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ブルーピルとレッドピル

 マトリックスの一作目は最高だった(どういう訳か続編は駄作)がそこでモーフィアスがネオにブルーピルとレッドピルのどちらかを選べと迫る部分がある。
 ブルーピルを飲めば、全ての真実を明らかにするがレッドピルなら元の生活に戻るだけだと。ネオはブルーを選び、そして本当の現実の自分(コンピュータによりカプセルに入れられて培養されて栄養素だけ摂られている。)を見出し、そこから解放され、人間を支配しているコンピュータに戦いを挑む戦士になって行く。

 私は父の介護の問題があったのでこの五年間はテニスの試合にエントリーする事が無かったが父が今年の初めに昇天したので、試合に出ない理由が無くなった。しかし、試合にエントリーするというのは正直決断が要った。私は父の送り迎えの為にこの五年は車通勤であった為にただでさえ足腰が弱る50代であるのに尚更、身体がなまっており、公式戦に出るのを最初はためらった。このまま、テニスクラブで気のあった同士、レクリエーションとして楽しいテニスをしていたい気持ちと試合に対して恐怖心があった。
 しかし、私は試合に挑む事を決め、その為に練習試合にも出て、それなりに備えたが本番では予想以上に身体が動かず、惨敗。
 ここで諦めるか再度、鍛え直して挑戦するかの選択が私に迫られた訳だが私は後者を選び、それからと言うもの車通勤を完全に止め、電車バス通勤に切り替え、かつ家から駅までの二キロは徒歩で行っている。そして電車内でも座らないで下半身と平衡感覚を鍛えている。そんな生活がもう二週間以上になるがそれなりの手応えは感じている。

 これは私がテニスの試合に挑む事を選択したからだ。そうでなくて消極的に試合を避け、今まで通りの緩い遊びだけのテニス生活を選択していれば私は鍛える事をせず、相変わらずの車通勤でますます下半身が弱って、晩年には寝たきりになっていたかも知れない。

 これはひとえに自分の選択次第で自分の運命と能力の出方が変わって来るという事であるが、その一番のポイントは
「私が自分の中にある無限の可能性を信じた」からである。 

堀 浩二
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by koujihori | 2015-12-24 10:19 | 潜在能力 | Trackback | Comments(0)

生きようと思ったら死ね

 ある亡者が地獄から這い上がろう這い上がろうとしてあくせくしていたが思い切って「どうとなれ」とあくせくする事を止め、自分の身を捧げる気持ちになって力を抜いて地獄の底まで落ちていったらその真下が天国だったという仏教の訓話がある。

 真に生きようと思ったら死ぬ覚悟が必要である。なんでもかんでも生き延びようと思って姑息に確認ばかりしたり、保全しようと思ってあくせくしてはならぬ。思い切って自分の判断を信じて、決断して断行すべき事はして、しなくてよい事は断固しない。それにより自分の現象生命がどうなっても構わないと思い切る。それが生きようと思ったら死ねという意味である。
 こうした生き方をしないと却って心配事が多くてストレスが溜まり、身体を蝕み、運命を悪くする。

 しかし、これも根本哲学が必要である。人間がただの肉体だけの存在であり、保全したり安全を確保しなくては滅んでしまうという考えでは駄目である。自分の生命の実相が宇宙に満ちた全知全能の神に生かされ、支えられていて如何なる現象が来ても大丈夫だという信仰が無くてはこの様に思い切って身をゆだねる事は出来ないだろう。

 そうしてそういう生き方を日頃の小さな所からトレーニングして行けば段々それが習慣となって来るのである。

堀 浩二
 
 
by koujihori | 2015-12-21 13:11 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

そのままでよい、全てを受け容れるという意味

 先日、鎌倉テニス選手権55歳以上の部で0-8で惨敗。私は56歳なので年齢は言い訳にはならない。

 私は以前はテニスの大会に積極的に挑戦していたが6年前に親の介護の問題が生じてから遠ざかっていた。また通勤は親の送り迎えがあった為にそれまで電車通勤だったのを車通勤にしていた。50歳を過ぎればただでさえ足腰に衰えが来るが車通勤だったのでことさら衰えたと思う。
 
 そして、今年の始めに父が他界したのをきっかけにテニスの公式戦への挑戦も再開する事にした。そして、鎌倉テニス選手権へのエントリーをした。そしてその二週間前に手慣らしの為に練習試合の大会に出場した。そこで4試合して戦績は1勝3敗。1勝出来たのは自分としては自信となった。
 で本番の一週間前にネットで大会の対戦相手を調べたら何と知り合いのY氏。彼は私より一つ下だがかなりの強敵。今まで対戦も何回かあるが最初は相手のミスで勝てたがその内、Y氏は腕を上げ、全く歯が立たなくなった。それが7年前だ。その後、Y氏は頻繁に大会に出場している様でますます強くなっていると思われた。その上、私はこのY氏が若干、人間的に苦手。態度が悪く、愛想もない人間なのだ。
 
