心の影とか学びとかに引っ掛かってはならぬ。

「続々甘露の法雨」に
「色々と悟らせて頂きましたなどと過去の数々の迷いにとらわれるのは悟りとはほど遠き事」とある。

 吾々が観世音菩薩の御働きで自分の心の状態を知り、反省して改善するというのは良い。しかし、心の影だの反省だのにとらわれると足をすくわれる。本当の悟りとはほど遠い事になり、そこに安心立命は無いのである。

 そうした学びの中でも心の影もナイ、自分の過去の迷いもナイ、今ここそのままで完全円満であるという事を悟らなくてならないのである。
# by koujihori | 2017-01-11 15:48 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

性格が変わる。

 昨日、ある年配の男性が
「堀さん、あんた丸くなったなぁ」としみじみ言ってくれた。とても嬉しかった。

 私は人の良い所そして現象の奥の実相を拝む様になってかれこれ数ヶ月経つがそのトレーニングがそれだけ人格を変えたのだ。多分、脳の構造も変えていると思う。
 もう不安も悩みも無い境涯に来られた。こんなのは生まれてから初めての経験。

 でもこれは私の我(が)が励んでいるのではなくて僕の中の実相が自分で出て来た結果なんです。実相が自分で出て来るという事がそれが我(が)じゃないという事であり、実相独在という事であり、実相が実相するという事ですね。 

堀 浩二
# by koujihori | 2016-12-21 16:01 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

天地一切のものに感謝する。

 私は昔から生長の家の「天地一切のものに感謝せよ」という大調和の神示は素晴らしいが実行するのはかなり厳しいと思っていた。

 そりゃ、父母や配偶者に感謝するのは大事だし、変な話、そこがツボだからそこさえクリアーしてれば後は適当にしていれば良いと功利的な考えになっていたと思う。

 しかし、さっき、うちの会社の社員が役員室を勝手に私の許可無く使っていたので一瞬、イラッと来た。それでその社員に「今度ここを使う時は僕の許可を取ってね。ところでその会合は社員食堂じゃ出来ないの?」と質っした。

 その時ハッとした。私はこの社員に苛立っているがこれは天地一切のものに感謝していないと。
 一事が万事でいと小さきものに対する態度は即ち吾にしたのであると聖書におけるキリスト教の教えにあるが自分に取って親とか妻でもない一般の人やそれ以外の動植物に対してもどういう心持ちかは大事でそれは神に対するものと同じだと言う事を実感した。一物一切物であり繰り返すが一事が万事であるからだ。

 だから、天地一切は即ちどんな自分に取って小さな存在であってもそれは神に通じるという事であり、それに対して腹を立てたり苛立つ心は神に対して腹を立てたり不安に思う心と同じなのだ。

PS
私はその後、その社員(女性のIさん)が休んだ社員(男性のIさん)の為の研修をその社員だけの為にわざわざ時間を割いてやる為にその部屋を使おうとした事を知った。私はこの女性のIさんに対しては計算高い功利的な女性という認識だったから彼女を見直した。私が天地一切のものに感謝する気持ちになったらIさんの実相が私に見えて来たという事だと思う。

堀 浩二
# by koujihori | 2016-12-20 13:45 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

生長の家を学ぶという事

 私はテニスをやっているがテクニック的な事で分かる時というのは相手と試合をしている時が多い。テクニックに関しては自分だけで考えたり本を読んだりしても迷いは深まるばかりで本当の事は到底分からないがテニスの仲間とかクラブとか対戦相手と試合している時に直感的に分かる。

 これは物事を学ぶ場合、自分一人の力では到底学ぶ事が出来ず、仲間とかきちんとした指導者の下でしか学ぶ事は到底出来ないという事だ。

 そこにはテニスならテニスの神様がいて、それがそこの指導者とか仲間との学び合いの中に現れてそうしたものを通して本当の事を教えてくれるという事だ。

 だから生長の家は本来の生長の家の組織で学び活動するという事がとても大事でそうした仲間や指導者と隔絶し、独りよがりの学びをしても道から外れるばかりだ。
 もちろん、生長の家を裏切った様な集団と接していれば悪い迷った集団とそれに相応の悪霊、迷った霊の惑わしを受ける事になってしまう。

堀 浩二
# by koujihori | 2016-12-19 09:12 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

思う事

 よく「生長の家は天地一切のものに感謝せよ」という教えなのに谷口家は兄弟喧嘩してるじゃないかという言辞を聞く。
 しかし、考えて見て欲しい。雅宣先生は正しい事をしているだけではないか。生長の家の法燈継承者として生長の家の運動を生長の家大神の導きのままに遂行しているだけである。
 先生の兄弟姉妹が勝手に生長の家を飛び出して道に外れた行いをしているだけではないか。それを兄弟喧嘩と言えるのか?

