神に全託する。(2)

 本当の信仰は神に全託する事である。それは本当の全託でなければならない。私がこれだけ心を清めたら、これだけ行いを正したらという条件付きであってはならない。本当に百%今、そのままで神に全託でよい。それは自分がこれだけしたらという条件が要らないのである。私が何をしても、又しなくても無条件で神に生かされ、支えられ、保全された世界があるのである。それが真の実相独在という事である。 その事を悟る事を実相独在の悟りというのである。
 
 さて、その実相独在を悟らず、神に全託という事を悟らずに「私が」となる所に我(が)が出て来る。我(が)でこうでなくてはならぬ、何としてもこうしなくてはならぬと勝手に自己限定するのである。そして、自己のその勝手な自己限定の理想像を自己の心でつかみ、こうでなくてはならぬと頑張る。そして、自分は絶対に失敗しない、もし失敗したならこういう不可抗力が掛かったから失敗したのだとあくまで自己を正当化して、自己防衛する。

 しかし、現象の自分はいくらでも判断ミスするし、忘れるし、失敗するのである。だから、それを絶対に正しいとか失敗しないものだなんて頑張るのは無理があるのである。結果がどうなろうと神に全託するのが良いのである。どんなに表面的に失敗しても本当にこの世に悪い事は起こらないのであるという事を悟る事が大事である。その中で自己の責任により失敗して他の人に迷惑をかけたら、素直に自己の落ち度を認め、反省し、謝罪すれば良いのである。だからと言って、その失敗によって、大変な事になったどうしようなんて思う必要は無い。どうなろうと神が保全して下さるし、繰り返すが本当の意味で悪い事は一つも起こらないからである。

 それを神に全託出来ず、こうでなくてはならない、自分が何としても仕事をつつがなく支えなくてはならないと我(が)が頑張る人ほど、失敗した時に自己の責任を素直に認める事が出来ず、なんだかんだ他に責任転嫁して自己正当化しようとするのである。

堀 浩二
by koujihori | 2008-05-08 13:18 | 社会生活 | Trackback | Comments(0)
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