赤い糸

 皆さんは結婚というものをどうとらえますか?皆がするから、経済的な理由から、子孫を残したいから、性欲を満足させたいから、世間体があるから等々の理由があると思う。もちろん、こうした打算的な事でなくてただ、この相手と生涯一緒にいたいと思うからというのもあるだろう。
 近頃は段々、女性も経済力がついて来て、男に頼らなくても良くなったせいか経済的理由で結婚を選択する女性が減って来たようである。また、男性もそうした女性に対して積極的アプローチする気概を失ってしまったのか30歳過ぎても結婚しない人が多くなって来た。
 第一、近頃は昔からの固定観念が崩れてきて、この位の年齢になったら、おしなべて結婚しなくてはならないという考えが無くなって来ているようである。

 そもそも人間は何故結婚するのであろうか?それは日本古来からよく言われて来たように本来結婚する男女は元々見えない「赤い糸」でつながっていて、それで運命的に結ばれて結婚するのであるという考えがあり、またギリシャ神話でも男女というものはそもそも一つの魂であるという話があるそうである。
 私の信仰する生長の家でもやはり同じ様に男女というのは元々一つの魂でそれが地上に誕生する時それぞれ男と女に分かれて出て来て、それがお互い魂の奥底で呼び合って、運命的に巡り会って結婚するのであると教えている。だから、夫婦となるものはお互い一つの魂の半分の身体即ち、半身同士であるという考え方である。従って、この半身同士が結ばれるのは自然な事であり、それ故に結婚するのであり、そして結婚して本来一つの魂がまた一つに還るということでそこで素晴らしい愛情の生活を実現させるということが結婚の目的であるというのである。
 私は子供の頃から生長の家信徒であるから、その考えを素直に信じ、自分もいつかは魂の半身と巡り会って結婚するのであると思っていた。そして25歳の時に現在の妻と知り合い、その4年後に結婚したのである。
 しかし、その話が本当だとして、皆さんは自分が選んだ相手が本当に自分の魂の半身である保証なんてどこにあるのかとお思いかも知れない。
 でも我々は皆、自分で生きているようで神に生かされているのである。従って、自分が結婚相手として選んだ相手は自分ではなくて実は自分の中の神が選んだ所の間違いない自分の魂の半身であるのである。だから日本では昔から運命の赤い糸で結ばれた相手とは運命的に出会って結ばれるのであると言われるのである。
 私はそのことがはっきりと自分に分かって来るにつれ、のろけ話で恐縮だが自分に取って、妻が以前にもまして、尊い、有り難い、また魅力的でかわいい存在であるという実感が強くなって来たのである。
 我々はたまたま恋愛結婚であるが、見合い結婚で結婚した人も全く同様である。出会ったきっかけ、結婚したきっかけがいかなる形態であっても実質的には我々は何時如何なる時でも神に生かされて来たのであるから神に選んでもらった本当の自分の魂の半身である相手と結婚しているのである。それは戦国時代の政略結婚などでも同じである。
 であるから、世の諸兄達よ。自分の今の奥さんを大切にし、愛おしんで下さい。あなた方の奥さんは間違いなく神様から与えられたあなたの愛すべき魂の半身ですから。
 また、世の奥様達よ。定年離婚なんて悲しい事を考えないでご主人を大切にし、立ててあげて下さい。

堀 浩二
# by koujihori | 2005-04-19 09:56 | 家庭生活 | Trackback | Comments(2)

ホリエモンについて

 本日は今、話題のライブドアの堀江貴文社長の事を書こうと思う。彼は時間外取引というゲリラ的手法を使ってニッポン放送の株を大量に買い占め、それを足掛かりにニッポン放送が筆頭株主になっていて事実上のその持ち株会社になっているフジテレビの支配権を握ろうとした事は周知の事実である。
 その後、両者の攻防が二転三転している内にソフトバンクなどが介入して来て、白馬の騎士の北尾氏なども登場して来た。
 しかし、騒動が中々収拾しない内にライブドアの株価も下がって来て形勢不利と判断したライブドアが折れてきてフジテレビに大部譲歩する形でお互い手を打って提携話といこうとしているようである。
 今回は前回のプロ野球パリーグの近鉄バッファローズを買収しようとした件に続き、業界に新風を吹き込んだまでは良かったが結局、楽天に新チーム参入権を持って行かれたように今回もホリエモンの思惑、野望は現在の所、ついえそうである。
 
