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真理の直接把握

 右脳と左脳ですが右脳は直感的、インスピレーション的なものを司りますが左脳は理論的なものを司ります。
 映画「燃えよドラゴン」のワンシーンで師匠(リー)が弟子に
Don't think! Feel!
 と諭すシーンがありますが左脳で考えるのではなくて右脳で感じろ!という事です。私でもテニスをやっていてテクニック的に分からなくなる事がたまにあります。それは頭で考えてもどうしても正解は分からない。でもやっている内に内側から何となく直感的に分かる。

 真理というのは論理的な理解も必要ですが何と言っても直感把握がとても大事。これが無いと真理の直接把握は出来ない。直接把握するというのを悟ると言います。
 自分は神である。ここがこのまま実相世界であるという事を理屈ではなくて直接把握する。これが悟る事であり、全ての人類にこの境涯まで至らしめるのが生長の家の出現の目的だと思います。

 だから、時たま聖典を読んでいて分からなくなる事がある。とらわれる事があると思います。それは左脳に偏重しているのだと思います。
 そういう場合は神想観でそれを補完する。要するに実相の直接把握をする訳です。そしてともかく生活で動いて見る。考えないで。そして自分が使命と思った事をずんずんやっていく。失敗を恐れないで。その中で自ずと本当の事が分かる。
 生長の家総裁先生のお話でも分からない事がある。私は今まで思い出しても例えば大東亜戦争は侵略的行為があった。というのと天皇家の皇統は女系にまで拡げるべき。そして最近は例の「凡庸の唄」です。
 これは今まで自分が思っていた真理と違う訳ですから困惑しました。でも私はそれに唯々諾々と従う訳でもなくかと言って生長の家をやめて別派に入る訳でも生長の家の留まってスリーパーセルになる訳でもなく、そういう時はひたすら愛行、地元の誌友のお世話活動等に心血を注いだ。その中で自ずと先生の仰っている事が分かり、今では何の抵抗もなく当たり前の事として受け止められる。
 だから、今、生長の家が安倍政権を批判しているのがどうしても分からない人は焦らずにコツコツ活動や愛行、そして神想観にいそしめば良いと思います。

ps ところで本当にインスピレーション的に直接把握的に真理を悟るのは自分の中に神の国がある、もしくは自分が神であったと悟る以外無い。これはやはり生長の家を地道に無心にコツコツやり続けて自分の中にそれを発見しなくてはなりません。

堀 浩二
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by koujihori | 2017-04-28 09:18 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

訓練も実相が行う。

 野狐禅というのがあるでしょう?偽物による禅という事。生長の家の行をするのでも我(が)がやったのでは何にもならない。それは私がオレがという気持ちがあるばかり。一所懸命やってるつもりでも私が先祖を救っている。私が自分の潜在意識を浄めている。私が人類を救っているという事でこれは増上漫であると共に心に平和が無い。

 そして本当の行は内なる神が行うものでなくてはならないと言われますね。神が神する神想観。神が神する愛行。

 これが生長の家ですね。そしてそれこそが「吾が生くるは吾が力ならず。天地を貫きて生くる祖神(みおや)の生命、吾が業(わざ)は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能(ちから)」という事になる。

 これが実相は自分で出て来るという事ですね。実相は我(が)がああしてこうしてこうやって出すものじゃない。実相自らの力で出て来る。

 それこそが実相独在の生長の家の真髄であり、生かされている、満たされている、ただ有り難いという事です。

 笑う練習、人の良い所を見る訓練というのも実相が自分で出て来て本当にそういう訓練が大事であると言う自覚が出て来たら自ら自分にそういう訓練を課す様になる。それはやはり実相が訓練する主体であり実相が実相するという事になります。

堀 浩二
by koujihori | 2017-04-25 15:33 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

立ち向かう人は吾が心の影

 自分だったら人にあんな事絶対しないのにあの人は自分にあんなひどい事をした。赦せない!と思う事ありますよね。

 でも自分の心に無い事は絶対に自分が見たり経験したりする事はありません。また、自分が人に与えなかった事は決して自分が人から与え返される事もありません。
 要するに自分はこんなひどい事は絶対にしないと思っているのは自分だけで本当は周りの眼から見ればそういうひどい自分だったのです。それを教えてくれるのが周囲の人、それは大抵敵の姿として現れます。意地悪な上司とか。
 それを観世音菩薩様の御働きと言うのです。

 だからそういう時は自分で気付かない自分の至らない点を教えて頂いたと思って改めれば良いのです。そしてその悪い相手の奥底は完全円満の神の子であると拝む事。それが大事。 

堀 浩二
by koujihori | 2017-04-21 10:59 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

実相を悟れば恐怖心は消える。

 思ったら思った通りになるという生長の家の心の法則は私に取って、恐怖の原因だった。
 思ったら思った通りになるのなら悪い事を思ったら実現してしまうという恐怖心が芽生えたのだった。それは高校生練成会でその講話を受けた後だった。
 
 これに掛かると悪い事を思うまいと思えば思う程思ってしまい、それが恐怖心となるのである。私はそれが元で学校の勉強が手に付かなくなった。
 その後、生長の家青年会に入って仲間と活動したりしてそういう恐怖心も薄らいではいたとは思うが。
 
