生長の家だからこそ試練が与えられる。

 生長の家の人でお子さんが鬱であるとか統合失調症であったりする人がいる。生長の家なのに何故?と思うがそれは生長の家だからこそこうした現象が出て来ているのである。それはまず迷いは悟りの基礎工事であり、実相というのは実際問題を克服する過程で出て来るからである。
 神様はその人に取って解決出来ない問題は決してお与えにならない。そういう問題が与えられたという事はその人にそれを克服するだけの力が既に養成されているからであり、それを通して悩める人を導く教化力を養成する為である。

堀 浩二
# by koujihori | 2017-09-06 09:48 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

悪はナイ。

 悪がアルと思ったらその時点で信仰者失格である。全ては吾が内にあり、それは完全円満の神の国であり、外側に見える悪は単に自分の心のレンズの歪み(迷い)により本来完全円満の神の国がそう見えているだけなのである。

堀 浩二
# by koujihori | 2017-09-06 09:35 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

自動化の弊害について

 現在、あらゆる所で自動化が進んでいる。トイレにしろ、電灯にしろ。そして最も顕著なのは自動車だろう。新しい車種は自動ブレーキが標準装備されているし、将来は完全な自動運転になるらしい。

 しかし、これは良い様で良くない。高齢者のアクセルとブレーキの踏み間違え事故はマニュアル車だったら起きていないし、航空機の事故が増えているのも自動操縦が普及した後のパイロットが自動操縦装置が故障した際に昔のパイロットの様に緊急事態に対処出来なくなったからだそうだ。

 鬱病が現在、増えているのも実は自動化が普及した為だ。鬱病というのは脳の病気であり、今の若い人達が生活が便利になって指先を昔ほど使わなくなった為に脳の力が衰えたのが鬱病や引きこもりを招いているのである。

 私もこうやってワープロソフトを使って文章を書いているがこれも最初の数文字入力すれば後はソフトが単語を記憶していてその候補となる単語を提示してくれるのでワンタッチで単語が入力出来るがこれをやっていて自分の手先が不器用になっているのを自覚した。だから現在は一つの単語を入力するのに全てのキーボードを押すというのを面倒でもやっている。それで指先の機能が回復しているのも実感する。

 こういう様に自動化は良い様で良くない。人間は機械に頼りすぎず、ある程度は自分の生の力を日頃から使って行かなくては駄目になってしまう。

 この問題は実は自然破壊にも通じている。三年前のフィリピンのハリケーン、そして最近の中国での台風は台風が以前に比べて格段に大型化されているがこれは温暖化の現れだ。今の状態を放置しておれば人類も生存出来ないだろう。

堀 浩二
# by koujihori | 2017-08-25 10:52 | 潜在能力 | Trackback | Comments(0)

生長の家は素晴らしい。でもそれを極めるのは生半可ではいかない。

 生長の家の教えは素晴らしい。途轍もないものである。それは実相独在、唯心所現という縦の真理と横の真理であるがこれは実は一つの事の裏表である。実相独在というのは現象はナイという事であり、それなら何かと言ったらそれは心の影という事であり、ここに縦の真理と横の真理は一致するのである。

 これは本当に素晴らしい事だ。どんな不完全な現象が見えていようともそれは真に存在するのではなくて本当に存在するものは全て完全円満であり、その完全円満さがまだ見えないからその心の影として不完全が見えているだけだというのであるから。

 それを見出した時にどんな悪い相手にもどんな不幸な境遇でも感謝が出来るし悦べるのである。それも今すぐに。

 それは本当に深い心境である。従ってその境涯に行くのには生易しい事では済まない。真摯さと持続性と真理に対する謙虚なハイという信仰姿勢が要求される。現象的に全てにおいて絶望した深い嘆きと悲しみの向こう側にその栄光の真理があるのである。

堀 浩二
# by koujihori | 2017-08-17 16:25 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

人類は進歩している。

 これは本当の話だがある日本猿の群れで小さな雌の猿がイモを川の水で洗って食べる事を始めた。そんな習慣が無かった猿達だが暫くするとその真似をしてイモを洗って食べる猿がちらほら出て来た。

 しかし、これは同時に全く別の猿の群れにもこうした現象が現れた。この二つの群れは普段、全く接触の無い遠い離れた所にあるにも拘わらず。そしてこうした新しい動きに対してボス猿を始めとした古株の雄猿はそっぽを向いていたというのである。

