実相が動き出して三正行をする。

 「発菩提心(悟りの道を求める心)は生死流転の時に得る事もあるがあるいは又生死を超えた境地でもこれを得る事がある。さらには生死、涅槃のほかでもこれを得る事がある。というのは発菩提心はあらゆるところに遍満するところの本心であり、この心のないところは実はどこにもないからである。
 よく環境の縁に触れて菩提心を起こしたとか智恵を学んで菩提心を起こしたとか言うがそれは本当でなく実は菩提心が菩提心を起こしたのだ。その菩提心が仏心である。(中略) ただ時節が来ると発菩提心がポカリとあらわれる。では時節という条件によってこの心が起こるのかというと何ものにもよらない心であるから時間にも依存してはいない。それは既にあらゆる所に実在する本心なのである。実相をみるとそこには発菩提心がみちあふれている。従って現象界ことごとくが実は発菩提心であり、すべての現象が悟りへの導きとなる。(中略)
 ということはこの心は環境と一つであって、「人境一如」であり、一人の悟りが一切の環境をクラリと変える。二つが一つであり、一つが一つだ。菩提心ただひとり立つというのが本当である。独立独歩の心であるから他の類似したものとは違う何ものか「独自なるもの」であり、現象を超えたものだ。それ故、地獄、餓鬼、畜生、修羅の中にあっても発菩提する。さとり心はどこにでもあるから、どこでもこの心が起こるのである。」
(「正法眼蔵を読む」上巻 P254~256 谷口清超著)

 我(が)が努力して三正行して悟るのではない。仏になるのではない。実相顕現するのではない。実相自体が動き出す事で三正行して悟りが顕現し、実相が出て来るのだ。実相が実相して祈り、行をするとはそういう事だ。

堀 浩二


by koujihori | 2018-06-21 09:53 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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