悟り及び実相顕現というのは実相が自分で出て来る事によりのみ成就する。

 迷いは悟りの基礎工事です。人間の本質は完全円満でありかつ悟りそのものです。悟りというのはこの世界は実相独在であって完全円満で無限力の神が宇宙の隅々までも行き渡り生きとし生けるもの全てを内側から生かし、人間はその神の最高表現であり神の万徳を備えたものであり、全ては神に於いて一体の生命であるという真理をそのまま実感している事であります。
 それは叡智であり実相そのものであり久遠の生命であり無限の叡智でもあるから悟りなのであります。

 人間の本質はこの久遠の生命の自覚そのもの悟りそのものであり、それは無限でありかつ無形です。そしてこの世界は表現の世界ですからその無限の実相生命が自ら表現活動をするのであります。それが無限生長という事ですがその表現活動をする事により無限の生命が有限化される。

 その表現のレベルというものは最初は稚拙な段階から始まる。そして試行錯誤する中で段々とその表現のレベルが上がって来る。その際、神の導きにより宗教的天才の指導でその表現の仕方、悟りを導かれる事がある。それがキリスト教、仏教等の世界的宗教というものだ。 

 しかし、本質的にはその本人の内側にある実相即ち無限の叡智なるものが自ら表面に出て来る活動により実相が顕現し、無限の叡智即ち悟りも自ずと出て来る。
 その際、必ず迷いの段階を経る。迷いというのは自己の生命の実相を悟らず迷った状態であり、そこで色々の苦しみも味わう。その中で病になる事もある。しかし、それらは実相即ち本物の悟りが無限生長する事により自分の力で自ら自己表現して現象世界に出て来る過程の中での基礎工事なのだ。
 その悟りが自分で出て来る過程では先達の指導により導かれる事があるがそれは本当はその本人の生命の実相、悟りが自分で出て来る際に先達や師の指導という形を取って現れたものである。

 従って悟りというのは何か自分の我(が)の励みにより我(が)が罪悪深重の凡夫の上に構築して行くものではなくて自己の中の悟りそのものが自分で表面に出て来る事によりのみ成就するのであって、その営みは実相そのものが自分で出て来るという事であり、その過程に於いて迷いというのが悟りの基礎工事として出て来るのである。

 よって、全ては完全円満でそのままでよいという悟りが自己の中から出て来る過程においてこの世界は不完全であり不幸と病と悪が満ちている世界であるという迷いが出て来て、それにより病になったりの苦しみが悟りの基礎工事として出て来るのである。

堀 浩二
# by koujihori | 2017-03-03 14:04 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

生長の家は途轍もないものだ。

 何と言ったら良いだろうか?生長の家というのは正に途轍もないものである。そして、それに浴している私は恐らく宇宙一の幸福者だろう。
 この教えと運動は地上に確実に天国を実現させるであろう。私はひたすらこの福音を伝えたい、表現したい、悦びたい。ただそれだけなのである。
 日常生活でそれをし、同時に生長の家の組織運動では生長の家総裁に中心帰一し、この運動の発展に少しでも貢献したい。

堀 浩二 
# by koujihori | 2017-02-02 14:35 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

心の法則だけ学んでも駄目

 私は高校一年の時に生長の家高校生練成会を受けた。夏と冬と二回受けた。当時は五泊六日位のたっぷりとしたものだった。

 で、この二回の練成で一番印象に残ったのが講師のこの言葉
「思ったら思った通りになる。」の一言。

 私は生高連の人からの誘いを断り、自分一人で生長の家を勉強しようとした。それで練成会のテキストだった「真理」とか「こうして善を実現する」を毎日自宅で読んで考えている内に勉強が手に付かなくなってしまった。
 一つの非常に大きな悩みが生じてしまったからだ。その悩みとは
「思ったら思った通りになるのなら悪い事を思ったらそれも実現してしまう。」というものだった。これに取り憑かれると悪い事を思ってはいけないと思いつつ悪い事を思ってしまう。そうするとそれが恐怖になる。恐怖するとその恐怖した事が実現すると思うからますます恐怖する。
 こんな負のスパイラルから私は学校の勉強が手に付かなくなり成績は見る見る下がっていった。担任の先生からも随分心配された。要するに表面的に見ると私は練成に行った事でノイローゼになり学校の成績も下がってしまったのだ。
 これは第一に私が生長の家の仲間との交流を絶ち自分一人で生長の家を分かろうとした事に元凶がある。生長の家は一人でやっても迷うばかりで却って危険である。それと心と身体のメカニズムを考えるにこれは心の法則を知ったと同時に心を明るく健全なものとする訓練が本来は必要だったのにそれが為されなかった事に原因がある。
 具体的に言うと吾々の心というのは脳髄から出る作用が非常に影響する。脳髄が健全なものであれば明るい楽観的なストレスに耐性のある心が出るが健全でないと暗く悲観的な恐怖心の過剰な心となる。そういう脳髄が心の法則だけ知れば「思ったら思った通りになるのなら悪い事を考えない様にしよう。」という事にとらわれ、恐怖するという負のスパイラルに陥ってしまう。

