対人恐怖症は人を悪く思う心があるから

 対人恐怖症というのがあるがこれは相手の完全円満の実相を拝んでいないからそうなる。これは本来は病気ではない。(そういう意味なら全ての病気は本来存在しない。それは全て心の迷いの反映に過ぎない。)

 相手を悪く思う。その心が度重なって潜在意識に溜まる。その心は恐怖心となるのである。それが対人恐怖症である。だから相手を神の子で良い人なんだと思う事が大事でそれを積み重ねれば対人恐怖は消える。

堀 浩二 
# by koujihori | 2016-10-13 10:13 | 潜在能力 | Trackback | Comments(0)

真の生き甲斐とは

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 ものごとの、人間の価値とは何だろうか?地位か?名誉か?金儲けか?支配欲を満たす事か?
 そうではあるまい。地位や名誉や金や権力は無くてもこの世に真の価値を創出し、それをして世に貢献する事だ。それも自分で無くてはならない才能と方法で。
 人間は神からそれぞれその人でなくてはならない力と個性を与えられている。それを内側に見いだし、それを掘り出し、花開かせれば良いのである。
 そしてそれで真に他の人から悦ばれる。その時、最高の法悦と生き甲斐を見いだすであろう。地位は無くても一部の人からバカにされてもそれで良いと自己の魂が満足するはずである。

堀 浩二

※写真は私の作品「ひだまり」
# by koujihori | 2016-10-12 20:45 | 芸術 | Trackback | Comments(0)

実相は自分で出て来るがそれは全力であり真摯そのものである。

 実相は自分で出て来る。私はここ半年それを正に実感している。
 実相が自分で出て来るというのは自分は何もせずにのんべんだらりとしているという訳ではない。必死の全力の努力を傾注する事でもある。しかし、それは我(が)ではなくて自分の中の神が神して為される事である。だからそれは神への全託であり、神への絶対帰依であり、神への満腔の感謝である。

 生長の家の生き方は誠に素晴らしい。しかし、それは我(が)ではなくて自分の中の神が神して行うのである。その差は非常に微妙だが天と地ほどの差がある。そうなる為にはどうしたら良いかと言ったらそれはいずれ誰でもそうなる。実相は自分で出て来るからである。

 それはともかく私は生長の家講習会の推進で今まで如何に自分が人の実相を拝んでいなかったを痛感した。
 私の鎌倉相愛会の参加者目標数は20名である。前回の参加者が15名であり、それに対して5名のプラスである。しかし、目標を立てた以上はそれを達成すべく全力にならざるを得ない。私は教区相愛会連合会で副連合会長でもあるので立場上みっともない事は出来ない。

 それで一所懸命になった。講習会は11月13日であるから半年ほど前から参加促進を始めたがこれがいっこうにうだつが上がらない。この人は行ってくれると目星を付けていた人が様々な理由で次々と駄目になって行く。本当に焦った。
 そして先月に教区の練成会を一日だけ受講したがその際、白鳩会の女性が講習会の推進体験談をしていたのを聞いた。その女性Kさんは先祖供養の霊牌を毎月書いて教区で供養してもらう事と参加対象者を如意宝珠観で一人一人祝福する事と日時計日記で既に参加者目標突破を書いている事をせっせとやっていたら自己限定観が取れて推進のパワーが出て来て、実際既に参加者目標100名を達成したというのだ。

 私はと言うと祈りながら推進するというのは昔から聞いていたが実行した事は殆ど無い。ただ行ってくれそうな人にだけ声を掛けて行ってもらうという推進しかして来なかった。そんなやり方で毎回少しずつ行ってくれる人が少なくなって来ていたのだ。
 それは私が人を責め裁く心であったからだ。うちの鎌倉地区でも「あの人は駄目だ。この人も見込みが無い。」と心で裁いて勝手に排除していたのだ。そんなこんなでそういう人はもちろん、行ってくれると思った人も次々と脱落して行ったのだ。
 私ははたと悟った。私の鎌倉地区で会員が少ないのも誌友会の参加者が少ないのも講習会の参加者が少ないのも全て私の人の悪を見て責め裁く心が原因であったと。