 私はライブドアの堀江社長は進取の気性に飛んだチャレンジ精神の持ち主で、発想力も行動力も企画力も素晴らしい青年事業家であるという所は大いに評価する。
 32歳というその若さを武器に誰も思いつかなかった独自のアイデアで色々な業界に風穴を開けて行くパワーは頭の錆び付いた老人経営者には真似の出来ないものであり、こういう若くて力もアイデアも行動力のある青年こそが世の中を改革して行くのであり、明治維新の時も吉田松陰、高杉晋作、坂本龍馬などの維新の志士達は皆、青年であった。
 しかし、私はこれらの維新の志士達とホリエモンこと堀江貴文ライブドア社長には決定的な違いがあると思っている。
 それは何か?皆さんはどう思いますか?それは年長者に対する尊敬の念がこのホリエモンにはちょっと欠けているのではないですかということである。
 明治維新の時は青年の力が原動力になったが彼らは皆、目上の者を敬い、礼節を保ち、長幼の序を守り、それらは形式的にではなく心からそう思っていたと思うのである。少なくても彼らが現代に生きていたらホリエモンの様に年長者、その業界の先輩との交渉の場でTシャツで出てくる様な真似は決してしなかったと思う。
 彼は東大出(中退?)で頭も良くて、IT事業で巨万の富を得て、世間なんて、大人社会なんてこんなものという驕りがやはりあるのではないか?東大という学歴の上に自分のアイデア一つで巨万の富を得てしまったら傲慢になるなというのも無理かと思うが。
 ということで私の推測だが彼は社会の諸先輩達をその才能と頭脳明晰さが却って災いして見下している所があると思う。でも見下す者は逆に見下され、決して認められる事はないのである。
 日本はいわゆるムラ社会でこういうアイデアも実力もある若い芽が出てきてもよってたかってその芽をつみ取ってしまうという面があるという意見もあるが彼がきちんと先輩や年長者を敬う謙虚な心があれば、排除されることはないと思う。
 
 それともう一つ、ホリエモンのやり方、考え方で決定的に良くないのが目的の為には手段を選ばないという唯物的な考え方である。いわゆるそれが今回のニッポン放送株の敵対的買収というやり方に表れているが、これはアメリカなどでは割合よくあることらしい。 
 映画「プリティウーマン」のリチャードギアが演じていた主人公はこうしたことを生業にしている人間だったと記憶しているが、そのやり方は他の会社の株を今回のホリエモンのようにゲリラ的に大量に買い占め、その会社を事実上乗っ取るということだが、そんなことで乗っ取った側と乗っ取られた側がうまくやっていける訳がない。そんなのは欧米ではいざ知らず、日本みたいな人と人とのつながり、和を大切にする風土では絶対に馴染まないのである。
 これは正に欧米的唯物主義であり、最悪のやり方である。ホリエモンは力と行動力と独創性はあるが一番大事なこと、即ち目上の者、年長者を尊敬して大切にする心、そして如何に理想的な目的があってもその手段は決して人の道を外したものであってはならないという道徳的精神に欠けているのである。それはやはり、彼に神様という概念が抜けているからであると思う。
 こういう考えを持っている以上は彼は本当の成功者にはなれはしない。何故なら富の本質とは生長の家の教えにある通り、人を拝み、敬い、人の為になる考え、アイデアを実行に移すことであるからである。

 堀 浩二
# by koujihori | 2005-04-18 08:57 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)

進化論について

 昨日、私がよく観るテレビ番組「アンビリバボー」で地球上の生物の進化に関するテーマをやっていた。それは生物が進化するのはダーウィンの進化論の様に環境に応じて徐々にその生物が進化するというのではなく、突然変異的に進化するのであり、そのきっかけとなるのは宇宙から来たウィルスであるというのである。
 私は最初はそんなバカなと思って軽い気持ちで観ていたが観ている内にこれはもしかしたら真実に近いのではないかと思うようになってきた。