 裁判の問題にしろ雅宣先生は生長の家の運動を護る為に当たり前の事をしているだけである。

堀 浩二
# by koujihori | 2016-12-14 13:27 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)

非道な事をする人間を憎んだり非難してはならない。

 目の前に非道な事をやっている人間がいる。しかし、決してその人間を憎んではならない。それは自分の心が映っているのだから。
 翻って、相手の実相を祈るべし。そして現象的にやるべき事があれば粛々とやれば良いのである。非道な事の犠牲者を助けるとか。 


 相手を憎む心で非難しても決して相手は良化する事は無い。悪と認められたのであるから。そしてその非難の心はこちらに又蓄積され、将来、再び更なる悪の姿となって相手は現れるであろう。そして自分自身の神性もくらまされ、病気にもなるのである。

堀 浩二
# by koujihori | 2016-12-14 13:20 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

人類は必ず進歩する。

 世界は今、大変な危機的状況に陥っている様に見える。それは差別主義者、排外主義者のトランプがアメリカの大統領になり、イギリスがEUから脱退し、ヨーロッパでもフランスを始め極右政党が国民の支持を取り付け始めている。その大部分はヨーロッパへの難民が増えている事が原因だが。難民受入に否定的な国粋主義政党が支持を取り付ける訳だ。

 これは世界分断の流れであり、分断は敵対感情につながり、世界平和に取って非常に憂うべく状態になって来ていると思われる。
 そして吾が日本では稀代の悪政権が暴走を続けている。この政権は国粋主義をベースに国民一人一人の生命や権利や自由は二の次三の次。自分達既得権益者である支配層、それは自分達と大企業と官僚であるがこれさえ優遇されていれば良いのであり、これにマスコミが応援団に入って独裁国家を築くべく着々と手を打っている。

 本当に表面的現象を見ると絶望的であり、地球温暖化による環境破壊も伴って、これからは異常気象、食糧不足、資源争奪の為の戦争等々が頻発する危険性が拭えない。もちろん吾が日本も例外ではない。

 しかしながら希望の芽生えは世界のそこかしこに実は出て来ている。
 例えばベジタリアンがことにアメリカで微かながら増えて来たりしている現象やネットの動画などを見ると動物同士または人間と動物が仲良く戯れている映像などが目立って来ている。
 現在は肉食が世界的に盛んだがそれは動物を心を持っていない物質の様に思っているから出来る事でこれだけの動物に関する映像が出て来ているのは人類に動物も自分達同様心持った生き物であるという認識が拡がり始めている証左だと思う。
 
 またアメリカでは家畜の悲惨な飼育状況を改善すべく法律が制定される州なども少しずつ出て来ているのだそうだ。
 肉食が地球温暖化の原因の大半を占めているのだから肉食を控える人達が増えて来るというのは素晴らしい事だ。また難民の問題も実は温暖化による環境難民が多いのだから肉食を減らすという事は難民対策にもなる。

 またその他数えればいくらでもある。現在では病気はストレスが原因であると大方の人が認めているし、笑いが健康に良いという認識も大部拡がっている。また、現在の若者の多くは「有り難うございます。」を殆ど挨拶代わりに使っている。 
 これらは絶望的世界状況の中でも希望の光である。

 人類は原始時代から始まって進歩し続けている。
 それは自然科学の面だけではなくて政治形態においても王制や奴隷制など個人の権利と自由などまるで顧みられなかった時代から多くの失敗を経た後の教訓から憲政を生み出し、権力が暴走しない様にして個人の権利と自由を確保する様に進歩して来たのだ。
 
 そして、科学技術、政治、法律だけではなくて精神的自覚においても人類は進歩向上して行くと思われる。
 現在の唯物論を元にした金儲け主義、そこから派生する格差社会、難民問題、地下資源争奪による戦争危機、地球環境破壊、そしてまたそこから派生する排外主義、分断主義の時代を経て必ずや人類は霊的自覚を持ち、人類同士ばかりか人類以外の動物や植物と本当は魂レベルで一体であるという悟りを大部分の人類が得るほどに精神的に進歩すると思われる。
 
 それが本当の人類の進化であり、進歩である。人類が地球上に誕生して人類は全体的に原始的レベルから高尚なレベルまで長い年月を掛けて進歩して行くのは自明の事なのである。

堀 浩二
# by koujihori | 2016-12-13 13:22 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)

今ここ完全円満の実相世界である。

 実相が完全円満であるという事を悟るという事は理屈ではないのである。その悟りは絶対のものであり、それこそ実相そのものである。そして、それは今ここにあるのである。

 それは全く無畏怖である。過去の迷いの念の自壊作用もナイ世界である。それを自覚、悟るが故にその実相世界が今ここにありありと展開するのが実感されるのである。心を良くしなくてはならないなんて恐怖もナイ。ありありと完全円満が実感されるからである。

 そして世の中にはその事しか存在しないのである。それは理屈ではない。 

堀 浩二
# by koujihori | 2016-12-08 14:04 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

信仰や悟りは実生活の中で鍛えられる。

 信仰とか悟りというのはもうこれで良いという事は無い。「自分は神の子で完全円満であると悟った!」と思ってもその悟りは無限生長するのである。何故なら吾々の実相が無限であるからである。
 その悟りの無限生長は実生活の中で自分が作り出した問題により鍛えられる。その問題は必ずその時の自分に取って解決可能な問題しか出て来ない。だから安心して自信を持ってどんなに難題が出て来ても諦めず最後まで粘り強くそれにぶつかる事が肝要である。

 それにより自分の得た悟りも無限生長出来るのである。

堀 浩二
# by koujihori | 2016-12-07 10:35 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

脳の損傷による恐怖心は克服出来る。

 脳細胞が自分の本体ではない。自分の本体は霊なる神の生命であり、その働きにより潜在意識を変え、それが肉体である脳細胞を変える。

 だから記憶力も判断力もトレーニング次第で向上出来るのであり、ノイローゼとか不眠症は脳の損傷によるものであるがその脳細胞の損傷による不安、恐怖の心もトレーニング即ち完全円満、無限なる神を信じ、その神に全託する事の訓練により脳細胞を修復し、不安の心を解消する事が出来るのである。

堀 浩二
# by koujihori | 2016-12-07 10:21 | 信仰 | Trackback | Comments(0)