 そして、私は大懺悔し、今までの心を改め、人の良い所、実相をひたすら観る事を決意した。現象的に如何なる意地悪に卑怯に悪く不完全に見えようともそんなものは全て自分の心の影でありその奥にその人の完全円満の実相があるという事を直視する決意をし、それを断行して行ったのである。
 そして如意宝珠観で参加促進対象者の実相を祝福する祈りを二週間ほど前から始めた。そしてもちろん参加促進の努力も最大限にしているがその中で今まで何度家庭訪問しても会えず、もうこの人は駄目だなと思っていたH氏(56)にも会え、受講券を渡す事が出来、またこちらから何度電話しても出なかったA氏、そのA氏からも電話があり、講習会の参加確約をしてくれた。
 私が彼らの実相を拝んで祝福する祈りをする様になったらそういう変化が現実にも出て来たのである。

 それはともかく私として一大自己変革が出来、人を責める心ではなくて人の実相を拝み、感謝する心になれた事が非常に大きい。これはいくら感謝しても仕切れない事である。
 私の「他の人を拝み感謝する」という実相が出て来たのである。これは実相が自分で出て来たのだ。

堀 浩二


# by koujihori | 2016-09-30 16:27 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

生長の家の人はもっとネットで生長の家の信仰している悦びとか素晴らしさを拡散しよう。

 取引先の営業の女の子に講習会のお誘いをしたらその子、その場でネットで生長の家を調べてる様子だった。

 それで後から私も「生長の家」のキーワードで検索したら一番上にヒットしたのは生長の家公式ホームページ。そして次はウィキペディア(何故か生長の家は今削除対象にするか議論中との事。例の日本会議の事があるからか?)の生長の家。

 そこまでは良かった。そして三番目は「生長の家ってどんな教え?」というもの。これは雅宣先生の最近の御著書の事かと思ったらそうではない。yahoo知恵袋の事で質問者が生長の家はどんな教えですか?という質問をしていてベストアンサーに選ばれたのが何と「生長の家とは人間は神様の奴隷に過ぎないという教えです。甘露の法雨というお経にそう書いてあります。」とあった。
 私はびっくりしてしまった。こんなものが生長の家のキーワードで上位三番目に出て来るのです。そしてその他を見ても
「生長の家は創立者の家系継承が上手く行ってない例の一つ」とか「会員は本を沢山買わされ、余った分は他人のポストに投げ込む」とか「オウム真理教騒動の時に政治活動から手を引いた」とか間違った無茶苦茶な事が書いてある。これはいずれも上位でヒットするサイトだ。

 だから何も知らない人が生長の家ってどんなものだろうと思ってネットで調べると誤解に基づいたものすごい悪い印象を植え付けられてしまうという事になると思う。

 どうしてこんな事になるのか?別派が操作しているのか?とも思うがそうでもないと思う。私は人は良い事は滅多に発言しないが悪い事、批判中傷なら実に積極的に発言する性質があるからだと思う。
 要するに善人は黙っているのが多いが悪人は積極的に悪い言葉を出していく。そして世の中に拡散されていく。

 これは正に人類暗黒化運動であり、そもそも生長の家はそれを打ち消す為に生長の家誌を大量に世の中に出して言葉を光明化するという文書伝道が主体だったはずだ。それが今やネットでは暗黒の言葉の方が勝っている。

 私は生長の家の人はもっと積極的に光の言葉を出して行くべくどんどんブログとかホームページとかFBでも今以上に発言して行くべきだと思う。そうでないと生長の家が一般の人に対する印象が悪くなってしまうと思う。

