実相は最も良いタイミングで出て来る。

 実相が何時出て来るかは神様にお任せせよ。まだ実相が出て来ないのは出て来ない方が自分の魂の生長の為に良いからである。実相は自己にとって最も良いタイミングとシチュエーションで出て来る。

堀 浩二

# by koujihori | 2018-10-12 14:53 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

本当の救いは今そのままでここがそのまま完全円満の神の国であると悟る事である。

 本当の救いは現象的な病気が治る治らないではない。今このままでここが神の国であり完全に神に生かされ実相は自分で出て来ると悟る事である。

 そして現象は心の影であるから完全円満の実相を悟れば必ずそれが現象として見えて来る。現れて来る。不完全が見えているのは自分の悟りがまだ出て来ていないのである。

堀 浩二


# by koujihori | 2018-10-12 14:52 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

全ての不幸は必ず消える。

d0022373_11061301.jpg
 僕は現象は心の影ってよく書くけどそれは自分が他に与えた事は必ずそのままそっくり自分に帰って来るという事の裏返しなんです。悪い事をすれば悪い事が帰って来る。良い事をすれば良い事が帰って来る。この世界は完全な帳尻あわせの世界でありちょっとの誤魔化しも無い世界なんです。それは人間は肉体じゃなくて肉体の奥の魂だから肉体が死んだ後も霊界や次の生まれ変わりもあるから現世で行った事は死んだ後霊界とか次の生まれ変わりで出て来る。

 ともかく良い事をすれば必ず良い事があるから努力とか研究は絶対に無駄にならない。
 原因結果の法則というのがあってある現象それをある結果としますがそれに至るまでには必ずその原因がある。病気という結果一つにしてもそれは必ず原因がある。それはストレスというものでストレスが病気の原因であるという事は最近の医学でも広く認められて来ていますね。でもストレスだけでは病気にならない。そこに縁というものが必要になる。それは植物の種だけでは発芽しないのと同じ。そこに日光とか水などの縁があってそこで初めて発芽という結果が出て来る。
 
 そういう原因結果の法則、そして自分が与えたものは必ず自分に帰って来るという事これを動反動の法則と言いますがこれは完全に何の誤魔化しも無く適応される。そうでなくてはならないという理念は誰にもあるはずです。あいつはあんなズルして悪い事してそれであんなに楽しそうに栄えているのはけしからん!という思いは誰にもある。それはみんな心の奥でこの原因結果の法則、動反動の法則というものを信じているからです。

 で、そういう心の法則が成り立つ為にはこの世界が物質という具体的実在で成り立っている世界ではなくて実は吾々人間の心が造り出した世界言うなれば心の影にすぎないという事にどうしてもなる。この世界が物質という実在で成り立っている世界であるならばどんなに悪い事してズルしてもやったもん勝ちという事になる。だからどんどんやれという事になる。でも心で造る世界であり本当には実在しない世界だからこそ自分が他に与えた事が自分に百%返って来るという事になるのです。
 それは映画「destiny鎌倉ものがたり」で安藤ユキ演じる死に神が堺雅人演じる主人公に言った「黄泉の国はそれを見る人の心通りの世界を映し出す。地獄というのもあれは罪人の罪の意識が造り出したものだ。」という言葉に如実に表現されていると思います。

 だから今現れている現実の不幸など本当の実在ではなくて過去の自分の心の影に過ぎないものであるからこそそんなもの「何とかしよう」とかつかまないでそのままにして放っておけばその内消えるという事になるのです。
 それがブルース・リーが生前、アメリカでの人種差別に苦しんで居た友人のターキー木村宛ての手紙に書いた「全ての現象は水の如く流しておけばやがて消えるものだ。」という言葉に現れている。ターキー木村はこれに勇気を得てその後人生の成功者になっている。

堀 浩二


# by koujihori | 2018-10-11 11:12 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

今そのままで既に完全円満である。これから我(が)で良くするのではない。

 榎本恵吾先生はかつて生長の家の宇治別格本山で開かれた練成会での座談会の際、参加者が
「私は今、病気の自壊作用中でして」と発言したのに対し
「皆さん、自壊作用にあんまりとらわれない方が良いですよ。」とご指導された。