 というのは進化論に関しては私は根本的にこれを信じておらず、それはダーウィンという一科学者が打ち立てた仮説の一つに過ぎないものであり、完成されたものではないのである。何故なら昨日の番組でもやっていたがキリンならキリンの首が伸びたのは彼らの餌となる木の実が高い所にあるから必然的に段々伸びていったというのがダーウィンの進化論であるがキリンの祖先と言われる動物と現在のキリンとの間に段々首が伸びていったであろう中間の生物の化石が発見されていないのである。
 それは人類も同様で人類の祖先とされている類人猿とその後の北京原人とかネアンデルタール人との間の中間の類人猿の化石というものも発見されておらず、両者の間には実に一千万年の時間の隔てがあり、そこは空白地帯で、断絶しているそうである。
 しかし、現在の学校教育ではこのダーウィンの進化論を正当なものとしてそれを根拠に教育が行われているのである。従って人類というものは猿の子孫に過ぎないものであり、だから人類は動物の一種に過ぎないという考えを多くの人が持っているのである。そういう所から人間が中々立派な行動を取れないということにもつながっていると思う。

進化論に関しては生長の家創始者、谷口雅春先生が御著書「第二青年の書」で触れられている。それは進化論はある程度正しく、生物は微生物から始まって段々後から高等な生物が出現してきて現在の人類に至っているのは正にその通りであるがそれは生物が何回も代を重ねて生まれ変わって行く中で徐々に進化するのではなく、後から突然変異的により高等な生物が出て来るのであるということである。
 私はそれを拝読して「ああ、そうか、分かった。」と一応納得していたのであるが、それではその突然変異というのはどのように起こるのか、また突然変異の生物が出て来るにしても最初のきっかけは何なのかということに関してはよく分からず、その内分かる位に考えていたのである。

 しかし、私は昨日の番組を観て、その生物の進化の上で起こる突然変異というものはこういうものだったのではないかという気がちょっとしたのである。
 というのはその番組で言われていた一説に宇宙にはシードマスター(種を蒔く支配者)という不可思議な神とも言える存在があり、それが地球という一つの天体を生物進化の実験場にしていて宇宙から隕石に乗せて生物の種(シード)を地球に蒔き、後から段々と高度な生物の種を地球に送り込んでそれが地球上に於ける生物の進化になっているというのである。
 その種が前述のようにいわゆるウィルスというものであり、それが宇宙から飛来することで地球上に於けるより高度な生物の段階的な出現となっているというのである。

 何でもNASAでも地球の水分その他微生物はそもそも宇宙から隕石で運ばれて来たという説をほぼ認めているようで、今年7月に行われるというディープインパクト計画で彗星に重さ350kgの弾丸を撃ち込み、彗星内部のかけらを観測しその成分を調べようとしているらしい。

 私はまだはっきりとした確信はないが自分が長年疑問に思っていた地球上の生物が進化していく過程で起こった突然変異というもの、また、後からより高等な生物が出現するにしてもその最初はどのようにして出現したのかという疑問が何となく分かったような気がするのである。皆さんはどう思われますか?

堀 浩二

番組の詳しい内容をお知りになりたい方は下記のアドレスで検索して見て下さい。 

http://www.fujitv.co.jp/unb/index.html
# by koujihori | 2005-04-15 12:19 | 学術問題 | Trackback | Comments(0)

反日運動に思うこと

 さて、ご存知の様に現在、中国、韓国で民衆による反日運動が大変、激しくなっていて、現地邦人は大変恐ろしい思いをしているようである。
 日本では町村外相が日本の外相としては割合珍しく、毅然とした態度を取って、謝罪と破壊活動による損害賠償を中国政府に求めているようであるがこれが蛙の面に小便で責任はむしろ日本にあると言い返される始末。でもこの中国政府の反応はホリエモンではないが、大体、想定の範囲内である。
 騒動の直接のきっかけは日本の国連常任理事国入り反対署名運動であるらしいが、それに加えて日本の歴史教科書の問題や小泉首相の靖国参拝問題等もあるようである。
 でも、中国の民衆の反日感情が何故これ程激しいものであるかということは中国の露骨な反日教育にその原因があることは識者なら誰でも分かっていることと思う。
 中国には学校教育のみならず至る所に日本の中国での戦争犯罪の歴史を再現した戦争記念館があり、戦時中の旧日本軍による中国人虐殺、人体実験等のおぞましいシーンが蝋人形によりリアルに再現された展示物が沢山あるのである。中国では子供達に学校行事でこういう所に度々見学させに行き、子供の頃から徹底的に反日教育を施すのである。
 教育とは恐ろしいものでこんな教育を幼少の頃から受けたら大人になったら立派な反日中国人が出来上がるのであり、彼らは根っから日本人を悪魔のように憎んでいるのである。 今回も騒動もそんな所が根っこにあるのであり、中国の警察が彼らの暴動を殆ど見てみないふりをしているのも当然である。
 でも日本人は戦前も戦時中も多少乱暴で横柄な態度を中国大陸で中国人にしたことはあったようだが本来日本人というのは非常に温和な民族であり、争い事は基本的に好まず、ましてや人間に対してそれが中国人であろうと韓国人であろうとそれを極悪非道なやり方で虐待、虐殺なんて出来る民族ではないのである。
 私はこうした中国の反日教育で教えられている日本人の極悪非道ぶりというのは殆どが中国側のねつ造であると思っている。
 
