自壊作用に引っ掛かるな

 以前、ここでもご紹介した事があるが、私が宇治の生長の家宇治別格本山に一般練成を受けに行った時、初めて、そこで榎本恵吾先生にお会いしたのである。それは練成の第一日目であり、第一回目の斑別座談会であったが、私は幸運にも榎本先生の班に入れて頂いた。そこである老婦人が「私は今、これこれこういう病気があり、その症状で苦しんでいますが、これは私の過去の迷いの念の自壊作用でございます。」と発言したら、先生はすかさず「余り自壊作用に引っ掛からない方がいいですよ。」と仰った。

 吾々は生長の家を学び、現象とか肉体とかは吾々の心の影であると学ぶ。そして、その影はすぐに出て来るものではなくて、長い間の心の習慣が潜在意識に蓄積して、その後、暫くしてようやく肉体にその心の状態が現れるので、今、人間神の子の信仰を持ってもそれがすぐに肉体に反映されるのではなくて、現在の肉体の不調和は過去の自分の長年の迷いの自壊作用であるから、私は人間神の子完全円満の信仰を持ってはいるが、現在の私は過去の迷いの自壊作用でまだ力が発揮出来ません、病気ですと思いがちである。しかし、先生はそれをも「自壊作用に引っ掛かるな」と一喝されたのである。

 吾々は信仰によって、こういう風な良い心の習慣、行動の習慣を現在持っていれば、将来それが肉体や現象に出て来て、じきに自分の病気の症状も和らぐであろう、また力も発揮出来る様に将来なるであろうと何となく漠然に思っている事がある。しかし、それは全部、間違いである。吾々は現象が如何なるものであろうと今、何も問題も無く、完全円満なのである。それが分かったら今すぐその力を行使出来るのである。そうした行使する事が結果的に訓練になり、結果的にどんどん潜在意識が清まり、ますます現象的に力が出て来るのである。それを生長と言うのである。

堀 浩二
by koujihori | 2008-09-17 12:30 | 潜在能力 | Trackback(1) | Comments(3)
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Tracked from 潜在意識 at 2008-09-19 15:25
タイトル : 潜在意識
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Commented by 山崎 at 2008-09-18 00:53 x
合掌、ありがとうございます。

堀先生ご返信ありがとうございました。

私も前述したとおり、日々、善き身・口・意の習慣を身に付けていれば、近い遠いに関係なく、将来善い花が自己の人生に咲くであろうと考えていました。これくらいしたのだから、これくらいの結果が付いてくるのだと思っていました。

以前は世間一般でいわれている喜び、幸福、楽しさ、色気や味気が自己の人生の上にたとえ無かったとしても、神に畏怖し忠誠を誓い、世のため人のために生き、自己犠牲や自己否定という事になったとしても、死んでから天国に行けると本当に思っていました。
神も天国も自己内在ではなく自己の“外”にあると思っていました。
その遠い神や天国に一歩でも近づく為に、この世に生を享け、人生という長い旅路を歩んでいくのだなと定義づけていました。
だから常に苦しく、疑問だらけでしたが、時間が経るに従って、苦しくもなく、疑問すら持たなくなり、それらが自分の中で当たり前になっていました。習慣とは恐ろしいものです。なので生長の家は私にとっては“真逆”に近い感じを覚えた、新鮮な宗教・哲学でした。
Commented by 山崎 at 2008-09-18 00:54 x
現象や肉体は吾々の心の影、三界唯心所現なども生長の家で初めて触れたものでした。

私たちはどうも有史以来、掴み放さない習慣が身に染み付いているみたいです。自壊作用、善いことや悪いことも凡てにおいてです。

吾々の本性・本質は神性・仏性です。
吾々“仏”は“ほどける”のです。

自分を含め何からも縛られずに、行雲流水の如く、只々神の愛の懐で温かく生きたいです(^^)

ありがとうございました。

山崎拝
Commented by koujihori at 2008-09-18 11:45
山崎様

 あなたの今までの求道生活と信仰遍歴は誠に尊いものでありますね。そうした時代を経たからこそ、今、ここ完全円満の生長の家の信仰の素晴らしさが実感されるのです。それは昔のまだ悟って居なかった時代も悟りが動き出していたのですよ。

 生長の家は「今」の教えです。これこれこういう手続きをやったから、こういう祈りをやったから、素晴らしくなったり、無限力になるのではありません。今、正に今、吾々は神であり、無限力であり、完全円満であります。心を清める必要も無い、行動を良くする必要も無い。今、そのままで神であります。完全円満であります。それなのにそう思わず、自分を良くしようと思う心が自分を縛り、本来の悦びを縛り、力を発揮出来なくさせているのであります。力が発揮出来なければ、他の人に愛を与えようと心の底から思えないのであります。
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