PS それと共にネットに余りにも頼りすぎるのも良くない。ネットは玉石混淆であり良い物正しい情報もあれば逆の情報もいくらでもあるからだ。だから、もっと自分の身近な人に生で会って伝道するという姿勢をネットと平行して進めて行かなくてはならないでしょう。そして自分が生長の家の見本として周囲に示せば生長の家を信頼してもらえると思います。

ps どうもある情報によるとyahoo知恵袋のひどい生長の家評は自民党のネット工作員によるものらしい。というのはこれが出て来たのがここ数ヶ月の事だからだ。それは生長の家が明確に自民党不支持を打ち出した時期と重なる。
 私はさもありなんだと思う。

堀 浩二


# by koujihori | 2016-09-16 09:27 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)

生長の家を信仰するという事

 人は何か病気とかで困り果てて生長の家の信仰をする様になる。しかし、生長の家の悟りを得るというのは容易な事ではない。生長の家をやる様になって病気が治ったりするのはその人が悟ったからではなくて、神がその人が病気が治った事がきっかけでその後、人類光明化運動を一所懸命やるようになると見定めて神通力で治して下さる場合がある。
 又、治らない場合もある。いずれにせよ、病気等で生長の家の信仰に入るのはその病気がきっかけで真剣に生長の家の信仰に入るのだから魂の面から見て素晴らしい事である。その中で病気が治らなくて霊界に行く様な事があっても信仰したり修行した事は無駄にはならない。その過程は来世以降で生長の家の悟りを得られる基盤ともになるのである。

堀 浩二

# by koujihori | 2016-09-15 09:49 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

迷いは必ず自壊する。

 先日、生長の家総裁谷口雅宣先生も話されていたが現在、世界中で右翼化というか孤立化、対外排除というか国家主義が盛んになり、そうした政治家の支持率が上がって来ている。
 イギリスのEU離脱、トランプの様な過激な排外主義者、そして日本の安倍政権と。

 それは一人一人の存在がバラバラで孤立化しているという唯物論というか迷いの現れであり、その事が自分の国さえ良ければという国家主義、それに伴う排外主義につながり、他民族蔑視、他宗教否定ことにトランプ氏などのようなイスラム教徒排除思想になっている。
 これは世界的傾向であり、現在の安倍政権もその一つであると言えると思う。安倍政権はご存知のように憲法違反の安保法案でアメリカと同盟して仮想敵国を明らかに中国としてそれをASEAN諸国と囲い込みに入ろうとしている。これは明らかに中国、北朝鮮を悪と決めつけてそれに対しての戦争準備の心である。

 そしてその安倍政権の思想的背後にあるのが日本会議であり、それは生長の家別派でもある。それは生長の家の運動の中心である生長の家大神-生長の家総裁-御教えに中心帰一出来ず、以前の生長の家の運動の中で述べられた文章や言辞にとらわれた原理主義であり、その文章のみが正しいと固執しているのであるからその奥の久遠の生命が分からず従って全ての正しい宗教の奥にある無形の真理が分からないから万教帰一が分からず、それが排外主義であり、唯物論である。
 要するに生長の家別派即ち生長の家原理主義者は唯物論であり、それが日本会議であり、その思想で動いているのが現在の自民党政権、安倍政権である。

 この流れは現在、表面的に隆盛を誇っている。選挙では先ず負けないし、心ある人の心、運動はその大勢の流れの前には無力にも見える。

 だが決して絶望的な状況ではない。それはやはり雅宣先生が指導される対称性、非対称性の問題に帰する。
 対称性というのは自他一体の考えであり、それは霊的な思想、全ては神において一体であるという考え方であり、非対称性というのはその真逆であり、それぞれの存在はバラバラであり、自分以外のものは自分ではない。だからこれを敵として排除する、駆逐するという思想であり、それが正に今の安倍政権そして世界の流れであり、それは又都市化にもつながりひいてはそれが環境破壊、地球温暖化につながっている。安倍政権になってから温暖化防止の為に省エネをしようという声が一切聞かれなくなったのはその為である。
 それに対して雅宣先生というか生長の家は対称性の論理を重んじ、全ては神において自他一体という思想の元、環境保護、地球温暖化の運動を大々的に行っている。そして対称性の論理の「結び」という事を強調し、総本山の龍宮住吉本宮でもそれまでの住吉大神の他に天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神近の三神をお迎えした。
 そして非対称性の論理の権化である安倍政権を明確に否定する方針も打ち出した。

