思う事

 よく「生長の家は天地一切のものに感謝せよ」という教えなのに谷口家は兄弟喧嘩してるじゃないかという言辞を聞く。
 しかし、考えて見て欲しい。雅宣先生は正しい事をしているだけではないか。生長の家の法燈継承者として生長の家の運動を生長の家大神の導きのままに遂行しているだけである。
 先生の兄弟姉妹が勝手に生長の家を飛び出して道に外れた行いをしているだけではないか。それを兄弟喧嘩と言えるのか?

 裁判の問題にしろ雅宣先生は生長の家の運動を護る為に当たり前の事をしているだけである。

堀 浩二
# by koujihori | 2016-12-14 13:27 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)

非道な事をする人間を憎んだり非難してはならない。

 目の前に非道な事をやっている人間がいる。しかし、決してその人間を憎んではならない。それは自分の心が映っているのだから。
 翻って、相手の実相を祈るべし。そして現象的にやるべき事があれば粛々とやれば良いのである。非道な事の犠牲者を助けるとか。 


 相手を憎む心で非難しても決して相手は良化する事は無い。悪と認められたのであるから。そしてその非難の心はこちらに又蓄積され、将来、再び更なる悪の姿となって相手は現れるであろう。そして自分自身の神性もくらまされ、病気にもなるのである。

堀 浩二
# by koujihori | 2016-12-14 13:20 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

人類は必ず進歩する。

 世界は今、大変な危機的状況に陥っている様に見える。それは差別主義者、排外主義者のトランプがアメリカの大統領になり、イギリスがEUから脱退し、ヨーロッパでもフランスを始め極右政党が国民の支持を取り付け始めている。その大部分はヨーロッパへの難民が増えている事が原因だが。難民受入に否定的な国粋主義政党が支持を取り付ける訳だ。

 これは世界分断の流れであり、分断は敵対感情につながり、世界平和に取って非常に憂うべく状態になって来ていると思われる。
 そして吾が日本では稀代の悪政権が暴走を続けている。この政権は国粋主義をベースに国民一人一人の生命や権利や自由は二の次三の次。自分達既得権益者である支配層、それは自分達と大企業と官僚であるがこれさえ優遇されていれば良いのであり、これにマスコミが応援団に入って独裁国家を築くべく着々と手を打っている。

 本当に表面的現象を見ると絶望的であり、地球温暖化による環境破壊も伴って、これからは異常気象、食糧不足、資源争奪の為の戦争等々が頻発する危険性が拭えない。もちろん吾が日本も例外ではない。

 しかしながら希望の芽生えは世界のそこかしこに実は出て来ている。
 例えばベジタリアンがことにアメリカで微かながら増えて来たりしている現象やネットの動画などを見ると動物同士または人間と動物が仲良く戯れている映像などが目立って来ている。
 現在は肉食が世界的に盛んだがそれは動物を心を持っていない物質の様に思っているから出来る事でこれだけの動物に関する映像が出て来ているのは人類に動物も自分達同様心持った生き物であるという認識が拡がり始めている証左だと思う。
 
 またアメリカでは家畜の悲惨な飼育状況を改善すべく法律が制定される州なども少しずつ出て来ているのだそうだ。
 肉食が地球温暖化の原因の大半を占めているのだから肉食を控える人達が増えて来るというのは素晴らしい事だ。また難民の問題も実は温暖化による環境難民が多いのだから肉食を減らすという事は難民対策にもなる。

 またその他数えればいくらでもある。現在では病気はストレスが原因であると大方の人が認めているし、笑いが健康に良いという認識も大部拡がっている。また、現在の若者の多くは「有り難うございます。」を殆ど挨拶代わりに使っている。 
 これらは絶望的世界状況の中でも希望の光である。

 人類は原始時代から始まって進歩し続けている。
 それは自然科学の面だけではなくて政治形態においても王制や奴隷制など個人の権利と自由などまるで顧みられなかった時代から多くの失敗を経た後の教訓から憲政を生み出し、権力が暴走しない様にして個人の権利と自由を確保する様に進歩して来たのだ。
 
 そして、科学技術、政治、法律だけではなくて精神的自覚においても人類は進歩向上して行くと思われる。
 現在の唯物論を元にした金儲け主義、そこから派生する格差社会、難民問題、地下資源争奪による戦争危機、地球環境破壊、そしてまたそこから派生する排外主義、分断主義の時代を経て必ずや人類は霊的自覚を持ち、人類同士ばかりか人類以外の動物や植物と本当は魂レベルで一体であるという悟りを大部分の人類が得るほどに精神的に進歩すると思われる。
 
 それが本当の人類の進化であり、進歩である。人類が地球上に誕生して人類は全体的に原始的レベルから高尚なレベルまで長い年月を掛けて進歩して行くのは自明の事なのである。

