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病無ければ病の原因も本来無し

聖経「続々甘露の法雨」に
「病無ければ病の原因も本来無し。色々と悟らせて頂きましたなどと病の原因にとらわれるのは悟りからはほど遠きこと。」
 と書かれています。

 吾々の人生学校は学びの連続で反省という事が必要です。人生学校において吾々が何かしら行動する。思念する。心を向かわせる。でも生長の中で稚拙な段階では色々と誤りをする。迷う事もある。それにより唯心所現の法則で不幸という結果を刈り取る。そうした観世音菩薩の御働きで自分の間違いを知る。そして、反省をした時点で吾々の学びは進み、それだけ実相が顕現します。
 でも、そこに留まっていてはいけないと聖経は教えています。あくまで実相独在であり、病も病の原因も本来無いのだと。病とか不幸の原因である自分の心の間違いというのはそれはいずれも実相そのものではない現象だと。そこに引っ掛かると実相独在から離れるのでほどなくしてまた迷いと不安の世界に陥る。

 要は実相独在であり、実相は無限生長だから自分で表現する。それが実相は自分で出て来るという事であり、その中で結果的に人生学校における色々な具体的な学びがあり、それで分かったら、もう罪とか問題は消えている。だから、その事が分かったらもうその事は忘れて実相独在、今ここ神の国であるという事のみを悦んで生きていれば良いと思います。

堀 浩二
by koujihori | 2016-02-29 09:02 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

今このままで病ナシ、問題ナシ。

 現象はナイ、病はナイ。今そのままで。現象や病がアルと思って、それをこれから自分が心を浄めて、無くして行く訳ではないのである。
 現象が病が病の原因がアルと思って、それをこれから消して行かなくてはならないと思った瞬間、自分の目の前に引かれた白線を自分を縛る縄としてアルと思って自縄自縛して身動き出来なくなった鶏の様ににっちもさっちも行かなくなる。それが生長の家の神髄である。

堀 浩二
by koujihori | 2016-02-26 17:22 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

実相は自分で出て来る。

 そのままでよい。そのままでここがそのまま神の国であり、神の展開である。実相は自分で出て来る。
 実相が自分で出て来るという事は自分の心の間違いで間違った収穫を得るがそれにより自ずと自分の心の間違いを反省するというスタイルで出て来るので従って、それは決して安穏としたものではない。厳しいものである。
 しかし、それは実相が自分で出て来て、自分で悟ったのであるから、過去の自分が間違っていたと分かるのであり、そこに「悪かった。」という反省の心が出るのである。
 よって、真に悪かったと思えるというのは実相が顕現しているからそう思えるのでだから
「悪かったと分かったら罪は消えている。」のである。

堀 浩二
by koujihori | 2016-02-23 09:21 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

自分に与えられた事は必ず出来る。

 この人生は吾々の中にある実相を顕現させる為の修行の場である。そして、その修行の課題はその人に必ず解決出来る事しか与えられない。だから、どんな過程に居る人も心安らかに今、自分に与えられた課題、環境の中で頑張れば良いのだ。 

堀 浩二
by koujihori | 2016-02-03 10:40 | 信仰 | Trackback | Comments(2)