 こういうのをシンクロ現象と言う。世界的な発明というのは世界で至る所に同時多発的に出て来る。そうした例が今までいくつもある。これは見えない世界で先ず動きがあり、それが形の世界に後から出て来るのであり、だからお互いに情報を交換しなくても同時多発的に価値ある新しい発明や動きというのは出て来るのだ。それはやっぱりこの世界は徐々に何千年、何百年と掛けて文明が進歩しているという事でありその元はやっぱり神様だと言う事だろう。

 で、政治形態、社会構造というのも人類の開闢以来何万年、何千年と掛けて徐々に徐々に生長、進歩している。最初は狩猟生活から始まり組織だった農耕生活となり、その後、有力者を中心とした部族社会から王が支配する国や文明が出来、その下は貴族から奴隷に至る階層社会が出来上がり、王が絶対支配者で民はその権利というものが殆ど無い生殺与奪は殆ど王のままという惨めなものであった。

 しかしそこから奴隷は廃止され、国民一人一人の権利も徐々に認められる様になり、国民の投票による議員による議会政治が出来、王は君臨すれども統治せずということで立憲君主制になり、そこで統治者の暴走を防ぐ為に縛りを掛ける憲法というものが制定されて法治国家が出来上がって行った。

 それが人類の文明の進歩というものである。吾が日本国も明治維新以来、立憲君主制議会制度を構築し、天皇は元首ではあるが統治せず、国の決め事は議会が決め、天皇と言えども憲法を遵守するという事になって行ったのであるが明治憲法も完璧なものでなかったので日本は段々と民主主義が機能を失い、国民の言論の自由も失われ、権利も損なわれ、戦争に突入して行った。これは当時は世界はまだ帝国主義の時代であり、植民地争奪の面もあったので致し方のない部分もあった。

 しかし、戦後、植民地は殆ど独立し、帝国主義は終焉を迎え、世界の国々はより進歩した議会制民主主義かつ憲法遵守による法治国家へと大きく舵を取り進歩して行った。しかし、ここに来てそうした歴史の流れを無視し、人類が戦争で散々な犠牲を払った後に得た民主化の流れを逆行させる勢力が出て来た。

 これが安倍内閣であり、その思想的背景には日本会議がある。これは歴史のあだ花であり、人類の進歩の流れにそぐわないものであるから自滅するしかないのである。しかし、これに賛同しているのが所謂、親父達である。これは冒頭のボス猿の様なもので旧い男尊女卑の文化に固執し国粋主義的な戦争大好きの石頭の連中だ。

 それに対して幼い雌猿の様な真の人類の夜明け、進歩の流れは実は同時多発的に世界のあちこちで出て来ているのである。

 日本では馬鹿番組が相も変わらず下劣なグルメ番組を放送しそこでタレント達が肉料理にかぶりつき舌鼓を打っているが肉食の本場の米国やブラジルではベジタリアンが増えているのだ。
 有名人ではポール・マッカートニー、マイケル・ジャクソン、アーノルド・シュワルツネッガー、そして強い筋肉が必要とされるアスリートでもヴィーナス・ウィリアムス、マイク・タイソン、カール・ルイスもベジタリアンであり、肉など食べなくても十分なタンパク質が摂れている事を証明している。

 肉食が今何故いけないのか?これは一昔前に比べてマクドナルドなどの多国籍企業の食肉産業が世界中に展開して安価で肉を爆発的に提供している為に家畜の飼料となる穀物を生産する為に世界の主要な森林を大規模に伐採して畑を作って地球温暖化に深刻な影響を与えているからである。
 また家畜の出すゲップや糞尿からのメタンガスはCO2よりも遙かに高い温室効果があり、今や地球温暖化の原因の半分はこうした食肉産業である。
 地球温暖化なんて大した事ないなんて事はない。それは昨今の様な異常気象を生み出す。これは地球の自律神経が狂って来ているのであり、地球の生態系の破壊を意味する。生態系の一部に過ぎない人類も当然、無事ではいられない。

 そして家畜の生育は不自然、残酷極まりないものであり、これが全世界的に大規模に行われているというのは大変な動物虐待の事態である。こんな悪行をして人類だけが豊かに幸福になろうなどとは余りにも虫の良い話である。

 こうした動きに対して心あるスピリチュアル的な人達が肉食を忌避する流れが世界中で今徐々にしかし確実に拡がっている。

 そして、これは人類がより進歩したレベルに上がる前兆なのだ。物質欲や所有欲や他に打ち勝つ事で自己満足する文化ではなく、他のために地球のために自然のために与えかつ、貢献する事を旨とする霊的文明の夜明けである。

