生長の家の生き方は実相が自分で出て来る事により本当に出来る。

 生長の家の生き方ってあるでしょう?人の良い所を見る、明るい表情する、今に集中する等々。

 でもこれ中々難しい面もありますね。僕は今に集中するっていう事、取り越し苦労しないって事が大切と分かっていながら中々出来ませんでした。しようと思っても気が付くと出来て無い。

これは我(が)がやろうとしているからなんです。全ての働き、これは祈りもそうですがそれはどこに原因があり何が主体となってされると思いますか?それは神なんです。神以外に一切、行動の主体は無い。実相独在ですから。

 実相は無限の躍動であり無限生長ですからじっとしていない。表現を自ら欲し自ら表現するのです。それが実相顕現であり、それこそが実相が自分で出て来るという事なんです。

 でも我(が)がせっせと励んで色々行動する時期もあって良い。でもその中でそれが我(が)であったと分かる。それは実相が自分で分かるというか、実相が自分で出て来たからこそ分かるんです。そして実相が実相する実相顕現、本物の実相顕現が出て来る。

 だから如何なる事があろうともこの世界は実相と実相が自分で出て来る事しかない。悦ぶ事しかないって事なんです。

堀 浩二


by koujihori | 2018-10-05 10:30 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://joyfulness.exblog.jp/tb/27143892
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< 今そのままで既に完全円満である... 今悦んでよい。 >>