 これらの運動は皆、ムスビの運動の展開であり、対称性の論理の現実化である。

 迷いは必ず自壊する。真理は必ず実現する。実相は必ず顕現する。現在、世界的に非対称性の論理で排外的な右翼的な現象が起きているがそれは迷いが自壊する直前の姿であり、だからこそ表面的に隆盛を誇っているかの様に見えるのであり、それは時が経てば必ず滅び去る。
 そして、生長の家の唱えるムスビの運動がこれからいよいよ本格的に出て来る。

 雅宣先生もそこの所を見越して、参院選で衆参2/3と獲られてもその背後に生長の家原理主義者達がいても泰然自若としておられるのではないか?それが週刊誌のインタビューでの「彼ら(原理主義者達)は自壊する。」のお言葉になっているのではないかと思う。

堀 浩二


# by koujihori | 2016-08-31 10:04 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)

現在の自民党の経済政策とは?

 好景気の方が不況より良いに決まっている。しかし、現政権の経済に重きを置く政策というのは経団連の利益に供するものであり、かつ人々に大量消費、大量投棄を促すものであり、それは自然破壊につながり温室効果ガスを大量に排出するものである。

 現在のアベノミクスなる経済至上主義は大企業の寄与するものであり、それは自然破壊、地球温暖化につながる。そして大企業のみが儲けに預かり、これらは非正規労働者を安価で雇用して事業を運営している。この経済構造は大企業のエリートサラリーマンのみがその恩恵を享受し、大多数の庶民は搾取され、かつ自然破壊が進む構造なのである。

 だから自民党の推し進めるアベノミクスなどは本当の意味で庶民の生活向上にはつながっていない。ますます都市化を進め、地方の過疎化を促進させ、経済格差を広げ、経済困窮者、それに伴う結婚率の低下、出生率の低下につながる亡国の政策なのである。

堀 浩二


# by koujihori | 2016-08-26 08:51 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)

人間は肉体ではない。

 年齢的にここ数年色々な人の葬儀と火葬場に臨む事が多い。自分の父母、家内の父母、叔父叔母等々。
 火葬が済んで骨を拾う際、火葬場の人が
「これがのど仏でございます。」と必ず言う。何かのど仏に意味があるのか?と思う。で生前入れていた人工関節だとか人工骨なんかも顕わになって
「これはどう致しますか?」なんて火葬場の人に聞かれる。

 こう思うと人間の肉体なんてはかないものだなと改めて思う。最後はこんな灰になって小さい骨壺に入れられるのかと。

 そうなると生前如何に地位とか名誉とか強健な肉体を持っていたとしても最後はこんな風になってしまうという事だと人生が空しくなるだろう。そしてどうせ灰になるんだから生きてる内は出来るだけずるをしてワルをして人から奪い金儲けをして肉体的快楽をむさぼった方が良いなんて考えも出て来ると思う。

 しかし、これでは道徳地に落ち世の中は乱れかつ個人的にも人生に本当の意義を見出す事は出来ないだろう。また、そうした間違った人生観で悪い事ばかりしておれば悪業を積み重ねる事になる。