堀 浩二
# by koujihori | 2016-12-13 13:22 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)

今ここ完全円満の実相世界である。

 実相が完全円満であるという事を悟るという事は理屈ではないのである。その悟りは絶対のものであり、それこそ実相そのものである。そして、それは今ここにあるのである。

 それは全く無畏怖である。過去の迷いの念の自壊作用もナイ世界である。それを自覚、悟るが故にその実相世界が今ここにありありと展開するのが実感されるのである。心を良くしなくてはならないなんて恐怖もナイ。ありありと完全円満が実感されるからである。

 そして世の中にはその事しか存在しないのである。それは理屈ではない。 

堀 浩二
# by koujihori | 2016-12-08 14:04 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

信仰や悟りは実生活の中で鍛えられる。

 信仰とか悟りというのはもうこれで良いという事は無い。「自分は神の子で完全円満であると悟った!」と思ってもその悟りは無限生長するのである。何故なら吾々の実相が無限であるからである。
 その悟りの無限生長は実生活の中で自分が作り出した問題により鍛えられる。その問題は必ずその時の自分に取って解決可能な問題しか出て来ない。だから安心して自信を持ってどんなに難題が出て来ても諦めず最後まで粘り強くそれにぶつかる事が肝要である。

 それにより自分の得た悟りも無限生長出来るのである。

堀 浩二
# by koujihori | 2016-12-07 10:35 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

脳の損傷による恐怖心は克服出来る。

 脳細胞が自分の本体ではない。自分の本体は霊なる神の生命であり、その働きにより潜在意識を変え、それが肉体である脳細胞を変える。

 だから記憶力も判断力もトレーニング次第で向上出来るのであり、ノイローゼとか不眠症は脳の損傷によるものであるがその脳細胞の損傷による不安、恐怖の心もトレーニング即ち完全円満、無限なる神を信じ、その神に全託する事の訓練により脳細胞を修復し、不安の心を解消する事が出来るのである。

堀 浩二
# by koujihori | 2016-12-07 10:21 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

自壊作用はナイ!

私が生長の家の宇治の道場の練成会に初めて参加した時の事である。榎本恵吾先生が主宰した座談会の時にある参加者がこう言った。
 「私は今、自壊作用の最中なんです。」と
 そうしたら先生はすかさず
 「皆さん、あんまり自壊作用に引っ掛からない方が良いですよ。」とご指導された。

 自壊作用というのは過去の自分の心持ちに間違いや迷いがあった場合、それが後から肉体の病気などに出て来て、それは過去の迷いが消える所謂自壊作用であるから良い事だという教えが生長の家にある。
 そうするとなまじ生長の家をかじっている人は現在、調子が悪いと「ああ、これは自分の過去の迷いの自壊作用なんだから」と思い、そして「だから今は力が発揮出来ない。調子が悪い。でもこれから心を浄める事によりこれから徐々に良くなる。」と何となくこう思ってしまっているのである。

 これは現象にとらわれているのである。実相以外に病念と病念の結果である具合を悪い肉体を認め、「今はまだ駄目だ。」と思う。これこそ現象にとらわれ、身動きが取れなくなってしまっている。

 今、実相独在であり、今完全円満である。今出来るのである。自壊作用はナイと一刀両断にしなければ永遠に立ち上がる事は出来ない。永遠に悦ぶ事は出来ないのである。
 
 それが雅春先生が悟られた「今立て!」という事である。先生はそれまでは実相は完全円満でも現象はまだ過去の自分の迷いの念が残っているから貧しい、財力が無いと思って生長の家を始める勇気が出なかったとお書きになっている。
 しかし、神から「今力は与えてある。今財力は与えてある。今立て!」と促され、その自覚の通り、現象的にはまだ弱い肉体、貧しい経済状態であったのにかかわらず立ち上がり、断固として「生長の家」誌一千部を発行し、そして生長の家が始まったのである。
 雅春先生が「まだ今は自壊作用で駄目でございます。」なんて自覚だったら永遠に生長の家は始まる事は無かった。

堀 浩二
# by koujihori | 2016-12-06 14:06 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

実相は自分で出て来る。

 余りにも嬉しい事なので書く。私は今までの身体の不調、衰え、運の悪さ、そして周囲からの冷遇の原因が分かり、それらを克服しつつある。

 それは一言で言って私がものごとの良い面を見ないで悪い面を見てそれを批判又は良くしようと心でつかんでいたからである。

 そうした性向は恐怖心を生み、取り越し苦労となり、脳髄を痛め続けていた。それが反射神経の衰えや記憶力、判断力の低下につながり、かつヒステリーをも引き起こしていた。そして、常に悩みは尽きる事無く心配と取り越し苦労は更に増していた。
 そうした心の暗さが運命を悪くし、周囲ことに目上のものからの冷遇につながっていたのだ。そして自分に自信が無いものだから嫉妬心が異常に強かった。