 現象が良くなる事を求めるな。現象が良くなってから悦ぼうとするな。現象はナイ、過去の心の残像に過ぎないと教えられている。今そのままでここがそのまま神の国であり、自分は神そのもの完全円満そのものなのである。その事を今悦べ。

堀 浩二

# by koujihori | 2018-10-10 15:10 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

生長の家の生き方は実相が自分で出て来る事により本当に出来る。

 生長の家の生き方ってあるでしょう?人の良い所を見る、明るい表情する、今に集中する等々。

 でもこれ中々難しい面もありますね。僕は今に集中するっていう事、取り越し苦労しないって事が大切と分かっていながら中々出来ませんでした。しようと思っても気が付くと出来て無い。

これは我(が)がやろうとしているからなんです。全ての働き、これは祈りもそうですがそれはどこに原因があり何が主体となってされると思いますか?それは神なんです。神以外に一切、行動の主体は無い。実相独在ですから。

 実相は無限の躍動であり無限生長ですからじっとしていない。表現を自ら欲し自ら表現するのです。それが実相顕現であり、それこそが実相が自分で出て来るという事なんです。

 でも我(が)がせっせと励んで色々行動する時期もあって良い。でもその中でそれが我(が)であったと分かる。それは実相が自分で分かるというか、実相が自分で出て来たからこそ分かるんです。そして実相が実相する実相顕現、本物の実相顕現が出て来る。

 だから如何なる事があろうともこの世界は実相と実相が自分で出て来る事しかない。悦ぶ事しかないって事なんです。

堀 浩二


# by koujihori | 2018-10-05 10:30 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

今悦んでよい。

 人生は今悦べるのである。罪の精算に明け暮れ潜在意識を浄める事に励み続けなくて良いのである。現象的に見れば吾々は数え切れない生まれ変わりをして数え切れない程の人生を送りその中で無数の罪を犯して来ているはずである。
 それを一つ一つ清算して浄めて行かなくてはならないなんて事になったら永遠の時間が掛かるだろう。

 生長の家の信仰は実相独在であり今ここ実相世界であり自分は今神であり完全円満であるというものである。それにまっしぐらに突き進むのが生長の家でありその事は「続々甘露の法雨」にも強調してある。

 罪を清算しなくてはならない云々の思想は我(が)から来る。我(が)の世界の実在を認め、我(が)による罪の集積の悪業の存在を認め、その悪業を我(が)がせっせと浄めて行こうという考えである。
 我(が)はナイのであり従って我(が)による罪もナイのであり罪の集積の潜在意識もナイ。それが心もナイ、罪もナイ、迷いもナイという生長の家の信仰の神髄であり、それは即ち現象的に如何なるものであってもそれは実相から見れば全て実相が無限生長する中で自ずと実相顕現する過程で起こったことであり全て神が神したものであり、我(が)による間違いも罪も無ければその清算も必要無いという事である。

 だから今悦んで良いのである。今生かされている事を無条件に悦び実相の無限生長の中で悦びの活動を力強くやって行けば良いのである。

 但し実相が無限生長する中で色々な失敗も出て来る。その業の集積は現象的には確かにある。しかし、それも実相顕現の為のトレーニング台なのである。だから業の清算をしながら実相顕現が進むとも言えるのである。

堀 浩二


# by koujihori | 2018-10-03 10:29 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

問題はナイという事

 問題はナイ!宇治でご指導されていた榎本恵吾先生のお言葉です。問題はナイなんて言うとなんて悠長な事をと思う人も居ます。要するに人生は色々な問題があってこそ鍛えられ学べるのだから問題はあるという訳ですね。
 しかしそれは生長の家の教えではありません。「続々甘露の法雨」には「色々と悟らせて頂きましたなどと種々の罪や迷いに引っ掛かるのは闇にとらわれて光を忘ずるが如し。汝らまっしぐらに実相に超入せよ。」とあります。

 要するにこういう事です。実相独在であり、罪も迷いもナイ。ましてや問題なんてナイ。それが生長の家の根本教義です。そしてそれは何時の事なのかと言ったら今の事なんです。今ここ実相世界であり完全円満。

...