 それはともかく、中国が何故、こんな反日教育をしているかと言ったらそれは江沢民の時に始まったらしいが、中国政府の自信の無さの裏返しである。
 というのは中国では共産党の一党独裁であるがそれでは経済が停滞するということで部分的に資本主義を採り入れ、現在はGDPの実質成長率は10%を超えているらしい。いわゆる不動産バブルによるものであるが、こうして中国の経済が発展すればするほどいわゆる富裕層が出て来て、それが13億の中国の人口の中の1.5%に当たる2000万人にも及ぶというのである。
 中国では沿岸部の都市部に住んでいる人はこの富裕層のように資本主義のお陰で割合、潤ってリッチであるのだが内陸部の農村地帯は貧困層が多く、それが非常な国民感情不満になっているらしく近頃はその事に起因した暴動も頻発しているらしい。
 中国政府はその中国国内の不満を自分達に向けさせない為にその鉾先を外国に向けさせようとして一番手っ取り早い相手日本を選んだのである。

 そして韓国でも反日運動が現在起こっているがこちらは中国ほどではないが長年反日政策を国が取って来て、それは当然教育にも及んでいただろう。

 いずれにせよ、教育というものは恐ろしいもので人間の考え方というのはこの様に教育によってどうにでもなってしまうのである。でも、私が今回言いたいことはそんなことではない。何故彼ら中国人や韓国人はそれほどまでに日本を悪く言うのであろうか、何故それほどまでに日本の大東亜戦争中の行為を悪魔の様に憎みののしるのであろうか?
 私が思うに中国や東南アジア、そしてアフリカを露骨に本当に侵略の意図をもって、侵略し原住民を搾取又は虐殺したのは白人達欧米列強ではないのか。
 日本が中国大陸に進出していたのはそこを侵略の意図を持って軍隊を派遣したわけではなく日露戦争の勝利によってロシアから割譲を受けた満州の権益によりその地に日本から移民していたのをそれを保護する為に日本から軍隊が派遣されていたのであるし、また朝鮮併合に関しても日露戦争前は日本の政策はずうっと韓国にしっかり独立してもらいたいということで進められており、朝鮮を侵略しようとしたロシアと結局衝突して日露戦争になり、日本勝利後も相変わらずロシアと手を組もうとする勢力が朝鮮において座視出来ない状態になったので仕方なく日本は朝鮮を併合したのであって、それは当時はロシアの南下を世界中が懸念していたので国際的にも歓迎されたのである。

 まあ、結果的に日本が中国と韓国に進出または併合していたことは良くないと言えば良くないのであるがその内容は欧米列強のやり方に比べれば遙かに悪意はないのである。

 でも彼ら中国人、韓国人はアメリカ人、ヨーロッパ人の罪は少しも糾弾しないで何故、我ら日本人の事ばかり責め立てるのであろうか?ちょっとおかしいと思いませんか?
 私はその理由をこのように考える。それはやはり中国人、韓国人は白人、欧米人は自分達に比べて一段上の人種と見ている面があるのではないかという事である。
 それに反し、同じ東洋人しかも中国人や韓国人から見れば日本人は自分達の弟分くらいの感覚があるので、その生意気な日本に一度でも統治された支配されたという記憶がいやでいやでしょうがないのではないかと思う。
 そんなわけでかくも中国、韓国での反日感情が激しいのではないかと思う。

