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やっぱり実相は自分で出て来る。

 詳細は言えないが昨日、
「ああ、やっぱり実相は自分で出て来るんだなあ。そのままでいいんだな。」と実感した。感謝は大事ですがやっぱりそれも実相が自分で出て来る事により自然に出来る様になる。一切は神により為されるんですね。
 そして実相が出て来るのには時期がある。その時期は最も良い時期だ。だから実相を現そう、無理に感謝しようと焦る必要無いんです。

堀 浩二 
by koujihori | 2018-01-29 13:04 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

病無ければ病の原因も本来無し。汝らまっしぐらに神の子人間を自覚せよ。

 生長の家で何か病気が起こった時は例えば乳癌や子宮癌になったら夫への感謝不足、頭の病気になったら先祖供養不足、目上の者への感謝不足だという方程式みたいなものがあってその病気になった人又は親に

「夫に感謝しましょう」「先祖供養しましょう」「親に感謝しましょう」と指導される。

 そしてひどい場合には「もっと感謝しなくちゃ駄目じゃないか」とか「もっと先祖供養しなくちゃ駄目じゃないか」と責め立てる人がいる。 


 それで言われた本人は一所懸命、感謝しようとか先祖供養する。

 しかし、大抵これでは良くならない。

 榎本恵吾先生はそういう時どういう指導をされたかと言うと例えばその悪くなった身体の部位に象徴される相手というのはそれに感謝出来てないじゃないかという事ではなくてその相手と「本来一つだよ!離れないでいるよ!」と思いなさいと仰っていた。

 これは非常に微妙だが天地の差ほど開きがある命題である。
 「続々甘露の法雨」には

「この迷いがこの病の原因であると思う事を止めよ。病本来無ければ病の原因も本来無し」と説かれている。

 この怨みの心、感謝の足りない心が病の原因であると思う事を止めよというのである。そして
「まっしぐらに神の子人間を自覚せよ」
 と説かれている。

 要するにこういう事だ。

 何か問題が起こって来るのは全て観世音菩薩のお示しである。そしてそれは「本来、相手は完全円満の神の子であり自分とその相手は神において一体で一つの存在であるのをあなたはその相手を自分と離れた存在であるとして恨んでいた。それは間違いだよ、本来相手はあなたと神において一つの存在で神だよ。その神なる相手を拝み、一つであるという事に気がつきなさい」という事なのである。

 要するに問題の原因である迷いの心をあるとしてそれを信仰の力で良くしようというのではなくてまっしぐらに今そのまま完全円満であるという事を自覚せよという事なのだ。

堀 浩二


by koujihori | 2018-01-10 12:26 | 信仰 | Trackback | Comments(0)

実相は自分で出て来る。

 

 実相は自分で出てくるのである。

 生長の家の人は「実相は完全円満で素晴らしいんだけれどもその実相を如何に現象世界に現すかが問題なんです。現象に実相を現す為には心のレンズを歪みの無い真っ直ぐなものにする必要がある。だがこの心をそうした実相を観ずる様にする事が難しいのだ。」と嘆く人がいる。それでこれでもかこれでもかと先祖供養したり生長の家の生き方に励もうとする。
 しかしながらそうした我(が)の励みにより実相が顕現する事は無い。何故なら実相は我(が)の頑張りなどで引っ張り出せるものではないからだ。実相がそんなけちな我(が)により出てくるはずがない。


 それは実相自らが自分で出て来る事によってのみ出て来る。実相顕現というのは実相自らの顕現の事であり我(が)の頑張りにより出て来るものではないのだ。
 それは実相というのは無限であるから常に躍動している。そして自ら有限化して顕現したがっている。無限の絵の才能を持っている画家が有限のカンバスに自分の作品を描きたくて描くのと一緒だ。でもその表現は最初から高度という訳ではない。何度も繰り返して描いて色々と経験をし、先達のアドバイスも受けながら徐々にその表現のレベルを上げて行く。すなわち実相の素晴らしさを表現して行く。
 これが実相が自分で出て来るという事でありテニスなどのスポーツもそうだ。いくらレッスン書に書いてある通りを練習した所で最初から上手いテニスが出来る訳ではない。テニスを何回もやり練習もやり上手い人から教わりながらやり続ける中で徐々に段階を経てその人のテニスの才能が自分で出て来るのだ。そしてそのテニスなり絵に励んでいるのは内側からやりたくてやっている。即ち実相が自分で出てきてやっているのだ。

 だから実相は自分で出て来る以外に顕現しようが無い。決して我(が)が無理に引っ張り出す様なものではないのだ。

 そして実相は必ず自分で出て来る。段階を経て。この世界は実相と実相が自分で出て来る事しか無い。これを実相独在という。そして全ての人たちは必ず実相が顕現する様になっている。この人生で如何なる事が起こっても表面的にはどんなに過酷で不幸に見えてもそれらは皆実相顕現の為に起こっている事であるから本当に悪い事ではない。

 しかし、生長の家は先ずは三正行に真面目に取り組む事だ。そこから始まる。三正行にいそしむ私も我(が)ではない。内なる神であり実相である。

堀 浩二


by koujihori | 2018-01-08 16:14 | 信仰 | Trackback | Comments(0)