とらわれない(2)

 表面に出て来た言葉とか運動が真理そのものではない。生長の家の運動もその時々の展開の仕方が生長の家の本体ではない。それをその展開の仕方が生長の家の本体であると思って、固執していると駄目なのである。それは裏を返せば、自分の中に無形かつ無限の真理があるという事を解さないからである。だから、形に現れた真理の展開の仕方が真理そのものだと思ってしまって、その固定的考えから抜け出す事が出来ないのである。

 最近の生長の家では古くからの信徒さんが現在の生長の家の方針、主に環境問題を取り上げる事に理解を示さない人が少なからずいる。
 彼らはどうも、生長の家が変わってしまったと思っている様である。しかし、生長の家の真理の展開の仕方がその時代に応じて、変幻自在に変わるもの、また変わらなければならない事、そして、展開の仕方が変わってもその本質は永遠に変わらない生命の実相であるという事を理解していればこういう誤解は生じないのである。
 
堀 浩二
by koujihori | 2008-06-10 12:31 | 環境問題 | Trackback | Comments(4)
トラックバックURL : https://joyfulness.exblog.jp/tb/8071511
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented at 2008-06-10 17:52 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by 三谷文人 at 2008-06-11 00:15 x
 有難うございます。先日の勉強会、ご苦労様でした。飲み会も楽しかったです。

 水は方円の器に従って、様々な形に変化しますが、決まった形というものはありませんね。真理も同様ですね。
 人時処に応じて、また時代の変化に応じて、真理も様々な形に変わりますが、それは水同様、その状況(の容器)にぴったり従っているだけなのですね。

 形にとらわれず、水のような柔軟な心で身を処することが大切ですね。
 
 
Commented by koujihori at 2008-06-11 09:48
三谷さん

 先日はこちらこそ有り難うございました。勉強会に普及誌愛行そして、飲み会と壮年部の活動は楽しいですね。

 ところで仰る通りですね。水はどの形にも自由自在に変化して、決して折れる事はないという話はあのブルース・リーも言ってました。彼も道を究めた達人ですからね。
Commented by koujihori at 2008-06-11 21:46
yukoさん

 シークレットコメントとは気がつかず、失礼しました
<< 吾々は今、完全円満、無限力であ... とらわれない >>