 人生は肉体が死んで終わりではない。人間は肉体ではなくて肉体を肉体の形に配列させている理念が人間の本体である。それは死んでも死なず肉体死後も永遠に生き通す。その理念の表現が肉体であり、肉体が失われた後はその表現は霊体として霊界でその表現活動をする。そして何回も生まれ変わり色々と学ぶ中でその内側の理念として存在する無限の可能性を徐々に表現して行く。
 それが人生である。そうなると人生に生き甲斐が出て出来るだけ人格と能力を高めようと努力し、その中から立派な生き方も出て来るし社会的な道徳も保たれて行くだろう。

堀 浩二
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# by koujihori | 2016-08-18 09:42 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

嫉妬について

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 伊調馨がオリンピック四連覇という前人未踏の偉業を達成した。またその他にも女子レスリングは二つの金メダルを取り、吉田沙保里はこれからだ。

 ところでこの吉田、霊長類最強女子と言われているらしいがとにかく強い。で、ことに外国人で可愛い顔をしてる選手には俄然燃えるのだそうだ。だから強いのか。

 要するに可愛い顔をしている相手には「この野郎絶対負けるか!」と思うのだろう。これは要するに嫉妬だ。
 こんな一流選手も嫉妬があるのだなと思った。

 人間というのは嫉妬の強い生き物だと思う。嫉妬はおんなへんを書くが男の嫉妬もすさまじい。特に会社とかの組織で出世競争に負けたりすると顕著に出て来ると思う。私はこの嫉妬が大嫌いだ。自分が嫉妬するのもされるのもとても嫌だ。


 そもそも嫉妬というのは相手が自分より美しいとか豊かだとか優秀だとか思うと出て来る。だから自分に絶対の自信を持っていれば他人に嫉妬しなくて済む。
 そもそも人間は皆自分の中に無限を持っている。みんな無限を持っているという事はその無限は共通のパイがあるという事でこれを神と言う。その全宇宙に拡がる無限の神を共通項として色々な個性ある表現がされる。それがそれぞれの人間であり、地球には70億人いる。神は無限であるからその表現も無限であり、地球には70億もの異なる個性ある表現としてそれぞれの人間が存在する。

 それを自覚すれば他人に嫉妬などしなくてよい。それぞれが神を通して命の兄弟として拝み合いかつ自分と異なる個性を表現している相手を讃嘆出来るというもの。

 そうした心境に高め上げてくれるのが宗教の本来の目的だろう。

堀 浩二

 
# by koujihori | 2016-08-18 09:14 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

内なる無限を掘り当てる。

 私はテニスに関してある程度の上達はしたと思う。サービスの技がほぼ完成し、どうやったら得点出来るのかの肝もつかんだ。

 私は15年前に近くのテニスクラブに入り時間を見つけて出来るだけコートでゲームをしている。また毎朝素振りを欠かさない。
 間違った反復練習をその中でしていた事もあるがこうした努力と訓練と研究は決して無駄になっていないと思う。

 大体、努力とか訓練とか研究というのはどこから来るかと言ったら吾々の中にある無限から来る。無限の力や才能が表現したがっている。その力が練習とか研究となって出て来る。
 その中から内側の本物の才能や力が表面に出て来る。それは逆に考えれば内側に無限の宝があるのを掘り当てる作業とも言える。それが研究であり訓練だ。それらが例え間違ったものであってもそれは内なる宝を掘り続ける作業である。そして掘り当てたらそれが上達という訳だ。

 反復練習というのはそれをする事により潜在意識にその動作を刻印する事で自動的にスムースに練習した事が出来て行く事でこれは何かの道に志すものは必ずしなくてはならない。それをする事により内側の宝が顕在化する。しかし、間違ったやり方で反復練習すると間違った動作を憶えてしまう事にもなる。だがそれもやはり、内側の宝を掘り当てる作業なので決して無駄にはならない。
 
 要するにこうやると上手くいかないという経験を得るという事でそれも上達の一歩と言える。

堀 浩二
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# by koujihori | 2016-08-17 12:45 | 潜在能力 | Trackback | Comments(0)