 ここで肝心な事だがそれなら我々日本人は今回の様な事態に対してどうしたらいいかということである。町村外相の様に毅然とした態度で相手に謝罪を求めるのは大変いいことである。しかし、その他、一般の日本人が今回の事で更に中国人、韓国人をいやな卑しい民族であって、これらの民族はまた機会あらば懲らしめて統治してやらなくちゃ駄目なんだなんて思ったりしたら絶対駄目なのである。

 私は今回の事はほとぼりが冷めるまで暫く静観してそのままにしておくのがいいと思う。反日感情反日運動というものが迷いに支配された正しくないものであるならばそれは自ずと自壊して行くのである。ことに中国は既に述べた様に国自体が実は危ないのである。本来でないものは自壊する。そのままにしておけばよいのであり、これを機会に日本も中国、韓国に対等にものが言えるように憲法を改正して核兵器を持てるようにしなくちゃならんなんていう考えは大変危険な思想である。
 それこそ本当に戦争の原因を作るであろう(だからと言って私は憲法改正反対論者ではない)。
 
 そしてかつての韓流ブームの時の様に韓国人のいい面を見ること、そして探せば中国人にもいい面があるはずだから、それを凝視する様にしていけばいつかは日本、中国、韓国とお互い手を取り合って仲良く出来る時が来ると私は信ずる。

 堀 浩二
# by koujihori | 2005-04-14 12:28 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)

犬に教えられたこと

 本日は愛情の事を書こうと思う。私は生来、がめつい性格に生まれついた様で非常にものごとに対してどん欲な所がある。
 それはいい面に働けば大変良いことであり、何事に対しても向上心を持ち、積極的であるという長所になるのであるが悪い面に働くとあれもこれもと思っているからいつもせわしなく、心ここにあらずという事になるのである。 
私は生長の家をやっているから人間は神の子であり、無限の可能性があるという信念がある。従って、実に色々なことに対して、興味を持ち、積極的に関わり、様々な習い事例えばテニスとか英会話などに精を出している。そして、生長の家の「朝の時間を利用せよ」という教え通り、朝は5時30分に起床して、神想観という生長の家の瞑想を20分位やってから先ずテニスの素振りを20分行い、その後、自分の朝の役割である犬の散歩に20分位行ってからその後、出勤するのである。
 しかし、私は犬の散歩の時の20分も何とか自分の能力の向上の為に使えないかと考え、ポータブルCDプレーヤーを購入して犬の散歩の時にそのCDプレーヤーで英会話のCDを聞くことにしたのである。
 私の犬は犬種はアイヌ犬で中型の日本犬であるがもう16歳で人間の歳にしたら80歳は超えている老犬である。老犬であるから最近めっきり足、特に後ろ足が弱って来て、走ることはもう全然出来ず、歩くのも後ろ足がふらついて中々ままならないのである。だから、散歩させていても10メートル歩いたら1、2分は休まないと歩けないのである。
 私は出勤前の朝で時間の無い事もあり、私の犬がよたよたと休み休みでないと中々歩けないということに対し、かなりいらつき、昔その犬が若くて元気だった頃のように頭を撫でたりして可愛がる気も失せてしまっていたのである。
 私は犬の事なんて殆ど形式的に散歩させているだけでもっぱら心は自分が今、聞いているCDの英会話にばかりに行って、そのまともに歩けない世話のかかる老犬の事なんてうざったく思うだけで殆ど眼中に無かった。 
 そんなこんなで毎朝散歩させている内に犬の足の弱り方が日に日に進んで前は何ともなかった階段を下りていくということも殆ど出来なくなってしまったのである。
 
 さて、4、5日前の晩、テレビを見ていたら、ロシアの超能力者の番組をやっていた。そこで動物の言っている事が分かるという女の超能力者が紹介されていて、それはロシアのあるサーカス小屋で飼われている老犬の声を聞き分け、その老犬がかつて自分を可愛がってくれた飼育係に会いたいということを言っているのが分かったというのである。
 そして、それを頼りに過去にそのサーカス小屋でその老犬を世話していた女性の飼育係を番組側が捜し当て、その人とその老犬を会わせたら双方ともお互い本当に再開を喜んでいたのである。
 私はその番組を見たら、本当に犬というものは感情細やかな生きものであり、決してぞんざいに扱ってはならないと思ったのである。
 そして次の日から私は犬を散歩に連れて行く時に、今まで聞いていた英会話のCDをやめ、犬を散歩させることに集中することにした。そして、犬の頭を撫でながら朝の挨拶をし、足がよろけて暫く歩けなくなった時は励ましの声を掛けた。そうしたら私の犬は心なしか前より足の具合が若干良くなり、幾分元気になった様に思う。
 
