来る過程であると分かるからです。親父が数日前から足が痛くなったのは本当に困った事だと思った。歩けなくなると色々な面で困る。

 でもそれにからんで昨日は喧嘩になったけどこれは正に昨日も書いたけど親父の怒鳴る姿は僕の姿だ。昨日は生長の家らしくない事をしてしまったと思うがそれ以前に昨日ああなる事はもう念の世界で決まっていた。僕は三週間位前にかなり憤慨してある人を怒鳴りつけた。それが昨日帰って来てるだけなんだ。それが分かった時点で怒鳴る親父も本来無い。そして、その中で僕の実相の自覚も進む。だから親父が足が痛くなって歩けなくなったというのも具体的に困った事じゃなくて僕が心で作った映像に過ぎない。

 そうしている中でお互い反省があり、切磋琢磨して実相がますます顕現する。

 だから、そのままでよい。

 ああ、自分は生長の家ずうっとやってるのにあんな事をしてしまった、言ってしまったと何時までも自分を裁いて落ち込む事は僕はありません。ただ誤解して欲しくないのは僕は今回の事で何も学ばないという事ではない。やはり人を怒りにまかせて怒鳴ったりしたらいかんと実感で学ぶ訳です。

 それは我(が)が学んでいるのではない。僕の実相が自分で出て来たから過去の自分が間違っていたと分かったのです。人生学校というのはそういう過程になっている。

 だから、生長の家をやっている人も怒る事もある、病気になる事もある。それで良いのです。

堀 浩二
by koujihori | 2013-10-30 12:06 | 家庭生活 | Trackback | Comments(0)

死はナイ

 うちの隣家のお宅が引っ越して行って半年。隣家は門に使っている大谷石がボロボロ。屋根のとゆが外れてガタガタ。物質的条件は全く変わらないのに空き家になると家ってボロボロになって行く。

 それは家でも車でもその形を支えているのはその持ち主の心だから。だから人間も魂が抜ければその肉体は腐敗する。

 だから人間は肉体ではない。そこに宿る魂が本体。だから生長の家では死はナイと教えている。



 誰かが死んだ。この前も芸人の桜塚やっくんが高速で死んだなんて記事が出てましたが本当は死んだのではない。魂が抜けただけ。



 僕達はこの現象世界の常識というものに縛られている。それは現象世界という影の世界が具体的にある世界だという錯覚に陥っているから。でもその錯覚が無ければこの世界に生活する事が出来ないからそういう事になっている。

 でも生長の家の真理を学んだ人は「死はナイ。単に住む所を変えただけ。あの人は死んだ様に見えて死んでない」という認識を持たなくちゃいけないでしょうね。

堀 浩二
by koujihori | 2013-10-29 12:01 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

ここがそのまま神の国である。

 ここがそのまま神の世界である。吾々が生きているのは吾々が生きているのではない。神が吾々をして生きているのである。それを我(が)がのさばって自分で生きようと力むからおかしな事になるのである。
 自分が生きようとは格好をつけよう、力を誇示しよう、成績を上げよう等々「是非こうでなくてはならぬ」というのであり、こういうのが我(が)の力みである。

堀 浩二
by koujihori | 2013-10-18 19:49 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

今、そのままで完全円満であるが現象はその自覚の反映としては遅れて出て来る。

 現象、肉体は吾々の自覚の反映であるから吾々が内なる完全円満の生命の実相を自覚すれば、必ず現象も肉体も整う。しかし、それはすぐではない。念も現在意識の集積が徐々にされて行って、念の大部分を占める潜在意識が形成されるまではそれなりの時間が掛かる。その上、その潜在意識が現象にまで反映されるのもある程度の時間が掛かるからである。
 しかしながら、だからと言って「これでもか、これでもか」と良き念を「これから良くなろう」と思って集積させようなどとは思ってはならない。今このままで吾、神なり、完全円満なり、無限力なりと自覚して今その力を敢然として使って行かなくてはならない。その行の集積があって、初めて訓練となり、潜在意識にもそれが刻印されて行くのである。

堀 浩二
by koujihori | 2013-10-02 12:47 | 信仰 | Trackback | Comments(0)