 心の法則を教えるのであれば同時にというかそれ以上に「人間は本来は神の子で完全円満であり、それを毎日の生活の中で言葉と表情と姿勢とで表現し、行動し、かつ神想観で深く潜在意識に認識させなくてはならない。」という所までやる事が大事だ。それがきちんと出来ていれば恐怖しない脳になるから心の法則を知っても「恐怖する事を恐怖する」なんて事は無くなる。 

 心の法則だけでは駄目、実相独在をより強調し、それを毎日行じる事の大切さを伝える事が大事だろう。

堀 浩二
# by koujihori | 2017-02-01 15:37 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

心の影とか学びとかに引っ掛かってはならぬ。

「続々甘露の法雨」に
「色々と悟らせて頂きましたなどと過去の数々の迷いにとらわれるのは悟りとはほど遠き事」とある。

 吾々が観世音菩薩の御働きで自分の心の状態を知り、反省して改善するというのは良い。しかし、心の影だの反省だのにとらわれると足をすくわれる。本当の悟りとはほど遠い事になり、そこに安心立命は無いのである。

 そうした学びの中でも心の影もナイ、自分の過去の迷いもナイ、今ここそのままで完全円満であるという事を悟らなくてならないのである。
# by koujihori | 2017-01-11 15:48 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

性格が変わる。

 昨日、ある年配の男性が
「堀さん、あんた丸くなったなぁ」としみじみ言ってくれた。とても嬉しかった。

 私は人の良い所そして現象の奥の実相を拝む様になってかれこれ数ヶ月経つがそのトレーニングがそれだけ人格を変えたのだ。多分、脳の構造も変えていると思う。
 もう不安も悩みも無い境涯に来られた。こんなのは生まれてから初めての経験。

 でもこれは私の我(が)が励んでいるのではなくて僕の中の実相が自分で出て来た結果なんです。実相が自分で出て来るという事がそれが我(が)じゃないという事であり、実相独在という事であり、実相が実相するという事ですね。 

堀 浩二
# by koujihori | 2016-12-21 16:01 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

天地一切のものに感謝する。

 私は昔から生長の家の「天地一切のものに感謝せよ」という大調和の神示は素晴らしいが実行するのはかなり厳しいと思っていた。

 そりゃ、父母や配偶者に感謝するのは大事だし、変な話、そこがツボだからそこさえクリアーしてれば後は適当にしていれば良いと功利的な考えになっていたと思う。

 しかし、さっき、うちの会社の社員が役員室を勝手に私の許可無く使っていたので一瞬、イラッと来た。それでその社員に「今度ここを使う時は僕の許可を取ってね。ところでその会合は社員食堂じゃ出来ないの?」と質っした。

 その時ハッとした。私はこの社員に苛立っているがこれは天地一切のものに感謝していないと。
 一事が万事でいと小さきものに対する態度は即ち吾にしたのであると聖書におけるキリスト教の教えにあるが自分に取って親とか妻でもない一般の人やそれ以外の動植物に対してもどういう心持ちかは大事でそれは神に対するものと同じだと言う事を実感した。一物一切物であり繰り返すが一事が万事であるからだ。

 だから、天地一切は即ちどんな自分に取って小さな存在であってもそれは神に通じるという事であり、それに対して腹を立てたり苛立つ心は神に対して腹を立てたり不安に思う心と同じなのだ。

PS
私はその後、その社員(女性のIさん)が休んだ社員(男性のIさん)の為の研修をその社員だけの為にわざわざ時間を割いてやる為にその部屋を使おうとした事を知った。私はこの女性のIさんに対しては計算高い功利的な女性という認識だったから彼女を見直した。私が天地一切のものに感謝する気持ちになったらIさんの実相が私に見えて来たという事だと思う。

堀 浩二
# by koujihori | 2016-12-20 13:45 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

生長の家を学ぶという事

 私はテニスをやっているがテクニック的な事で分かる時というのは相手と試合をしている時が多い。テクニックに関しては自分だけで考えたり本を読んだりしても迷いは深まるばかりで本当の事は到底分からないがテニスの仲間とかクラブとか対戦相手と試合している時に直感的に分かる。

 これは物事を学ぶ場合、自分一人の力では到底学ぶ事が出来ず、仲間とかきちんとした指導者の下でしか学ぶ事は到底出来ないという事だ。

 そこにはテニスならテニスの神様がいて、それがそこの指導者とか仲間との学び合いの中に現れてそうしたものを通して本当の事を教えてくれるという事だ。

 だから生長の家は本来の生長の家の組織で学び活動するという事がとても大事でそうした仲間や指導者と隔絶し、独りよがりの学びをしても道から外れるばかりだ。
 もちろん、生長の家を裏切った様な集団と接していれば悪い迷った集団とそれに相応の悪霊、迷った霊の惑わしを受ける事になってしまう。

堀 浩二
# by koujihori | 2016-12-19 09:12 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

思う事

 よく「生長の家は天地一切のものに感謝せよ」という教えなのに谷口家は兄弟喧嘩してるじゃないかという言辞を聞く。
 しかし、考えて見て欲しい。雅宣先生は正しい事をしているだけではないか。生長の家の法燈継承者として生長の家の運動を生長の家大神の導きのままに遂行しているだけである。
 先生の兄弟姉妹が勝手に生長の家を飛び出して道に外れた行いをしているだけではないか。それを兄弟喧嘩と言えるのか?

