カテゴリ:信仰( 868 )

生長の家をやり続ければ実相が出て来て悟る。

 テニスもコーチとかに色々とテクニックを学び、練習したり、ゲームをしたりする。でもそれですぐ、本当に上手くなったり強くなったりする訳ではない。でもそうした地道な努力、過程を踏む中で自分の中の実相が自分で出て来て本当に上手くなり強くなる。
 生長の家も同様だと思う。最初は色々と教義を学び行をするがそれですぐ実相が顕現して悟って素晴らしくなる訳じゃないです。でもその中で生長の家を地道にやり続けて行くと実相が自分で出て来て悟り、実相顕現し、素晴らしい事になる時が必ず訪れます。

堀 浩二

by koujihori | 2017-11-14 12:48 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

真理は吾が内にのみあり

 教えを外に求めるな。徒に生長の家の講師の個人指導にすがろうとするな。自ずと内側から湧き起こって来るまで待て。しかし、それは何も自分のインスピレーションだけに頼れという訳ではない。人からの教えや本に書いてある事でもそれが自然の流れで自分に真理を示す場合があり、それは自分の中の真理が人から与えられるという形式で出て来たのである。

堀 浩二

by koujihori | 2017-11-13 15:25 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

真理は吾が内にあり

生長の家の信仰で一番大事で肝なのが
「真理は自分の中にある。」という事である。それは人間は神の子であるという事に他ならない。そしてキリストが言われた
「汝らの内にのみ神の国はあるなり。」という言葉そのものである。

 神とは真理の事である。従って神の子の自覚とは自分が真理なりの自覚である。他の何ものにも頼らない自立の自覚である。

 その自分の中の真理に
「何を今どう為すべきか?」という答えを求めるのである。

 しかし、それは自分以外の何物も信じないという事ではない。自他一体であるから他の人、師、そして弟子、子供からもいくらでも神のお示しがある。

堀 浩二


by koujihori | 2017-11-07 14:24 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

何に中心帰一か

「菩薩は何を為すべきか」には「人につくんではなくて神意につけ」という記述があります。生長の家の運動やってて、あの先生には自分はお世話になったからという事でその先生なる人が生長の家を止める様な事があっても自分はその人について止めてはいけないって事ですね。

 中心帰一が大事と言われます。それは自分の上の人に対してハイと中心帰一するという事ですがそれが「学ぶ会」とかはてはナチスなんかだったらどうですか?ヒトラーの言う通りユダヤ人を虐殺するのがハイの精神であり中心帰一でしょうか?それは違いますね。また同様に学ぶ会に入って学ぶ会の上の人からの命令で生長の家の信徒に変な総裁批判のファックスを送ったり、生長の家信徒を惑わして学ぶ会に入れるって事が中心帰一でしょうか?

 違いますね。ここは冒頭の
「人につくんじゃなくて神意につけ」って言うのが根本でここのボタンを止め違えるとどんどんその後狂って来るという事です。

 要するに本当の中心帰一は神様に中心帰一ですね。神意に対してハイです。

 それは雅宣先生ご自身が
「私の言う事に盲従してはいけない。自分で神に祈ってそれで心から正しいと思う事に従って下さい。」と言われてます。  
 
堀 浩二


by koujihori | 2017-11-02 13:13 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

我(が)が無くなるということ

 我(が)が無くなったら腹は立たないのである。人をうらやむ事も無くなるのである。人の成功を我が事の様に悦べる様になれるのである。そして恐れる事は一切無くなる。

 我(が)が無くなるという事は自他が一体であると悟る事である。そして人類全体が今その時期にさしかかっているのである。地球温暖化はそれを人類に促す観世音菩薩のお示しである。自他一体の思いやりの世界、地上天国がもう出て来る時期に来ている。今の世界の渾沌状態はその前段階、自壊作用である。

堀 浩二



by koujihori | 2017-11-02 09:50 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

