感謝は我(が)ではなく吾が内の神が行う。

 感謝というのは我(が)がやるのではない。赦しも同様である。感謝も赦しも既に神の責任において為されている。それは既に自他一体だからである。 

 感謝は既に完成している。赦しも既に成就している。その内なる感謝と赦しが自ずと出て来て感謝の祈り、和解の祈りになるのである。 
 感謝と和解と赦しは吾が内の神が行う。我(が)ではない。 だから「そのまま(実相)でよい」のである。

堀 浩二

by koujihori | 2017-12-18 12:21 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://joyfulness.exblog.jp/tb/26244566
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< 生長の家は一筋縄ではない。 迷いの文化が滅びる際にその相手... >>