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生長の家なのに何故、問題があるのか?

 生長の家をやっている人が病気であったり、色々な人生の難儀に見舞われる事がある。「生長の家をやっていたはずなのに」という訳だ。実際、私も19年前に自律神経機能傷害という神経の病になった事がある。
 それは一言で言ってこういう事だ。
「低学年の生徒には易しい問題しか与えられないが高学年になると難しい問題を与えられる。」という事。

 神様はその人に解決出来ない問題は決して与えない。全ての人生の問題はその人の実相がより輝き出す為の練習問題に過ぎない。だから自分の人生の学びが進んで来るとそれ相応の難しい問題が与えられるが必ずそれは解決出来るのであり、それを解決する事により神の栄光が現れるという事。

 生長の家をやっていればそれだけ魂が高度であるから高度の問題が与えられる。だけれどもそれは必ず解決出来るのであり、それにより素晴らしい実相が輝き出て、より幸福に自由自在に悦び溢れる様になる。
 そうなるともう迷う事、苦しむ事無く、悦びのままでそのまま無限生長出来る所まで行く。

堀 浩二
by koujihori | 2015-09-03 17:35 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

恨み心を解くには。

 人を恨む事も人生にはある。人を恨めば自分の運命も閉ざされるとは分かっていても中々赦す事は出来ない。
 悪い現象を現す相手は具体的な存在ではなくて、自分の心を映してくれている観世音菩薩であると分かれば大部、納得もする。心も軽くなる。しかし、それでも尚、足りない。それは理屈だけの部分で納得しているだけだからだ。感情的に心の底から相手を赦す事にはなっていない。
 それは自己の我(が)でもって、無理にその相手を赦そうとする限り、ある程度はそれが出来ても完全には出来ない。
 恨み心をもって、それを無理に我(が)で矯め直そうとしても限界がある。しかしながらそれは神様なら出来るのである。神様の世界には最初から悪い人間もいなければ恨む自分もいない。人を心底赦せる道はただ一つ。自己の中の実相が自分で出て来る事により自ずと赦せるものだ。

堀 浩二
by koujihori | 2015-09-02 12:44 | 信仰 | Trackback | Comments(0)