 その問題のナイ完全円満の実相世界がこの世界に出て来る。それは実相は無限生長だから自ら無限に生長してそして自己表現をする。それが実相は自分で出て来るという事。

 その過程で最初は表現は稚拙でありまた迷いを伴う。その中で実相らしからぬ歪んだ作品が現象世界として現れる。しかしその現れは観世音菩薩様のお示しであり、「あんたの作品はこういう感じだよ。」と教えて下さる。
 その中で自分の中の完全円満の実相と照らして見て「ああ、ここがまずい。改めよう」と反省する。そして表現の世界である現象がましなものになって行く。
 
 そのまずい現象が所謂問題という訳ですがその中で自らの実相が反省してよりましな作品を創り上げて行く事で実相顕現が進む訳です。
 それが実相は自分で出て来るという事であり実相が自ら表現するのだから実相は自分で出て来るというですね。実相は自分で出て来るというのは実相独在であり、それは即ち問題はナイという事になるのです。

 だから「問題はナイ!」[汝らまっしぐらに実相独在に超入せよ」という事になる訳ですね。

堀 浩二


# by koujihori | 2018-09-28 08:58 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

全託とは天地一切のものに感謝するという事

 万物調和六唱経に書いてあるけど「神は全ての全てだから自分は全てのものと一体であり、そして感謝、調和している。」とあります。

 生長の家は実相独在の教えで実相即ち神は全宇宙に行き渡っているという教えですね。だから神に生かされている、神に全託するという生き方はそのまま天地一切のものと一体であるという信仰となりそれはそのまま天地一切のものに感謝し和解するという事になります。

 私は21年前に「私が、自分が」という信仰でノイローゼになってでも宇治の榎本恵吾先生の元へ導かれてそこで...
「生きるんじゃない。生かされるんだ。」と目覚め、そこで自分がじゃなくて神に全託する生き方を学びノイローゼが癒されました。でもそれはそのまま天地一切のものに感謝するという生き方に通じるものだったんです。

 でも私は会社で生長の家組織で不調和の状態だった。理不尽な事には我慢出来ないからおかしいと思ったら猛抗議した。
 でも僕の中の実相が自ずと現れ、神に全託するという生き方がより出て来たらその不調和が正される厳しい人生レッスンが出て来た。

 という事で私は自ずと「天地一切のものと和解し感謝する。」という様に導かれて来たのです。

堀 浩二


# by koujihori | 2018-09-26 09:29 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

観世音菩薩の御働き

 僕は長らく生長の家の「思ったら思った通りになる」という心の法則というものに悩んで来た。思ったら思った通りになるんだったら恐怖した事も実現すると思ったら却って恐怖心が強くなったからだ。そしてそれが実現すると思うとますます恐くなる。
 本当にこんな事知らなきゃ良かった、生長の家なんて知らなきゃ良かったと何度思った事か。
 心の法則は観世音菩薩の御働きでもある。衆生の心をそのまま映して見せてくれて衆生を導く存在だ。近年、谷口雅宣先生が観世音菩薩をことさらに強調して「観世音菩薩讃歌」を出されるし、そもそも谷口雅春先生は「生長の家の本尊は観世音菩薩である。」と述べられてますね。

 思ったら思った通りになるって言う事は言い換えればこの世界は心の展開という事であり裏を返せば物質はナイ!って事なんですね。だからそれは悪はナイ、不完全はナイ、病気はナイって事で。これは実相独在にも通じる。...
 
 そしてこの世に本当の悪は無く全ての現象は観世音菩薩の慈悲の御働きであるという。それは現象は如何にあっても真に悪い事は存在せず観世音菩薩の御働きにより自分の心の状態を直に体験する事で自分に心に反省と懺悔が起こる。
 
 その時に実相顕現があるという事で結局それはこの世界は神様の導きしかナイって事になり、吾々は如何なる現象にあっても常に神に生かされ導かれているって事になりますね。
 そして結局実相と実相が自分で出て来る事しかないって事になると思います。

堀 浩二


# by koujihori | 2018-09-13 09:50 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

神である私が祈り学び愛行する。

 神である私が祈り学び愛行するのでありでくの坊の肉体の自分、我(が)の自分が祈り、学び、愛行したから神になるのではない。

堀 浩二

# by koujihori | 2018-09-11 09:22 | 信仰 | Trackback | Comments(0)