生長の家の生き方は我(が)がするのではない。

 生長の家の生き方が出来る人と出来ない人がいて、自分は出来ないと思っていた。特に「取り越し苦労するな」というもの。分かっていてもしてしまう。それと「今に集中して生きろ」というのも出来なかった。
 そして何より出来なかったのが自分を与えきる事。私が青年会をやっていた頃は理想世界百万運動というのの名残で青年会の研修会に行くと理想世界誌1,000部一括申込というのを決意させられる雰囲気があった。こうなるとものすごい出費で自分の趣味とかなんかはもちろん、全てを生長の家に捧げないと行けない気持ちになる。実際それが出来る人は良い。でも当時の自分はとてもそんな事は出来ないと思っていた。
 そうこうする内に自分は完全に生長の家に自分を捧げ切らないので色々悩みが出て来た。スパッと全て捧げ切れていれば悩みなんか出ないはずなのに。
 そして私は利己主義を捨てきれずに奈落の底に落ちた。そして極度の不眠症になりノイローゼになった。これも自分が生長の家の生き方をやり切れず利己主義を捨てきれなかったからだと自分を責めた。

 そうこうする内に私は宇治別格本山の榎本恵吾先生の元に導かれ、そこで一般練成十日間を受けその後、研修生となった。そこで榎本先生の薫陶を受け
「そのままでよい」「生きるんじゃない生かされるんだ。」「実相は自分で出て来る」「全託と言ったら本当の全託で良い」と分かった。今から21年前、私が38歳の頃です。

 そこからですよ。生長の家の生き方は我(が)の頑張りでするのじゃなくて自分の中の神、実相が自分で出て来てされるのであると分かったのは。そして私は肉体的にも癒され、元気が内側から出て来て職場に復帰。そして仕事に趣味に生長の家の活動に以前の百倍のパワーと悦びで取り組める様になれた。

 そこからは自分の中に神がある。完全円満がある。一切は神により為される。全託でよい。と分かったのです。

堀 浩二


by koujihori | 2018-02-27 16:59 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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