 私は今回、非常に大事な事を教えられたと思う。というのは私を含め、現代人は非常に忙しく、せわしなく時間に追われ、一つのことをじっくり味わいながら心を込めて行うという事が無くなって来ているのではないかと思うのである。それはそのものごとに対して愛情を掛けてやらないということであり、そうする中、自分自身の心も荒涼としたものになり、引いては鬱病みたいな事になって行くのではないか。
 現代人に鬱病などの心の病気が多いのもそうした愛情不足、一つのことに対してじっくり味わいながらやって行くという心の余裕を失って来ているということに起因しているのではないかと思う。

 堀 浩二
# by koujihori | 2005-04-13 12:19 | Trackback | Comments(2)

妻との大喧嘩で反省したこと

 今日は家内の誕生日である。47歳になったわけであるが私はこの家内に随分苦労を掛けて来たと思う。私が9年前に不眠症になった当時は本当に大変でその時は本当に親身になって支えてくれ、私は家内の献身的な内助の功が無かったら到底立ち直ることは出来ず、現在の自分はなかったであろう。
 しかし、私は昨日夜、些細な事でこの妻と大喧嘩したのである。私は妻たるもの夫の要求する所を素直に聞き入れるべきだという考え方にちょっと凝り固まっていて、昨日は妻が自分の要求通りにしてくれなかったということで衝突したのであった。
 私が何故、こんな考え方を持っているかと言えば、私の信仰する生長の家の教えに「夫は針、妻は糸」というのがあり、妻たるもの夫の言うことにはハイと素直に従うべきだと思っていたのである。
 しかし、いくら良い教えでもそれにとらわれたら駄目なのである。私は元々、ものごとは本来こうあるべきだという考えが何に対しても又、誰に対しても非常に強く、それでよく人を審いていたものだが、私のこうした心的態度は正義漢っぽいが実は非常に愛薄い心である。何故なら常に人を責め立てているのであるから。
 私はそうした性癖を昨日は妻に対して思い切りぶつけた。そして、それは就寝直前だったから頭が興奮して床に入ってから2時間以上寝付かれなかったのである。しかし、私はこういう時、一切の理屈を捨て、神様に全託することにしている。そして、いつの間にか眠りこけていて、気がついたら朝であった。そして、その目覚めた瞬間、昨日の事は既に解決しているような気がして、同時に妻に本当にすまなかったと反省したので朝、妻と顔を合わせた時、すぐに私の方から謝った。妻はすぐには赦してくれる感じではなかったがそれも当然だろう。
 私は生長の家の人でこんな経験をした人は他にもいると思う。つまり教えはよいのだが、それにとらわれ、人を審き、ひいては自分自身を縛ってしまう人がいるのではないかと思う。しかし、いくらいい教えでも我々人間がそれに縛られてはお終いであくまで生長の家の教えの根本は我々の中に神がいらっしゃるということ即ち人間神の子ということであり、我々が主人公であるということであるから、細かい教えにもとらわれず、自分で判断して、自分で行動したらよいのである。
 私の昨日の間違いは教えの表面的言辞にとらわれ、妻への本当の思いやりに欠けたということである。妻は介護施設で老人の食事を作る仕事の主任を任されており、近頃中々そこも色々大変で悩みを抱えていたようである。そんなこんなで私の要求にも素直に従えない所もあったようであるし、またお互いの意思の疎通に問題があったことも昨日の衝突の原因であった。そうした所を勘案して思いやることが出来なかった自分が悪いし、またこうあるべきだと相手に要求する前に相手は自分の鏡であるから自分の行いと考えを先ず正すべきであると感じた次第である。

 堀 浩二
# by koujihori | 2005-04-12 18:22 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

