カテゴリ:信仰( 924 )

自分が真理である。

 私は神である。私は私を最も信ずる。私の中に真理がある。私が真理なのである。決してそれを他に求めてはならぬ。

堀 浩二

by koujihori | 2018-12-06 13:05 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

実相が出るのは神によりのみでしかない。それが実相は自分で出て来るという事である。

 取り越し苦労すまい、恐怖すまいと思ってもしてしまうのである。自分の心のコントロールは出来ない。実相が自分で出て来る事によってのみ神によってのみ大安心と真の自信が出来るのである。

堀 浩二

by koujihori | 2018-12-06 13:04 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

現象はナイ。どんな悪現象が出て来てもやがて消える。

 私は今日、重大な真理を発見というか実感したのである。会社の業務で確率的には殆どあり得ないミスをしたのである。これは私の心の中に予めこういうミスをするという概念の原型があってそれが具象化して来たとしか考えられないのである。
 この様に現象は本来存在せず過去の自分の心の投影であるという生長の家の真理はやはり本当だったと実感した。だから如何なる現象が出て来ても心につかまないでそのままに放っておけばいずれ消える。本来無いからである。
 但しその出て来た現象で後処理や出費が生じるのならそれは当たり前にやって行ったら良いし払ったら良いのである。それは授業料である。
 神様は今の自分に出来ない問題は決してお与えにはならないのである。だからどんな運命も受け容れるべし。

※ そして現象は全て自分の心をそのまま映し出して下さる観世音菩薩のお示しであるから懺悔、反省すべき事があればすべし。そうでないと又同じ現象が出て来る。

堀 浩二

by koujihori | 2018-11-08 15:49 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

今ここ完全円満の世界

 実相独在。今ここそのまま完全円満の神の国。現象はナイ!!それは単なる自分の心の影。
 だから今悦んで良い!!

堀 浩二

by koujihori | 2018-11-08 12:19 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

問題は存在しない。

 自分が今経験している問題は全て過去の自分の心が作り上げたものであり実在ではない。そして出た事で消える。だからそのままにして放っておけばよい。 
 同時にそれは過去の自分の心が作った問題なのであるから自分の心が反省して変わる事で必ず克服出来る。今の自分に出来ない問題は神から与えられる事は決して無い。

堀 浩二

by koujihori | 2018-11-02 10:19 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

吾神なり、ここがそのまま神の国であるという意味。

 今回分かった事があるんだけど過去に自分に誤りとか罪があると普通みんな思ってますよね。そうじゃないんです。自分は神の子であり神であり神と共に常にあり神に導かれているから自分の歩みは神の歩みなんです。それは完全円満なものであり針の先ほども我(が)や肉体の入り込む余地はナイ!
 ではそれが何故罪とか過誤とか不完全に感じられるのか?それは現在の自分の心に歪みがあるからです。
 そのままで良いんです。そこに過去が成仏します。常に吾は神に導かれ最高の人生を歩んでいるしこれからも歩む。少しでもそこに我(が)とか現象の存在があったと認めたらもう駄目です。

堀 浩二

by koujihori | 2018-11-02 10:08 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

本当の救いとは

 現象はどうあれ、今このままで既に救われている。ここがこのまま完全円満の実相世界であり、自分の過去も未来も完璧に神に導かれた完全円満な人生であったと分からなければ本当の救いとは言えないのである。

堀 浩二

by koujihori | 2018-11-02 08:37 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

我が子は自分に取って最大の観世音菩薩である。

 立ち向かう人は全て自分の心の影である。例えば自分に暴言を吐く人間が居るとして自分は普段人に暴言なんて決して吐かないのに何故?と思う事があるかもしれない。
 しかし、自分は表面的にはそういう事をしていなくても心の奥底に人に暴言吐きたい心があるからその心が他人に映って自分に見せてくれているのである。
 それは自分を取り巻く一切の森羅万象は自分の心の影であり本当に存在するものではなくてそれは観世音菩薩が自分の心を感じ取ってその通りの姿を現してくれているのである。それにより「貴方の心はこんなだよ」という事で自分に反省を促し導いてくれているのである。
 そして親にとって最大の観世音菩薩が我が子である。ひどい非行の子供とか引きこもりの子供が居るとして自分はそんな非行はしないし引きこもりでもないのに何故?と思うかも知れないが自分の中にそうした要素を潜在的に持っているから子供にそういうのが現れるのである。

 子供は元々は悪い弱い子供ではなくて親を導く観世音菩薩として現れているのだからそのままそれを拝み、親は「ああ、自分の心はこんなだったのだ。」と反省すれば良い。
 そうしたら自ずと子供の非行やその他の悪現象は消える。親の心が変わったからである。

堀 浩二



by koujihori | 2018-10-26 08:52 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

生長の家には入口と奥義がある。

 生長の家には段階がある。練成会や誌友会等で普通に言われているのは病気やその他問題があってそれはあなたにこれこれこういう心の問題があってだから神想観して浄心行して心を浄めて、また先祖供養を徹底してやって、両親に感謝の祈り、有り難うございます唱行を何千何万回とやって愛行も徹底してやって潜在意識を浄めなさいと言うもの。

 しかし、これはあくまで生長の家の入口であり奥義ではない。生長の家の奥義は今このままでここがそのまま完全円満の世界であり、吾々は我(が)が生きるのではなく神に生かされるのであり、実相は我(が)がああしてこうしてしなくても実相自ら出て来るという事であり、全託と言ったら本当の全託であるという事です。我(が)は要らないという事。
 それは聖経「続々甘露の法雨」と「善と福との実現」に書いてある。
 「続々甘露の法雨」には
「汝らまっしぐらに人間神の子完全円満の自覚に突入せよ」と書いてあり、「この病気は何の罪の結果かと一々詮索するなかれ」と書いてある。そして
「恐怖を捨てんとする努力をさえ止めただそのままであれ、そのまま(実相)であれ、そのまま恐怖本来無きなり。そのままに真に任せ切る時、一切の恐怖を神がぬぐい取る。」とあります。更に
「神よ神よと唱えつつ、汝の全存在を神に任せ切るべし」ともある。
 これは本当の全託を現しています。一切の我(が)の努力は要らないという事です。
これが「神に生かされている」という事であり、その神髄は招神歌の
「吾が生くるは吾が力ならず天地(あめつち)を貫きて生くる祖神(みおや)の生命(いのち)」
 という言葉に表されている。
 
 そして「善と福との実現」にある牝鹿の脚の話は現在意識の望む幸福願望を潜在意識がその通りについていけば幸福になれるという事ですがその為の鍵が正に神への全託であると書いてある。本当の全託です。

 それが生長の家の神髄です。

堀 浩二


by koujihori | 2018-10-19 12:04 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

実相と実相が自分で出て来る事しかない。

 如何なる現象が見えていようともそれは実相が自分で出て来る姿なのである。病気はナイ。不完全はナイ。それが今ここ実相世界という事であり我(が)が生きて来た事など一度もナイという事である。そのままでよい。

堀 浩二

by koujihori | 2018-10-18 17:29 | 信仰 | Trackback | Comments(0)