 裁判の問題にしろ雅宣先生は生長の家の運動を護る為に当たり前の事をしているだけである。

堀 浩二
# by koujihori | 2016-12-14 13:27 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)

非道な事をする人間を憎んだり非難してはならない。

 目の前に非道な事をやっている人間がいる。しかし、決してその人間を憎んではならない。それは自分の心が映っているのだから。
 翻って、相手の実相を祈るべし。そして現象的にやるべき事があれば粛々とやれば良いのである。非道な事の犠牲者を助けるとか。 


 相手を憎む心で非難しても決して相手は良化する事は無い。悪と認められたのであるから。そしてその非難の心はこちらに又蓄積され、将来、再び更なる悪の姿となって相手は現れるであろう。そして自分自身の神性もくらまされ、病気にもなるのである。

堀 浩二
# by koujihori | 2016-12-14 13:20 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

人類は必ず進歩する。

 世界は今、大変な危機的状況に陥っている様に見える。それは差別主義者、排外主義者のトランプがアメリカの大統領になり、イギリスがEUから脱退し、ヨーロッパでもフランスを始め極右政党が国民の支持を取り付け始めている。その大部分はヨーロッパへの難民が増えている事が原因だが。難民受入に否定的な国粋主義政党が支持を取り付ける訳だ。

 これは世界分断の流れであり、分断は敵対感情につながり、世界平和に取って非常に憂うべく状態になって来ていると思われる。
 そして吾が日本では稀代の悪政権が暴走を続けている。この政権は国粋主義をベースに国民一人一人の生命や権利や自由は二の次三の次。自分達既得権益者である支配層、それは自分達と大企業と官僚であるがこれさえ優遇されていれば良いのであり、これにマスコミが応援団に入って独裁国家を築くべく着々と手を打っている。

 本当に表面的現象を見ると絶望的であり、地球温暖化による環境破壊も伴って、これからは異常気象、食糧不足、資源争奪の為の戦争等々が頻発する危険性が拭えない。もちろん吾が日本も例外ではない。

 しかしながら希望の芽生えは世界のそこかしこに実は出て来ている。
 例えばベジタリアンがことにアメリカで微かながら増えて来たりしている現象やネットの動画などを見ると動物同士または人間と動物が仲良く戯れている映像などが目立って来ている。
 現在は肉食が世界的に盛んだがそれは動物を心を持っていない物質の様に思っているから出来る事でこれだけの動物に関する映像が出て来ているのは人類に動物も自分達同様心持った生き物であるという認識が拡がり始めている証左だと思う。
 
 またアメリカでは家畜の悲惨な飼育状況を改善すべく法律が制定される州なども少しずつ出て来ているのだそうだ。
 肉食が地球温暖化の原因の大半を占めているのだから肉食を控える人達が増えて来るというのは素晴らしい事だ。また難民の問題も実は温暖化による環境難民が多いのだから肉食を減らすという事は難民対策にもなる。

 またその他数えればいくらでもある。現在では病気はストレスが原因であると大方の人が認めているし、笑いが健康に良いという認識も大部拡がっている。また、現在の若者の多くは「有り難うございます。」を殆ど挨拶代わりに使っている。 
 これらは絶望的世界状況の中でも希望の光である。

 人類は原始時代から始まって進歩し続けている。
 それは自然科学の面だけではなくて政治形態においても王制や奴隷制など個人の権利と自由などまるで顧みられなかった時代から多くの失敗を経た後の教訓から憲政を生み出し、権力が暴走しない様にして個人の権利と自由を確保する様に進歩して来たのだ。
 
 そして、科学技術、政治、法律だけではなくて精神的自覚においても人類は進歩向上して行くと思われる。
 現在の唯物論を元にした金儲け主義、そこから派生する格差社会、難民問題、地下資源争奪による戦争危機、地球環境破壊、そしてまたそこから派生する排外主義、分断主義の時代を経て必ずや人類は霊的自覚を持ち、人類同士ばかりか人類以外の動物や植物と本当は魂レベルで一体であるという悟りを大部分の人類が得るほどに精神的に進歩すると思われる。
 
 それが本当の人類の進化であり、進歩である。人類が地球上に誕生して人類は全体的に原始的レベルから高尚なレベルまで長い年月を掛けて進歩して行くのは自明の事なのである。

堀 浩二
# by koujihori | 2016-12-13 13:22 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)