今ここがそのまま神の国であり自分はたった今神である。

 生長の家の教えで自壊作用っていうのがあるでしょう?病気とかは過去の迷いの心の自壊作用だって事でだからある人は
「私は今自壊作用の時ですので」とか言う。

 また実相が現象に顕現するのは時間が掛かるから、自分は実相は完全円満ですが現象はまだ不完全だからどうのこうのと言う人もいる。

 それから自分の病の原因は誰かを怨んでいる心だからこれを何とかしなくちゃいけないって言う。

 こういうのは全部、駄目なんです。現象にとらわれている。続々甘露の法雨には
「病無ければ病の原因も本来無し」と書かれている。そして「汝らまっしぐらに神の子完全円満を自覚せよ」とある。

 実相世界は今ここにある。自分は神である。たった今。これ以外に自壊作用だのまだ実相が顕現していない現象の自分なんて無いのです。そして病の原因の人を怨む心も無いし、第一怨む原因となる悪い相手も無い。

 ここの所が生長の家の神髄であり肝要な所です。

 繰り返します。

 実相世界は今ここにある。自分は今神の子完全円満、無限力である。そう自覚してこそ実相が実際のものとして初めて顕現を始めるのです。そしてそこから無限生長が始まる。その自覚で生きて行く事が本当の訓練です。

堀 浩二


by koujihori | 2017-10-30 11:51 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

現象はナイ、物質はナイ

 今、自分の境遇がおぞましいものであるとしてそれを嫌って逃げ出すのはそのおぞましいものがアルと認める事になるのである。

 ここが信仰の分かれ目である。物質はナイ。現象はナイが生長の家の真髄である。

堀 浩二


by koujihori | 2017-10-30 09:55 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

神の国は吾が内にのみあり。

 生長の家というのは何時までも先生の教えにすがってその一言一句その通りやるという境涯では駄目なのだ。
 自分の中に真理を見出さなくてはいけないのだ。それが「キリストは神の国は汝の内にのみあり。」という言葉である。 

堀 浩二

by koujihori | 2017-10-26 09:29 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

生長の家とは「実相は自分で出て来る」という事である。

 実相は自分で出て来るというのは私は宇治で指導されていた榎本恵吾先生に教わったが先生によるとその言葉を最初に使ったのは生長の家草創期の雅春先生の高弟の服部仁郎先生なんだそうだ。

 実相が自分で出て来ると聞くと一見奇妙に聞こえると思う。でも実相が自分で出て来るという事は実相顕現に我(が)は要らないという事であり、これこそが実相独在という事なのだ。
 実相顕現に実相以外に何かが必要と言う事は既にその時点で実相独在ではないからだ。そして我(が)が要らないという事は我(が)の否定であり、それは取りも直さず利己的でない無我の生き方の事である。それこそが「今に集中して生きる」「愛他的に生きる」「一切の人にものに事に行き届く」とい生長の家の生き方そのものになる。

 生長の家の教えとは「実相は自分で出て来る」という事であったのである。

堀 浩二

by koujihori | 2017-10-18 16:32 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

生長の家の生き方は自分が神であると分かれば自ずと出来る。

 私は最近、自分の行動と想念が本来の正しいものになって来たのを実感する。それと共に体調がすこぶる良くなって来ているのも感じる。

 以前の私は我(が)が強くて、生長の家の生き方即ち今に集中するとか思い切りよく押し強く生きるとか常に自我を死にきるとかいうのが出来なかった。

 そして、神経を損傷しノイローゼになった事もある。しかし、生長の家の学びが進み、自分の中に神が存在するのが段々分かって来るにつけ、自ずと自分の行動や想念が神らしくなって来たのである。自分が神であると分かれば神らしい行動をしたくなるからだと思う。

堀 浩二


by koujihori | 2017-10-17 12:29 | 信仰 | Trackback | Comments(0)