テニスの試合に出てみて2

 前回に引き続きテニス談義を書こうと思う。前回、9日の土曜日にテニスの試合に出たという書き出しから始めたのに肝心なその日の事は書き損ねてしまった。
 私はその日にも大変貴重な体験をしたのである。それは肉体の病気というものは本当には無いということを実感で悟ったのである。この事は私が信仰している生長の家ではよく言われていることで、人間は神の子で無限力を持っており、そして人間は肉体を超えた存在であり、また肉体とは生命の映し出した立体映像に過ぎないのであって、本来存在せず、従って肉体の病気も本来ナイということである。
 私はそのことを9日のテニスの試合で本当に実感した。私はその試合の時までにはテニスの試合の進め方、心構えみたいなものはある程度の域まで行っていると思っていたのでそれ相応の自信はあった。
 ところが結果はかんばしいものではなかった。
 1試合目の相手はサーブは大したことはないがトップスピン回転のかかった深いボールを打ち込んで来て、尚かつフットワークとスタミナがとてもいい相手であった。相手のサーブは余裕で返せるのだがその後のベースラインでのストロークの打ち合いになるとどうしても根負けして打ち負けてしまって、結局2-6で敗れたのである。
 2試合目は両手打ちのバックハンドが非常にいい選手で普通なら苦手なはずのバックにボールを集めてもこちらが有利になるどころか却って、そのボールでエースを取られる始末。結局その相手にも0-6で負けてしまった。
 そして3試合目はいつも当たる強い相手でこれにも2-6で負けた。そして最終戦を迎えたのであるが、私はこの日の試合の流れの中で大変、大事な事に気がついたのである。
 それは3戦目を戦っている時に思ったのだが、私はその日は何だか朝から頭がフラフラしていて、三半器官に異常があるのではと思っていた位であった。その4,5日前にも立ちくらみになった事もあったし、以前にトイレで倒れたこともあった。
 実は私は9年程前にストレスから一時、不眠症になったことがあり、現在は眠れないということは殆どなくなったが、自分でも自分の体が本当に完全な状態に戻っているとは実は思っていなかったのである。そして、不眠の頃から極端に体力も無くなり、スタミナも落ちたが、それに反して、その後、不眠が治ってから食欲も増えたので体重は一時は85kgにまでなってしまった。
 私の身長が176cmであるから理想体重としては70kg位であるのでかなりの肥満である。その後、半日ダイエット等して現在は体重は78kgにまでになったがそれでも自分はまだ完全な健康体ではなく、肥満気味でありしかも体力も完全に戻っていないので、スタミナもフットワークも良くないと自分で思っていたのである。
 要するに自分という存在は肉体、しかも完全な健康体でない肥満気味の肉体そのものであると思っていたのである。であるから自分はテニスセンスもテニステクニックも素晴らしいのに試合に勝てないのだと思っていた。そして、その日も「もし自分が完全な健康体でスリムな肉体であったならこんな相手には負けはしない」と自分で自分に言い聞かせていたのである。
 しかし、その日の第3戦目を戦っている最中にそれは本当に卑怯な言い訳に過ぎないと私は自覚したのである。生長の家の教えでは肉体は心の影であると教えられているから自分の肉体がスタミナもなく、ブヨブヨと肥満しているのはそういう肉体が具体的に存在するのではなく自分の心がだらしなく、言い訳をするブヨブヨの心であるからであり、自分の肉体は具体的な存在ではなくそのブヨブヨで不健全な心の塊に過ぎないものであったということに気がついたのである。
 それならば「今、立ち上がろう」と決意したのである。自分が勝てない理由を不完全な肉体のせいにする心を捨て、自分は今、完全であり、無限の力があり、この不完全な肉体はナイのであるという潔い心を発動させればよいのであると思ったのである。そして、最終戦はポカリスエットの飲み過ぎたことによる腹痛と戦いながらも見事勝利することが出来たのである。
 私はこの日の試合で生長の家の教えである「肉体はそして肉体の病気は本来存在せず、それは自分の卑怯で不完全な心の影であり、自分は今、完全であり、それを自覚すれば今、その心の通り立ち上がることが出来るのである。」ということを本当に自覚することが出来たのである。

 堀 浩二
# by koujihori | 2005-04-12 10:04 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