 私はかつて20年前にそれが原因で不眠症になり、ノイローゼにもなった事があるが生長の家の宇治の練成道場で榎本恵吾先生の薫陶で救われたが根本的な人間神の子の自覚は得る事が出来たがそれが普段の自分の心の向け方には完全に出ていなかったのである。
 それがある素晴らしい観世音菩薩の出現により自分の心の間違いを悟る事が出来た。今年の二月の事である。それがきっかけとなって私は真理で周囲ことに目上の者を批判する事を止め、その奥の完全円満の実相を観る事にし、かつものごとの光明面を見る習慣、トレーニングをやる様になった。

 それにより私の絶える事の無かった悩む心、取り越し苦労する心が消え、傷めていた脳神経は再生し、人を批判したり憤る心が消え、運命も改善し、かつ反射神経、運動能力も蘇って来た。

 実相は自分で出て来る。私の中の実相独在の自覚という実相が自分で出て来てより一層顕現して来たのである。

堀 浩二 
# by koujihori | 2016-12-05 14:14 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

悩む心は日時計主義で消える。

 悩みというのは尽きないものである。それは色々と形を変えて続く。で悩みの対象が変わると以前はどうしてあんな事で悩んでいたのか不思議なのである。それはとりもなおさず悩む具体的な対象というのは本来存在せず、ただ自分の悩む心がつかんでいただけなのである。誠にもこの現象世界は心の影である。

 要するに悩みというのは具体的に実在するものではなく自分の悩む心が映し出しているのに過ぎないのである。だから悩む心を自分が抱いている限りは悩む対象は次々と形を変えても悩みとか不安とか恐怖というのは続いて行く。そしてそれが高じたのがノイローゼである。ノイローゼは脳の病気である。悩む心により脳にストレスが刻まれ、脳の組織に損傷を生じ、そして不安と恐怖でさいなまれ、眠る事も出来ない。それが精神病でありノイローゼである。

 ところで悩みについてこんな仏教の話がある。それは家が狭い狭いと文句を言っている男がいたという話である。そして近所の寺のお坊さんに相談した。そうしたらお坊さんはその男に「お前が飼っている牛と馬を家の中で飼え。」と指示した。それでその男はただでさえ狭い家なのに牛とか馬を入れたら更に狭くなると不満に思ったがともかくその指示通りにしたのである。 
 そして一週間ほどしてそのお坊さんがもう元通り牛と馬を納屋に返して良いというので男は元に戻した。そうしたら元々狭いと思っていた家が何と広々とした家であったかと分かったというのである。
 これは悩みの種なんて存在せず、その男の悩む心のみが存在するという事の仏教の例え話である。

 さて、生長の家の信仰は実相独在であり、その真髄は今ここそのまま実相世界であるという事であるがそれが現象世界に具体的に展開する為にはその実相独在の悟りに基づいて具体的に生活の中でその悟りが訓練されて行かなくてはならない。その訓練が所謂日時計主義の生き方、トレーニングである。それは日常生活の中で具体的に良き事のみを見つめ、讃嘆し感謝して行く生き方でありそれは自分で意識して心掛けて行かなくてはならないのである。そしてそれが訓練となり潜在意識に善き事、嬉しい事、感謝が満たされて行く様になれば悩みなどは消えてしまう。どんな境遇に立たされても常に感謝に心が満たされ、悩みとか不安とかとはまるで縁のない境涯に至る。所謂無畏怖の境涯である。

 もし、心が悩みに満たされて脳細胞が損傷しそれによりノイローゼになっている人がいたとしてもこの日時計主義で日常良い事のみ見つめ感謝して行く習慣を身につけて行くならば破壊された脳細胞は修復され、ノイローゼ、精神病も回復するのである。 

堀 浩二
# by koujihori | 2016-12-01 09:10 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

良い事をするだけでは駄目。完全円満の世界を観よ。

 良い事をするのは人間として基本だけれどもそれだけだと限界がある。更に大事な事は「今、そのままで既に完全円満の実相世界が現象の奥に存在しているという事を悟る。」事である。そして現象はその実相を悟らずに観ずに現象の悪を見て相手を批判する自分の心が作り上げた幻影であるという事を悟らなくてはならない。

 そうでないとただ善にとらわれただけの心の狭い人間となり、悪事を為している人間を決して赦す事が出来ないからだ。相手を赦さない心は神と波長が合う事はなく、神からの救いの念波を受ける事が出来ず、自分の心が病気になり、精神または肉体の病気になる。そして家族は不幸になるのである。

堀 浩二
# by koujihori | 2016-11-30 12:27 | 信仰 | Trackback | Comments(0)