 私は非常に憂鬱な気持ちになり、非常なプレッシャーを感じたのだった。
「よりによって復帰第一線がY氏が相手なんて」と思った。逃げ出したい気持ちになったのだった。もし、スコア0-8で1ゲームを取れなかったら相手にあざ笑われるのではないかという取り越し苦労が頭をもたげ、いてもたってもいられない気持ちになった。私としてはフライパンの上の炒り豆の様に気持ちになった。逃げ出したい!でも逃げ場がないと。
 で、恐怖するとストレスが出る。夜も眠れなくなるだろう。そうすると体調が悪くなり更に状況は不利になる。負の感情をスパイラルはどうにも止める事は出来なかった。それでそういう時は心を明るく持とうとか今に集中しようとか全託しようとか思ったが結局
「全てを受け容れ、そのままであろう。」と思った。そうしたらまあまあ眠れるし、体調も自分で心配するほどは悪くならなかった。ただ大会の前日はひどい下痢になった。

 そして、当日を迎えたが、私は冒頭に述べた様に全く身体が動かず良い所は全然無いまま恐れていたスコアの0-8で1ゲームも取る事が出来ず惨敗した。
 私は本当に穴があったら入りたい気持ちで会場を後にした。

 私は表面的には散々な経験をした。相手がY氏ではなくて見知らぬ人であればあんなに事前にプレッシャーを感じず、体調を崩さなくて済み、あそこまで身体が動かない事はあり得ず、勝てなかったとしても何ゲームかは取れたかも知れない。今回は最悪の運命と結果だ思った。
 
 しかるに
 私はこの経験で何が今の自分に必要なのかが如実に分かったのだ。それは日頃のトレーニング不足である。
 前述の様に事情があったとは言え私はこの6年間は毎日車通勤であり、それがただでさえ足腰の衰える50代でことさら足腰の弱体化を招いた。そして、グラウンドストロークを粘り強く正確に繰り出すトレーニングも全くやって来なかった。こういう事が私には本当に欠けていたのだ。それに気づく事が出来たのは最高の収穫なのだ。
 私はこれを機に月一で練習試合会に出て、毎週、壁打ちでグラウンドストロークとサービスの訓練をし、そして毎朝の素振りは回数を倍にする。そして三年後をめどに優勝をするつもりだ。

 こうした転換が出来たのは正に今回の経験によるものでそれは今回の過酷な運命を背負い、それを如何に良くしようとか気持ちをリラックスさせようとか恐怖心を取り除こうとかしなくてもそのままで自分の運命が自分の能力を開花させるのに最も素晴らしい練習台とか経験であったと言う事。

 それが
「全てを受け容れる、そのままでよい」という本当の意味であると思う。この世界は表面的に如何に見えようとも本当に悪い事は一つも存在しないのである。

堀 浩二
by koujihori | 2015-12-14 13:02 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

一切を受け容れる

 良寛は死や病気や災難を恐れる人々に
「病気の時は病気になれば良かろう、死ぬ時が来たら死ねば良かろう」と諭したと言う。

 これは大抵の苦悩は実際の病気とか災難よりもそれになる事を恐れる事の方が大きいのでそんなものを恐れるな、来たら来た時さという事だと思うがそれは本当は生長の家の神髄の実相独在が根本的に分かっていないと難しいだろう。

 生長の家の実相独在の真理は本当にあるものは完全円満の実相のみであり、病気も死も罪も不幸も本当には存在しないという事であるがそれは要するに現象的に表面的に如何なる事が起こって来ようがそれは結局長い目、広い視野で見れば皆良い事につながる、実相が出て来る為の布石なんだという事。これが本当に分かった時、全てを受け容れる気持ちになり、良寛の様な心の平和が訪れる。

堀 浩二
by koujihori | 2015-12-08 13:15 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

悩む心を解決するには

 人間というのは悩む対象があるから悩むのではなくて、悩む心があるから悩むのである。だから悩む原因が消えたら、又他の事に心を引っ掛からせて悩むのである。だから、悩む心を何とかしなくてはならないのであるが、そんな悩む心などどこにも具体的には存在しないのである。悩むのは自分が勝手に本来ありもしない問題をつかんで悩んでいるのである。だからひとえに自分の悩む心の習慣を消すしかないのである。
 
 その為にはどうしたら良いか?それは悩む心が出て来たら、それを何とかしようとせず、そのままに放っておく事である。そして、今目の前の事にひたすら集中してどんどんやって行く事である。そうした心のトレーニングを心掛ける事で悩む心は克服出来るのである。

堀 浩二
by koujihori | 2015-12-02 16:07 | 信仰 | Trackback | Comments(0)