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良い事をするだけでは駄目。完全円満の世界を観よ。

 良い事をするのは人間として基本だけれどもそれだけだと限界がある。更に大事な事は「今、そのままで既に完全円満の実相世界が現象の奥に存在しているという事を悟る。」事である。そして現象はその実相を悟らずに観ずに現象の悪を見て相手を批判する自分の心が作り上げた幻影であるという事を悟らなくてはならない。

 そうでないとただ善にとらわれただけの心の狭い人間となり、悪事を為している人間を決して赦す事が出来ないからだ。相手を赦さない心は神と波長が合う事はなく、神からの救いの念波を受ける事が出来ず、自分の心が病気になり、精神または肉体の病気になる。そして家族は不幸になるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2016-11-30 12:27 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

悟りはあくまで実相独在の悟り

「続々甘露の法雨」で
「色々と悟らせて頂きましたなどと種々の迷いや罪にとらわれるは却って悟りに遠き事」と記されている。
 これはどういう意味であろうか?
 そもそも生長の家は実相独在、今ここそのままで(実相そのままで)神の国であり、吾が身そのまま神の身(おなじく実相の事)であるというのがその真髄であり、それでしかあり得ない。そして存在するものは実相と実相が自分で出て来る事しかないという事である。だからその悟りが本当の悟りであり生長の家の真髄である。それが分かればありありと今ここに実相とその無限生長がある事が実感され、唯心所現の法則に従ってその通りの現象が展開するという事である。

 では何故、冒頭の様な「色々と悟らせて・・・」という境涯ではいけないかと言うとそれが現象に引っ掛かるものであり、実相独在の悟りとはかけ離れているからである。

 しかし、生長の家では観世音菩薩の事を説き、自分以外のあらゆる現象、人、もの、事は自分の心を映して下さる観世音菩薩の御働きであると説く。その中で自分の心を反省する事により無限生長がある。だがその学びの体験に引っ掛かっては足をすくわれるという事だ。実相独在であり、実相と実相が自分で出て来る事しかない。そのままでよい。神に全託でよいのであり、その実相顕現の過程の中で観世音菩薩のお導きによる学びがあるというのであり、やはり、実相独在なのである。

堀 浩二
by koujihori | 2016-11-25 10:49 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

全ての恐怖、問題は神が消して下さる。

 恐怖心というものが起こって来る時がある。生長の家では思ったら思った通りになると教えられているから恐怖してはいけないと言う事になる。そうするとますます恐怖が襲って来る。
 しかるに生長の家では実相独在と教えられているから現象はナイ。心もナイ。と教えられているから恐怖が起こって来てもそれは無いとは理屈では分かる。
 
 しかし、現実問題恐怖心が起こって来てそれが実現してしまうと思うと更に恐怖が募るという事はある。そういう時は如何にすべきであろうか?
 それは「続々甘露の法雨」に書かれている。「恐怖を止める事がどうしても出来ない時はただそのままであれ。そのままの中に恐怖存在せず」とある。

 要するに「そのまま」は神であり、そこには恐怖は存在しないからそのままであれという事だ。それが実相独在であり、私の心は私の心ではなくてそのまま神の心であるからそのままであればじきに恐怖は自ずと消えるという事。

 そして、もっと単刀直入に言えば恐怖心に限らず全ての問題は神が消して下さるという事。それが「生かされている」という事であり、「実相は自分で出て来る」という事であり、「そのままでよい」と言う事。そこに神に対する満腔の感謝がある。全託でよい。

堀 浩二
by koujihori | 2016-11-22 10:26 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

真の情報を得るには。

 世の中には色々な情報が溢れています。新聞、テレビ、ラジオそしてインターネット。新聞を始めとするマスコミは為政者によって大部色づけされる部分があるし、インターネットに関しては玉石混淆です。

 その中で吾々は如何にして真の情報を得たら良いでしょうか?それは神様から得れば良いのです。もっと単刀直入に言えば神様は吾々一人一人の中にいらっしゃるのだから、自分の内側の智恵に委ねれば良いという事になります。要するに本当の智恵は自分自身であるという事になります。
 しかし、肉の自分の声に耳を傾けてはなりません。それは偽物の自分だからです。自分自身と言っても自分の中にある神様の事です。そこに聞けば真の正しい情報、要するに真理を知る事が出来ます。
 その為に瞑想をする。生長の家では神想観があります。そうして日頃から神様にアンテナを立ててその声を聞く習慣をつけていれば真の情報は分かるという事です。
 しかし、それは自分以外の人の言う事を聞くなという意味ではありません。自分と他の一切は神において一体ですから自分の中の神様は他の誰か、教えの師であるとか何かの先生であるとか同僚であるとか仲間であるとかそうした人、そしてもの、事を通じて吾々に真理のメッセージをくれる事はいくらでもある。そのどれが正しいかは自分が日頃から神様に心の波長を合わせていれば直感的に分かるはずです。 

 生長の家の信徒であるならば生長の家の大神の教えは生長の家総裁・副総裁を通して現れるのですから生長の家総裁・副総裁のご指導から真の情報を得る事になります。

堀 浩二
by koujihori | 2016-11-10 16:08 | 社会生活 | Trackback | Comments(0)

そのままでよい。

 信仰でものごとを良くするんじゃないですよ。既に今そのままでよい実相がここにあるだけなんですよ。良く見えなかったのは悪いからじゃなくて自分の観に歪みがあってそれを見られ無かっただけ。それだけですよ。
 自分は家族は既に素晴らしい。既に完全円満。それだけです。それを悦んでおれば良いのです。
 既に救われ済みです。そのままでよい。

堀 浩二
by koujihori | 2016-11-08 09:48 | 信仰 | Trackback | Comments(0)