 しかし、今となっては良く分かる。それは「思ったら思った通りになる」のであれば現象というのは心の影であり本来存在しないものなのだという事。だからどんなに悪い事が起こっても本来存在しないのであるから取るに足らない事であり、それは心さえ変えれば消えるというのであるから大変有り難い教えだったのだ。
 そして本当の存在は現象の奥にある実相のみでありそれは完全円満である。これも本当に素晴らしい教えだ。
 そして、その実相をどう観るかでその通りに現象に実相の映像が映るのであり、実相が完全円満だと分かればその心の通りに現象が映るという事であり、要するに実相が完全円満であると悟れば現象も良くなるのだから恐怖心なんて無くなるという事。

 要するに今ここに神の国があり自分が神の生命そのものの完全円満な存在であると悟ればそこに悪や不完全を心に描く事がなくなる。そうすると悪や不完全を恐怖する事を恐怖するなんて事も無くなるという事。

 そしてそういう状態になる事が実相顕現という事ですね。

堀 浩二
by koujihori | 2017-04-20 13:31 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

愛とは人の生命の実相を観る事

 愛って人の実相を観て感謝する事だったんですね。私は非常に正義感が強くて悪は赦さないという心持ちで生きて来た。生長の家の真理も「人間たるもの、親たるもの、経営者たるものこうであるべきだ。」という尺度というか観念を非常に強める為に作用していた面が強く、それで人を批判、裁いてばかりいた。

 しかし、そうこうする内に私は人に対して愛情が希薄であるという実感があった。そして、それは対人恐怖にもなっていたと思う。

 だが、私はある事がきっかけで自分が人の実相や明るい所を観ないで裁いてばかりいた事を思い知らされた。それは正に観世音菩薩のお示しであった。
 それを機に私は人の実相を拝んで良い所を見て感謝する事を意識的にする様になった。その時からである。自分の人を見る目が柔らかな優しいものとなったと自覚する様になったのは。

 そして、それと同時に対人恐怖が何時しか消えていたのである。

堀 浩二
by koujihori | 2017-04-20 13:30 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

自分の中に真理を見出さないと

 生長の家って結局自分の中に真理を見出さないと駄目なんですよね。そうでないと外側に振り回される。外側というのは聖典や総裁先生のご指導も含まれます。
 
 自分自身が内に真理を見出していないで外にばかりそれを求めている状態でその外の言葉に盲従しているようだとそれは一種の洗脳とも言えるし、また聖典の言葉とか総裁先生のご指導というのはその時、その場で色々と状況に応じて色づけされて出て来るからあそこではこう書いてあるかと思えばこっちには全然逆な事が書いてある。
 そうなると迷ってしまう訳です。受け取る方としては。原理主義者というのはその点、迷う事は無いでしょう。何故なら彼らは教典の中の自分に都合の良い所だけを拡大解釈するからです。

 それはともかく生長の家は自分の中に生長の家の真理を見出さなくては駄目です。それを悟ると言います。真理は外にあるのではない。自分にある。しかし、これは聖経「甘露の法雨」にちゃんと書いてある。即ち
「神の国は吾が内にのみあり。外にこれを求むる者は永遠にこれを得ることあたわず」と。

 神の国とは真理の事ですね。だから、人間は究極は自分の中に真理を見出さなくてはならないし、それが吾神の子の自覚ですね。そしてそれを得せしめるのが生長の家の目的です。 

堀 浩二
by koujihori | 2017-04-13 15:26 | 信仰 | Trackback | Comments(2)

感情も過去の業の現れ。だから現れて消えるに任せれば良い。

 雅春先生ってけっこう癇癪持ちだったみたいでそれにまつわるエピソードは二三聞きます。生長の家本部かどこかで雅春先生を中心に幹部が会議をしていた際、扇風機の角度を変えた人が居た。そうしたら先生はその人に向かって
「それはいじらんといて下さい!」って怒鳴ったそうです。

 でもそのすぐ後にその相手と何事も無かった様に先生は談笑していたとの事。先生はどこかにお書きになっています。
「僕も怒る事はある。でも僕はすぐ赦すんだ。」と。

 実相直視、天地一切のものに感謝が生長の家です。でも癪にさわる事はある。憤る事もある。現象界というのは過去の業が波動的に出て来る世界で脳髄から出る想念も同様です。その時にある条件になると特定の感情、想念が湧き出て嫌悪感を持ったり憤怒の感情が出て来る事がある。でもそれは過去の業が現れて消え行く姿。だから放っておけば良い。

 そして、相手を拝めば良いのである。そして感謝する。それで良いと思います。  

堀 浩二
by koujihori | 2017-04-06 13:40 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

感謝は神がさせて下さる。

 天地一切のものに感謝すると言ってもね。頭に来る事はあります。気分悪い事も。そんな時は自分の心を神に全託すると良い。
 神は全ての全てであるから必ずや神の御力により天地一切のものに感謝出来る事が出来る様になるのである。それは内側の神即ち吾が実相が自分で出て来る事による。しかし、それは観世音菩薩のお示しという多少厳しい経験をしなくてはならない事もある。

そのままでよいのである。そのままは神である。実相は自分で出て来る。我(が)ではない。

堀 浩二
by koujihori | 2017-04-06 09:09 | 信仰 | Trackback | Comments(0)