テニスの試合に出てみて

 先週の土曜日、テニスのシングルスの練習試合に出場した。いつもの茅ヶ崎の湘南ローンテニスクラブ主催の草テニス試合である。
 私はテニスは大学生の時に趣味で始めたが、テニススクールには入ったりせずテニス雑誌を読んだりして独学で適当にやっていた。社会人になってからも月一回位のペースでしかやっていなかったが8年前の38歳の時に意を決して本腰を入れてやることにし、テニススクールに入り、素振りも毎日やるようにし、現在に至っている。そして5年位前から色々な草テニス大会に出ている。

 私は生長の家をやり、人間神の子無限力という信仰、信念を持っているから決してものごとに背を向けるということをせず、テニスに対してもそういう姿勢を貫いてきた。テニスのトーナメント等に出場するプレーヤーはアマチュアでもかなり実力も自信もある人が出て来るので私は最初は勿論全然勝てず、他のプレーヤーは私のような者が何でこの試合に出て来ているのだろうと不思議に思っていたに違いない。

 私はそれでも人間神の子無限力の信念で出場し続け、途中ではやはり自分の様な素人には無理かなと何度もあきらめかけたが、遂にその長い低迷の時期を抜け出す瞬間がやって来たのである。
 それは、先月に出場したシングルスの試合での事である。それまでの私はもともと大したことはないのにそれに加えて極度の不振の状態にあり、それまで何とか勝てていた相手にも簡単に負けるという最悪の状態であった。
 しかし、その試合の中でテニスの試合の時にはどうしたらいいか、どういうことを基準にプレイしたらいいかということが直感的に分かったのである。
 それまでの私はちょっとテニスに対して考えすぎの所があり、それが災いしていた。テニスのテクニックや試合の進め方に関して事前に完全に分かってからでないとまともな試合が出来ないと思っていたので、これからプレイするという時に自分のテクニック、方法を完全にしよう、しようとしてあれこれ自分の頭の中で考え過ぎていたのである。
 しかし、それは間違いでどういう風に打つかということは試合をして行く中で経験的に自ずとインスピレーション的に分かってくるのであるということが分かったのである。
 
 それが分かってからというもの私は自ずと試合の中でここはもうちょっとこう打ったらいいなと自分で判断出来て、打つことが出来るようになり、それが見事に図に当たってそれまでのスランプを脱し、好成績を上げることが出来たのである。
 試合では1セットマッチの試合をそれぞれ異なる相手と4試合するのであるが前回0-6で負けた相手にも勝てはしないがスコアを4-6にすることが出来たし、その他の前回4-6で負けた相手には見事6-4で勝つことが出来たのである。

 私はこの時、初めて実感として自分もこうしたテニストーナメントで充分やれるんだという自信を得ることが出来たと共に生長の家の教えの通り、ものごとはあきらめないでやり続ければいつかは必ず出来るようになるということ、そして、良くなる直前というのは一番悪くなるからこういう時に決してあきらめてはいけないということを再確認することが出来たのである。

 堀 浩二
# by koujihori | 2005-04-11 10:45 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

初めましてブログを始めます

 初めましてブログなるものを初めて公開いたします。色々言いたいことはあるのですが、まずは現在、非常に問題になっている環境問題から行きたいと思います。

 先日、山梨で30℃を超す暑さになったと聞きましたが本日もここ神奈川県藤沢市の私の職場でも27℃になり、ついに誰かが冷房を入れました。ついこの間2日の日に靖国神社に行った時は真冬並みの寒さに震えていたのにこれはどう考えても異常気象としか言いようがありません。

 もう本当に地球が壊れかけています。地球環境破壊がこのまま進み、生態系の破壊が更に深刻になれば人間に取って、住みにくくなるどころか生態系の一部に過ぎない人類自体の存亡に関わって来る問題です。
 
 これは政府がどうの協定がどうのという問題では根本的にはありません。我々一般人一人一人の意識の問題です。目の前の物質的享楽を第一に考える心を捨て、神を信じ、神の心を第一に考え、自然を大切にする以外ないです。

 環境破壊は人類の存亡に関わっていると申し上げましたが、もう既に人類は壊れかけています。皆さんはこの頃の事件はちょっと異常だと思いませんか?子供虐待、子殺し、親殺し、衝動的な無差別殺人等々。これは自然を破壊している中において人間自身が壊れて来ている証左ではないですか?

 堀 浩二
# by koujihori | 2005-04-08 16:02 | 環境問題 | Trackback | Comments(1)