堀 浩二
# by koujihori | 2017-08-04 09:51 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)

そのままでよい。

 近頃、つくづく思う。
 本当に「そのままでいい」んだなと。

 そのままって実相なんですよね。実相だから精力的に動く、やるべき事はやるし、やっちゃいけない事はやらない。感謝も出来るし、人も赦せる。そして祈りたくなる。生長の家の生き方の練習もしたくなる。

堀 浩二
# by koujihori | 2017-07-31 15:11 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

聖典の言葉尻にとらわれてはならない。

 聖典の言葉尻にとらわれるな。無形、無限の真理の一つの現れとして聖典の真理の言葉があるのである。本当の真理は文字の奥の無形、無限のものであり、そこから現象化する際、色々に限定された形としての言葉となって出ているのであり、その色々の有限の言葉が組み合わされた真理の言葉の曼荼羅により、その奥の無形の真理を悟って行くのである。
 生長の家はこうして色々と有限の言葉を立てて、これを組み合わせてその有限の言葉の奥の不立文字の真理を読者に悟らせる事に成功したのである。しかし、やはり、形に現れた一つ一つの真理の言葉は真の無形の不立文字の真理そのものではないのである。

堀 浩二
# by koujihori | 2017-07-27 10:44 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

唯物論こそが迷いの元である。

 全ての迷いの元は唯物論である。人間を物質と思っているから残酷な事も出来る。人から奪って自分だけ潤おうと思う。
 人間を物質だと思って居るから自分と他がバラバラだと思う。そこに利己主義が出て来る。そして物質をアルと思って居るから目の前の悪を具体的な存在だと思う。そこから恐怖が出て来る。そして病気になり、またその目の前の悪を殲滅しようとする。

 それらの唯物論は人間の魂の幼い段階なのである。

堀 浩二
# by koujihori | 2017-07-26 09:35 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

愛を与えれば自分に愛が増える。

 私は自分が不遇に遭う原因がはっきりと分かった。それは自分に愛が無かった為である。周囲に愛を与えず、笑顔を与えず、人の良い所を見ず、そうした習慣が私に愛を培う事が出来ない事になり、その為に私に愛が無く、他の人の成功や出世に嫉妬し、そして愛を与えていない即ち私自身が周囲に不遇を与えていた為に私が不遇となったのである。

 しかし、これは素晴らしい発見であり、最大、最高の価値ある事である。これも私の周囲の私を不遇にしてくれた人達のお陰であり、そして内なる生長の家の神のお導きであり、そしてこれこそが私の中の実相が自分で出て来た事なのである。 

堀 浩二
# by koujihori | 2017-06-29 15:46 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

本当の幸福とは

 私はこのところ、表面的には艱難続きである。特にある場所で不遇を受け、居場所が無くなって来ている感じだ。

 しかし、これはその奥で途轍もなく素晴らしい事が進行している事だとは何となく感づいていた。私が不遇を受けるのは私に愛が足りない事の観世音菩薩の働きであると思っていた。そして、ある時、決定的に自分には愛が無いという事を実感する出来事があった。 
 それは先日、ある友人に呑み会に誘われた際、その友人の写真を持っていたスマホで何気なく写した。それを後からフェイスブックにアップして、その友人を小バカにした文章を添えて投稿しようとしたのだ。その時に実感したのだ。ああ自分はこの友人に対する愛が足りないと。
 実はこういう傾向は私は生まれつきあったのだ。だから人を批判してしまう。愛があれば批判なんかしないのです。

 そこで全てが本当に分かりました。自分は愛が足りなくてそれでかつてノイローゼとか不眠症になったのだと。その事は雅春先生が「生命の実相」の中で書いてある。

 今のある場所での不遇は自分に愛が足りないからそうなったのでありそれが観世音菩薩となって自分にお示しがあった。
 しかし、観世音菩薩として自分にそのお示しがあったと気がついた時点で自分の中の実相が出て来ているのです。何度も言いますが実相は自分で出て来る。

 私がフェイスブックで友人に愛のない行為をしようとした時点でそれが自分に愛が無かったと実感出来たのは私の中の実相が出て来て愛が表面に出て来たからこそ過去の自分が悪かったと気がついたんですね。

 こうした人格の生長こそが私がこの世に生を受けた大きな目的でありました。そして何かしら問題が起こって来た時はそれが実相が出て来るきざしというか基礎工事になっている訳であります。

堀 浩二
# by koujihori | 2017-06-26 10:33 | 信仰 | Trackback | Comments(0)